酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

小学校の頃  テロと名人とリボンの騎士と、さとうくん その2

2007-02-09 17:15:26 | 塩竈小学校の頃の話
放課後、僕等は先生(エツジ)の言う事も聞かずに、学校の裏門から社会的に(国際的に)大きな事件を起こした、犯人の実家を見に行きました。家の前は黒塗りに各新聞社の旗をフロントに取り付けた車でいっぱいでした。さすがにあの時代、テレビのリポーターはおりませんでしたが。それと警察のパトカーが数台止まっていました。家は雨戸で締め切られ、当然中の様子は見えません。近所のおばちゃん達など野次馬が遠めで眺めている様子でした。
「何あったんだべか」としんどう君が言いました。
「お父さんに聞いたら、赤軍の起こした事件だって」隣にいたよしみちゃんが答えてました。
「赤軍ってあの浅間山荘とおなしかや」「んでねぇか」
僕等は、その事件の真相を知らないまま、事の成り行きを見ていました。
そこに、巡回で来ていた、エツジが後ろから声をかけてきました。
「おまえら何してんだ。さっさと家に帰らなくてダメでねぇか」
「先生も見に来たのすか?」
「ばか、お前らのこったから野次馬さなってねぇか心配してきたのっしゃ」
「ほんとかや」
エツジも実は見たかったのかと僕等は思いました。先生はそれ以上は何も言わず黙って見ていました。
数十分くらい経ってエツジが口を開きました。
「教頭先生がまだ新人先生くらいの頃、5年生のクラスさ、犯人だった子供がいたんらしくて、かなり頭よかったんだと。んだって大学は慶応だもんな。高校はたしか三高だったんだと」
「今その教室はあんのすか」
「木造校舎の一番端っこだって言ってたな。ほれ今の四年1組の教室だと」
「んで、あれだっちゃ、ほれ何てったけか、将棋の名人」
「ナカハラ マコトの事か」
「んだ、去年学校さ来た時、そんな話してたべ」
「おれもいた。んだ、んだ」

夜、家に帰ると夕飯の時はその話題で持ちきりでした。母はあそこのお父さんは学校の先生(小学校ではなかったと思う。たぶん高校か中学)だったらしい事。中学校でも、成績はかなり良かった事など。7時のNHKニュースでも連合赤軍がオランダで起こした大使館襲撃事件(ハーグ事件)を連日報道しておりました。
今その犯人の実家だった場所には、別な住宅が建ち、近所の人たちも当時住んでいたワコーさんの事は語らなくなりました。
僕等の応援していた(当時仙台がフランチャイズ)ロッテオリオンズが仙台で胴上げする少し前の事でした。

上記内容を訂正させていただきます。
「母はあそこのお父さんは学校の先生・・・・」とありますが、実際には
「東北造船設計科」にいらしたそうです。
過去にさかのぼりまして、ここに訂正させていただきます。
尚、本文内容につきましては、このまま掲載とさせていただきます。
お読みになられました方々にはこの場をかりましてお詫び申し上げます。
2008年2月23日 午前11時50分。 酔漢拝

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