酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

宮城球場伝説 あるセットアッパーの背中

2008-01-10 10:10:21 | 野球の話
 1973年パリーグ。宮城球場を準フランチャインズとしていたロッテオリオンズは、シーズン終盤に宿敵南海に追いつかれる。阪急最終戦とも負け越し、結局はリーグ3位で終戦を向えた。ロッテはこの年から東京球場から仙台へ移る。監督も金田になり、監督人気もあって、球場は連日賑わった。

 昨年のブログでこのロッテオリオンズの事をお話いたしました。酔漢が初めてプロ野球を観戦したときの話でしたが、この年は3試合ほど観戦いたしました。やはり叔父と一緒でしたが、最初の試合が劇的だったからでしょうか。後の試合については、よく覚えておりません。しかし、ある中継ぎ投手については、よく覚えております。前書きが長くなりました。ではお話いたします。

「後攻 ロッテオリオンズスターティングメンバーの発表です。 一番センター 弘田。二番ショート 飯塚。三番サード 有藤。四番レフト アルトマン。五番ファースト ラフィーバー。六番ライト 池辺。七番セカンド 山崎。八番キャッチャー 村上。九番ピッチャー 八木沢。」(パリーグのDH制は75年から) 
「この前も八木沢だったちゃ」
「最近打たれてばかっりだからっしゃ。今日はだいじょーぶかや」
「相手の太平洋は今打線だけは当たってからな」
すみません。相手の投手は覚えておりません。当時の太平洋はやはりエースは東尾。そして、江藤。白仁天。そうそうたる打線でありました。太田も若くて一発屋の片鱗を見せ始めていた年でした。
僕らは一塁側内野スタンド。ブルペンからすぐ上での試合観戦です。
試合はたんたんと進みます。ロッテ、太平洋とも打線が淡白で各打者とも早撃ちが目立つ試合展開となりました。得点は0対0。イニングは早5回を迎えます。
「なんだや、まだビール1缶しか飲んでねぇおん」叔父が言いました。
5回表。太平洋は助っ人(名前覚えておりません。すみません)のホームランが出て、一挙に3点をあげました。ロッテのブルペンがにわかに慌しくなってきました。
「八木沢のかわすピッチングも限界でしょうか。試合はまだ中盤です。中継ぎが頑張って、なんとか成田までもたせるような試合展開にしないといけません」
TBCダイナミックナイターが隣の席から聞こえてきます。解説は島田源太郎さんです。(大洋OB。完全試合の記録を持つ、気仙沼高校出身)
八木沢は、後続を何とか絶ち、5回の裏、ロッテが飯塚のヒット、ラフィーバーのタイムリーでようやく1点を返しました。
ブルペンでは、2人のピッチャーが投球練習を始めておりました。
「最近よく近藤は抑えていますよ。試合を作れるベテランです」再度島田さんの解説です。
「おんちゃん、どっちのピッチャー投げんだべね」
「最近、金田近藤使う時多いからっしゃ。今日も近藤でねぇか」
6回、イニングの頭。背番号15を着けたピッチャーが、マウンドへと歩き始めました。
球場のアナウンス。「ロッテオリオンズ、ピッチャーの交代です。ピッチャー八木沢に変わりまして、近藤。背番号15」
「どんな人すか?」
「どれ、パンフレット、見っからっしゃ。『近藤重雄。71年ドラフト5位。社会人コロンビア出身。』ベテランでも新人みたいなもんだべ。弘田と同期だなや。高校は福島の学法石川だべ」 
投手交代のとき、監督の金田が往年の投球フォームのまま、ピッチングを披露してくれるのが球場の名物となっておりましたが、今日はそれはありませんでした。
「金田、いらついてんでねぇか」どこからかそんな声が聞こえてきました。
投球練習を終えた近藤。村上のサインに首を振ることなく、第一球を投げました。コントロールよく外角へきれいなストレート。ストライク。このコントロールとバッターとの見事な駆け引きがこのピッチャーの持ち味なのでした。この試合、近藤さんは2イニングを投げ、ヒット2本(だったと記憶しております)太平洋の打線を見事に抑えました。そして8回。ロッテ「ラッキーエイト」を迎えます。案の定、弘田のヒットを足がかりに有藤、アルトマンのタイムリーで逆転。9回押さえの成田が3人で締めゲームセット。ロッテ勝利でした。勝ち投手は成田でしたが(セ-ブポイント制は74年から)崩れかけた試合を作り上げた近藤投手がMVPだったと思います。
試合後、金田の監督インタビュー。「今日はハラハラしましたけど、近藤がよく投げてくれましたねぇ。近藤さまさまでっせ」(かねやん、いつもの金田節の披露です)
酔漢、この試合で、敗戦処理。谷間の先発。そして崩れかけたゲームを作り直す。そういった役目を担う投手が必要なことを知りました。
そういえば、背番号15は試合の中盤で、必ずブルペンで投球練習をしていたことを思い出したのでした。酔漢の中ではロッテの15番は近藤さんのイメージが今でもあります。

昨年12月23日。酔漢仕事の真っ最中。予約のクリスマスケーキの仕分けを弊社店舗で行っておりました。まだ予約受け渡しカウンターの出来上がる前。一人の年配のお客が立っておりました。
「クリスマスケーキ受け取りにまいりました。伝票です」
スタッフがいない時間です。酔漢自ら対応しました。
「『近藤様』ですね。ゲキレンジャーケーキ2個ですね」とケーキを袋に入れて渡そうとしましたら、「うちの兄です」と店舗アソシエイトの部下がやってきました。
「酔漢さん。兄はロッテの投手だったのよ」
「おい、そんな事言ったってだれも覚えてなんかいないよ。3年しか職業野球してないんだから」
僕は控えの伝票を眺めました
「『近藤重雄』さんって、ロッテ15番の近藤さんですか?僕はよく覚えております」
なんてことでしょうか。あの背番号15のピッチャーが目の前にいるのです。
「僕はブルペンで投げている近藤さんをスタンドからよく見てました」
「覚えている人いたんだねぇ」
「そりゃ、覚えていますよ。格好良かったじゃないですか」
「格好よかった?ハハハ そうだった?よく打たれてたでしょ」
酔漢仕事を忘れました。
近藤さんとしばし野球の話。
「木樽の球には凄みがあった、成田はキレがあったし、投手王国だったなぁ。でもね八木沢のパーフェクトには参った。出来るなんて、今でも信じられないよ」
「八木沢さんの完全試合は観てました。すごく緊張した試合でした」(「宮城球場伝説」過去ブログにて詳細を)
「たった3年しかいなかったし、僕も年を取ってからの選手でしたしね」
「僕ら、小学校時代でしたが、本当にロッテ強くって、いい思いさせていただきました」
30分以上お話しました。近藤さんはお孫さんとクリスマスパーティーをするんだと言って、お店から出て行きました。僕は30年以上経ってから、ようやく近藤さんとお話が出来ました。

1971年。ドラフト5位。(同期で活躍した選手では3位弘田。4位倉持)
1972年。29試合登板。2勝3敗 投球回 59     防御率4.58
1973年。41試合登板。6勝4敗 投球回 81 1/3  防御率 3.56
1974年。37試合登板。2勝2敗2S 投球回 58 2/3  防御率 4.12
生涯成績 107試合登板。10勝9敗2S 投球回 199 防御率 4.03
(ロッテ球団資料より抜粋)

見事な成績です。近藤さんは「10勝しかしてないから」と言っておりましたが、どうしてどうしてプロの世界でしっかり記録を残しておいでです。並の人にできることではありません。
「また、来るよ」
「是非」
またお会いできる日を楽しみにいたしております。

「こんどぉ、たのむぞぉー」
土のグランド。「い・ろ・は」で始まる座席順。
宮城球場をもう一度振り返りました。
背番号15の小さな伝説を紹介いたしました。

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