酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

小学校の頃  テロと名人とリボンの騎士と、さとうくん その1

2007-02-01 16:28:08 | 塩竈小学校の頃の話
この話を書くのに、題名をどのようにしようか、悩みました。一つの教室が僕等と3つのキーワードを結びつけていましたので。で、いろいろ考えた末、そのままタイトルといたしました。今日はそのはじめ、ものすごい事件(社会的な)が起きたその日が始まりです。

 1974年、僕等は小学校6年生でした。最初の話にも書きましたが、当時塩竃市立第二小学校は児童数が多く、宮城県では岩沼第二小学校に次ぐ人数だったと記憶しております。僕等は6年7組。さとう君と夕べのラジオの話題で盛り上がっておりました。そうそう 9月の半ばのことでした。
「酔漢、昨日のキンドン聞いたか?」
「聞いた聞いた。なんとかしてくれ 最後だったべや」
「あのジャンプ賞 本当におもせかったなや」
「 なんとかしてくれ・・・なんとかしてくれ・・・なんとかしてくれ・・・
・・・・・・・・・・・(かなり繰り返す) おとうさん家の九官鳥 なんとかしてくれーぇ」
「俺、布団かぶって笑い転げてしまったなや」
「酔漢、これ見れや」 さとう君はノートに書いた得意の漫画を見せてくれました。「さすが、さとう君だなや。昨日のキンドン もう漫画にしたのか」
「んだ。わりかしおもせぇべ!」
さとう君は本当に漫画の勉強をしていたのでした。とりいひさよしの「トイレット博士」のマタンキ団のバッチを作って酔漢にくれたこともありました。
「エツジ きたどぉ。(エツジは先生の名前)はやぐぅ席さぁ着け」教室の外で見張りをしていた、しょうじ君が教室に入って来ました。
「いつもよりおそぃんでぇねぇか」「何かあったのかやぁ」教室はあわただしく、そして、エツジが扉を開く頃には、教室は水を打ったように静かになるのでした。そして、その日のエツジはいつもより険しい表情で教室に入って来たのでした。そして、口を開くなりこう言いました。
「今日、講堂から先、梅の宮、文化の方さ帰ぇる時、集団登校で帰ぇるようになるからっしゃ。5時間目すぎたら、各子供会ごとに集まるように。詳しいことは後で放送すっから、ちゃんと聞いとくんだぞ」
「先生、なにかあったのすかぁ?」誰からともなく質問の手が上がりました。
「校長先生(木下先生)からは、あまり話すなとは言われていたんだけどや。おめぇら、あんますぃ大きい声で話すんでねぇど」
「もったいぶんねぇで話してけさいん!」
「オランダって知ってか?その国に連合赤軍が行って、大使館ばおそったんだと。ほして(そして)その犯人の家が・・・こいづは俺もしゃねかったんだけんど・・プールの方から梅の宮神社さ歩いていぐと橋あっぺ。そっから見える家なのっしゃ。曲がり角の正面の家なのっしゃ。んで、今日、新聞社の車だのいっぺい通っから注意しねぐてねぇどぉ」
「んで、先生、そいづはこの小学校さぁいたのすが?」
「そうらしいどぉ」
「わたすぃ知ってる、家の三つ前の家!」
「まきこは特に気ぃつけて帰ぇんだど、表から行けねかったら、裏道通れ」

先生の話したとおりになりました。小学校の脇の細い坂道は、にわかに新聞社
マスコミ関係の車でいっぱいになりました。
                続きます

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