年末・年始特集号?で仙台弁からロッテオリオンズまで、いろいろお話いたしてまいりました。そして、ふたたび、中学校時代のお話に戻ろうかと思いました。3日も続けてブログを更新いたしておりますが、忙しかった時期も終わりまして、ようやく人様並みにお休みをいただいております。そこで休養十分であろう下駄の御仁にもご登場していただく所存です。
何、「試験の準備で忙しいからまた後にしてくれ?」ですか。
遠慮のない後輩で、すみません。ね、丹治先輩。
タイトルをご覧の皆様、酔漢と丹治(敬称略いたします。ご容赦)で、どうして「東北学院」なのかって?いやいや、二人が電車の中で出会った、僕らが思うところの尤も「格好いい酔払い」のお話をさせていただきます。
丹治先輩、中学校時代、「吹奏楽部」に所属いたしておりました。パンカッション担当でした。五橋中学校、あの「合唱部」が有名な中で、「吹奏楽部」もかなり頑張っておりました。酔漢も所属はいたしておりませんでしたが、個性的な?先輩方が多くおりましたこの「吹奏楽部」が好きでしたし、部室にはよく遊びに行きました。同学年に中のよい友人が大勢おりましたしね。こじま君はトロンボーンを担当しておりましたが(五橋名物こじま三兄弟の末弟です。小学校・中学・高校となぜか一緒でした→過去ブログ「東二番丁小学校編」にて)同じクラスにおりましたし、酔漢1年生時、当時三年生には、かんの先輩がおりまして、同じ塩竈組みでしたので大変かわいがっていただきました。(ちなみにお兄様は有名なピアニストでいらっしゃいます。酔漢の叔母を含めて「『のだめ』のようなもの」のお話は後日)そんな吹奏楽部ですが、練習はかなり厳しいものがありました。そうそう女子メンバーがこれまた凄くてネ、ホルンのまりちゃんや、サックスのあきこちゃんとか、かおるこちゃんとか、ライジングスターオーケストラでもやっていけたんじゃないかな?
そして、ある日の木曜日です。
酔漢、錦町にありました英学塾の帰り、仙台駅でバッタリ下駄の御仁 丹治道彦さんと会ったのでした。
「酔漢、塾の帰りか?」
「んだっちゃ。先輩は?」
「部活の練習だべ」
「んだから、あきこちゃん遅れてきたんだなや」
解説→優秀なあきこちゃんは、酔漢と同じ英学塾(英語塾じゃぁないんです)に通っておりましたが、部活の練習が佳境に入ったときは少し遅れてくるのでした。ですが、実力のある彼女ですから、予習は完璧。あの堀見先生も一目置いております才女でございます。
時間は、午後7時近く、帰宅を急ぐサラリーマンで仙台駅は少し込んでおりました。
「西塩釜行きに乗っていっか?」
「んだね、座れっしな」
いつもの通り、前から2両目の車両へ乗りました。
西塩釜止まりの電車でしたので、陸前高砂駅を過ぎますと、かなり人は少なくなっておりました。
たわいもない話(いつものこったっちゃ)を続けておりましたが、ふと今日の英語が気になった酔漢でした。
「先輩、次の予習してぇんだけんど、いかすか?」
「んで、どこ?俺さぁも見せてけらいん」
というわけで、英語の勉強を始めました。
「これ、ここんとこ、どうにも訳できねぇでいんだおん」
「この単語なんて訳すんだべ」
ああでもない、こうでもないと二人してやっておりますと、向かいの席で寝ておりました酔払い(今では酔漢ですから、同様かもしれません。。。)がおもむろに起き出して来ました。そしたら、いきなり僕らのテキストを覗き込んできました。
酒臭いぞ。と思った瞬間
「なんだ、五橋(『ごばし』と発音しました)の生徒が二人、雁首揃えてそんな問題もわからないのか」と、僕ら二人の顔をしげしげと眺めながら言ってきたのです
僕らはあっけに取られました。返す言葉も失った!
しばらく、問題を眺めていたかと思ったら次の言葉はこうでした。
「解らない単語なんて、考えていたって出てきやしないだろう。あたりめぇだ、知らねぇんだおんな。したらば、前後の文章から、考えんでねぇのか?おめぇらそんな事できねぇんだったら一高(『いっこう』と発音しました)なんかさは、入れねぇど」と。
そう言うと、また向いの席に「どすん!」と音を立てて座ったのでした。
「いう通りかもしゃねぇど、親父もおんなすぃ事言ってたおん」(丹治さんのお父様は東北大学文学部独逸語学科の先生でいらっしゃいました。ちなみにあのノーベル賞受賞の科学者を独逸語で落第させたとのうわさがあります「おにたん」です。失礼しました。事実不明!?)
「んで、先輩この文章こうなんのすか」
「んでねぇか」
と問題は解決しました。
電車は多賀城を過ぎ、下馬駅に到着。向い席の酔払いは、身支度をしております。
どうやら、下馬駅で降りるようです。
席を立ちながら、僕らの方へ再び顔を向けました。
ニヤっと笑うと、ホームへ降りていきました。しかも、歌を歌いながら。
「~あおばのみやこよ。嗚呼東北学院~」
「酔漢、学院の校歌だべ」
「俺、初めて聞いたっちゃ!」
ドアが開いている間中、そのおやじの声が聞こえておりました。
「学院のOBすかや?」
「んにゃ、先生ってことも考えられっと」
終点、西塩釜駅、着。
酔漢、本塩釜が最寄でしたが、7分待ちでは、歩いても変わりません。一緒におりました。
「んだとも、教えてもらったのと一緒だっちゃ」
「んだ、んだ」
僕らは、顔を見合わせると、大声で笑いました。
昨年の夏、丹治氏との飲み会(毎度、毎度の事)
「あのおやじの正体」で盛り上がりました。
それにしても、「ただもの」ではない「ちょこざいな(失礼します)おやじ。否、酔払いでした」
仙石線。下駄電が走っていた時代です。
何、「試験の準備で忙しいからまた後にしてくれ?」ですか。
遠慮のない後輩で、すみません。ね、丹治先輩。
タイトルをご覧の皆様、酔漢と丹治(敬称略いたします。ご容赦)で、どうして「東北学院」なのかって?いやいや、二人が電車の中で出会った、僕らが思うところの尤も「格好いい酔払い」のお話をさせていただきます。
丹治先輩、中学校時代、「吹奏楽部」に所属いたしておりました。パンカッション担当でした。五橋中学校、あの「合唱部」が有名な中で、「吹奏楽部」もかなり頑張っておりました。酔漢も所属はいたしておりませんでしたが、個性的な?先輩方が多くおりましたこの「吹奏楽部」が好きでしたし、部室にはよく遊びに行きました。同学年に中のよい友人が大勢おりましたしね。こじま君はトロンボーンを担当しておりましたが(五橋名物こじま三兄弟の末弟です。小学校・中学・高校となぜか一緒でした→過去ブログ「東二番丁小学校編」にて)同じクラスにおりましたし、酔漢1年生時、当時三年生には、かんの先輩がおりまして、同じ塩竈組みでしたので大変かわいがっていただきました。(ちなみにお兄様は有名なピアニストでいらっしゃいます。酔漢の叔母を含めて「『のだめ』のようなもの」のお話は後日)そんな吹奏楽部ですが、練習はかなり厳しいものがありました。そうそう女子メンバーがこれまた凄くてネ、ホルンのまりちゃんや、サックスのあきこちゃんとか、かおるこちゃんとか、ライジングスターオーケストラでもやっていけたんじゃないかな?
そして、ある日の木曜日です。
酔漢、錦町にありました英学塾の帰り、仙台駅でバッタリ下駄の御仁 丹治道彦さんと会ったのでした。
「酔漢、塾の帰りか?」
「んだっちゃ。先輩は?」
「部活の練習だべ」
「んだから、あきこちゃん遅れてきたんだなや」
解説→優秀なあきこちゃんは、酔漢と同じ英学塾(英語塾じゃぁないんです)に通っておりましたが、部活の練習が佳境に入ったときは少し遅れてくるのでした。ですが、実力のある彼女ですから、予習は完璧。あの堀見先生も一目置いております才女でございます。
時間は、午後7時近く、帰宅を急ぐサラリーマンで仙台駅は少し込んでおりました。
「西塩釜行きに乗っていっか?」
「んだね、座れっしな」
いつもの通り、前から2両目の車両へ乗りました。
西塩釜止まりの電車でしたので、陸前高砂駅を過ぎますと、かなり人は少なくなっておりました。
たわいもない話(いつものこったっちゃ)を続けておりましたが、ふと今日の英語が気になった酔漢でした。
「先輩、次の予習してぇんだけんど、いかすか?」
「んで、どこ?俺さぁも見せてけらいん」
というわけで、英語の勉強を始めました。
「これ、ここんとこ、どうにも訳できねぇでいんだおん」
「この単語なんて訳すんだべ」
ああでもない、こうでもないと二人してやっておりますと、向かいの席で寝ておりました酔払い(今では酔漢ですから、同様かもしれません。。。)がおもむろに起き出して来ました。そしたら、いきなり僕らのテキストを覗き込んできました。
酒臭いぞ。と思った瞬間
「なんだ、五橋(『ごばし』と発音しました)の生徒が二人、雁首揃えてそんな問題もわからないのか」と、僕ら二人の顔をしげしげと眺めながら言ってきたのです
僕らはあっけに取られました。返す言葉も失った!
しばらく、問題を眺めていたかと思ったら次の言葉はこうでした。
「解らない単語なんて、考えていたって出てきやしないだろう。あたりめぇだ、知らねぇんだおんな。したらば、前後の文章から、考えんでねぇのか?おめぇらそんな事できねぇんだったら一高(『いっこう』と発音しました)なんかさは、入れねぇど」と。
そう言うと、また向いの席に「どすん!」と音を立てて座ったのでした。
「いう通りかもしゃねぇど、親父もおんなすぃ事言ってたおん」(丹治さんのお父様は東北大学文学部独逸語学科の先生でいらっしゃいました。ちなみにあのノーベル賞受賞の科学者を独逸語で落第させたとのうわさがあります「おにたん」です。失礼しました。事実不明!?)
「んで、先輩この文章こうなんのすか」
「んでねぇか」
と問題は解決しました。
電車は多賀城を過ぎ、下馬駅に到着。向い席の酔払いは、身支度をしております。
どうやら、下馬駅で降りるようです。
席を立ちながら、僕らの方へ再び顔を向けました。
ニヤっと笑うと、ホームへ降りていきました。しかも、歌を歌いながら。
「~あおばのみやこよ。嗚呼東北学院~」
「酔漢、学院の校歌だべ」
「俺、初めて聞いたっちゃ!」
ドアが開いている間中、そのおやじの声が聞こえておりました。
「学院のOBすかや?」
「んにゃ、先生ってことも考えられっと」
終点、西塩釜駅、着。
酔漢、本塩釜が最寄でしたが、7分待ちでは、歩いても変わりません。一緒におりました。
「んだとも、教えてもらったのと一緒だっちゃ」
「んだ、んだ」
僕らは、顔を見合わせると、大声で笑いました。
昨年の夏、丹治氏との飲み会(毎度、毎度の事)
「あのおやじの正体」で盛り上がりました。
それにしても、「ただもの」ではない「ちょこざいな(失礼します)おやじ。否、酔払いでした」
仙石線。下駄電が走っていた時代です。
こんなことがありました・・・
いつも小生の近くに座っている女子高生二人が、今朝は英語の勉強中。
「ねえねえ、関係代名詞の次に名詞が来るパターンってあるのかな」。「それじゃ同士が来るパターンは・・・」。
(そういえば英文法の問題集なんかに、「それぞれの分の関係代名詞の用法を答えよ」なんて問題もありましたネ)。
小生も高校時代浪人時代には、さんざん悩まされました。嗚呼、関係代名詞・・・
関係代名詞の直後に名詞が来るのは、その関係代名詞が所有格の場合(この組み合わせが全体で守護か目的語になる)。もう一つは関係代名詞が目的語の場合(関係代名詞の後が代名詞の場合もあり)。関係代名詞直後の名詞が主語になる。直後に同士が来るのは、関係代名詞自体が主語の場合。
「要は関係分の中で、関係代名詞がどんな働きをしているかだよ。関係代名詞の次に何が来る、じゃなくて、関係代名詞そのものの働きに注意してごらん」。
相話しかけたい気持を辛うじて抑えた丹治でありました。
ここまで自分の頭を整理できたのは、教師稼業に就いて何年も経ってからですけど・・・
「単語の意味がわからなかったら、前後との関係で推測しろ」。
遠い昔、僕らに教えてくれた学院OB氏の気持が何となく分る昨今です。