酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

仙石線での通学 もう少しだけ電車の話

2007-10-05 00:57:19 | 仙石線の話
 高城町駅始発電車。7時12分本塩釜駅発。6時57分に乗り遅れますとこの電車に乗らなくてはなりません。この電車に乗って、次の西塩釜駅で降り、7時20分、西塩釜駅始発の電車を待って座って通学するという技を使ったのは、酔漢高校に通ってからでした。そして、酔漢はこの7時12分本塩釜駅発仙台駅行きの電車が嫌いでした。それには2つの理由がありました。一つはサラリーマンで混んでいる事、そしてもう一つは、かつぎやのおばちゃん達が車座になって陣取って電車の中で朝ご飯を食べていることでした。だったら、「かつぎ屋さん達がいない車両に移ればいいんでないかい?」という声も聞こえますが、そうでない車両は、今申しました通り、サラリーマンで一杯なのと、とても長い学生服を着た、宮城野原駅前高校(別に他意はございません。叔父はOBです)に通う高校生がやはり恐かったからでした。
ですから酔漢自身は、しかたなくこの電車に乗らなくてはならない時は、またまたしかたなく前から3両目に乗っておりました。
かつぎ屋のおばちゃん達は、でかい弁当箱を広げておりました。おかずは、みんなして持ち寄っているらしく、そこだけが、通勤電車にはない風景を作りだしておりました。
雪が降り、電車も時間が遅れたある日の事です。
本塩釜駅改札を出たと同時に、6時57分発仙台駅行きが発車いたしました。
「なんだやついてねぇっちゃなや」と思い、次の7時12分に乗る事にいたしました
前から3両目、4つドアの2番目、電車の鉄柱のあたりでいつものおばちゃん達が4人、車座になってごはんを食べていました。僕はサラリーマンがいる窓際からちょうどおばちゃん達が車座に座っているそばで立っておりました。
つり革は背伸びすれば届くようになっておりました。
その時、一人のおばちゃんが僕に声をかけてきました。
「あんだ、学校さぁ行ってのすか?」
おばちゃんは、おおきな背負い籠(トタンで出来たような銀色の箱)に寄りかかりながら、話かけて来ました。するともう一人のおばちゃんも「いつも、はやぐぅから電車さ乗るやろっこがいると思ってたおん。なして電車さぁ乗ってんのがぁと思ってたっちゃ。あんだどこの学校さぁ行ってのすか?」
周りにおかまいなく大きな声で話しするこのおばちゃん達のインタビューを急に受ける事になった状況に僕は思いっきり緊張しました。日ごろから「あんたは仙台から小学校に通っていることになっているんだから、どこから通っているかって聞かれたら、たまたま塩釜から今日だけ電車に乗ってると言いなさい」って言われておりました。しかし、ほとんど毎日電車の中で顔を合わせているおばちゃん達です。そんな言い逃れは通用いたしません。
僕は周りを気にしながら、小声で答えました。
「仙台の小学校さぁ行ってる」
「なして、また仙台さぁわざわざ通ってのすか?」
毎度の質問です。僕が仙台の小学校に通っていることに驚いた大人たちは決まってそう質問するのでした。最初に通い始めたとき、本塩釜の改札の駅員さんにも聞かれました。僕が答えに困っていると、もう一人の(3人目の)おばちゃんがお茶をすすりながらこう言いました。
「あんだ、わかんねぇのすか、このやろっこは、頭いいから、塩釜から仙台の小学校さ通ってんだっちゃ。6年生なんだべ?(僕に振られても。。)来年五橋だっちゃなや」
複雑な家庭の事情を話してもしょうがないし、かと言って塩釜から五橋中学校に通っている先輩達(この時点ではまだ誰も知りませんでしたが)の成績の良さを思いますと、こう思われてもいたしかたがないのかもしれませんが。
僕は顔から火がでそうなくらい、恥ずかしい思いでした。でもようやく、口を開きました。
「俺そんなに成績よくねぇおん。ただ仙台の小学校さぁ通っているだけだっちゃ」
4人いたおばちゃん達は一斉に大笑いでした。
多賀城を過ぎ(この当時まだ中野栄はありません)陸前高砂でまた電車は混み始めました。乗ってきたサラリーマン達はおばちゃん達を避けるかのように、立っています。考えれば、おばちゃん達のそばにいるから、僕はサラリーマンのお尻に顔を潰されないでいられるのかもしれません。僕が少しだけ、話したものですから、おばちゃん達はあれこれ話しかけてきました。
「だれ、小学生が一人して電車で学校さぁいぐんだおんねぇ、ちゃんと朝ご飯くってきたのすか?」
「今日はパン食べてきたっちゃ」
「ほれ、今日は寒かったすべ。おちゃっこ飲んだらいいっちゃ」
水筒から番茶(これがものすごく渋かった)を出してくれたので、僕は悪いと思い飲みました。とたんに電車が ガタン 急ブレーキ。お茶を吹き出しました。
そこでまた大笑い。
電車は宮城野原駅に止まるところです。
「そんなかさぁ何へぇってのしゃ?」と気持ちがほぐれたからでしょうか、籠の中が気になっていた僕は聞きました。
「こいづかぁ、魚とか海苔とか、仙台の団地さぁ回って売ってのっしゃ。ほれ、新海苔。いいにおいだすぺ」
考えればこの車両中、魚だの海苔だの臭いが充満しているのでした。
やはりどうりで、ラッシュ時間の割りにはすいているわけです。
「ここさぁは焼きたてのかまぼこさぁ入ってんだべ」
もう一人のおばちゃんがかまぼこを見せてくれました。
「あんだ持っていぐかぁ?」
「だめだっちゃ、だれこの人、昼は給食だっちゃ」
「んだなや、わすれったなや。おらほの孫とおんなしくれぇだおん」
おばちゃんは、この笹かまぼこを少しだけちぎって僕にくれたのでした。
「うめぇかったなや」(酔漢談)
今考えると、異様な電車の中の様子です。でも当時、だれも咎めはいたしませんでした。かなり迷惑だったんだろうと思うのですが、おばちゃん達が電車の中にいる風景が自然な時代だったのかもしれません。
ですが、気づいた頃には、かつぎ屋のおばちゃん達は姿を消しておりました。
魚臭いあの仙石線の車両は、今じゃ考えられない光景でしょう。
酔漢、下駄電(73系?)と魚の臭いがワンセットとなって、当時の記憶があるのでした。

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2 コメント

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床に車座 (クロンシュタット)
2008-06-07 06:00:07
仙石線は松島への観光路線ですから、昼間は特に観光客が目立ちます。
高校生の頃(つまりは酔漢さんの五橋時代)の体験談ですが、夕方前の下りの車内でした。
車座軍団が一升瓶に刺身の盛り合わせまで揃えて宴会が始まりました。
それに加えて当時は「エンヤードット」の車内BGMと観光案内放送もあったもんですから、10人ほどの車座軍団は大盛り上がりです。
それで、私にも紙コップが回ってきたんですねー。
そりゃ法令順守精神に満ち満ちていた私は、「刺身には」手を付けなかったのですが...
結局、松島海岸までの乗り越しとなりまして...
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車内で見た風景 (クロンシュタット様)
2008-06-09 16:01:23
ある酔払いが、ボックスシートの車両に入って来ました。刺身の盛り合わせを持って。
その盛り合わせを自分の座席の隣に置いたまま寝込んでいました。
苦竹あたりで人が少しづつ入り始めました。
ある男が、その空いている?席に座ろうと、寝ている男に声をかけたのでした。
「その、荷物(刺身盛り合わせ)どけてくれませんか」と。
その男、起き上がったと思ったら、次の台詞をいいだしました。
「俺はいっこうにかまわないが、座りたがっている『お刺身さん』はどうするの」と。
周り唖然!

けんかにならなくてよかったなぁ
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