酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

下駄を鳴らして奴が来た!わらいかわせみの声

2008-01-18 11:49:50 | 仙台中学校の頃の話
ぞうやきりんが何かなって(覚えておりませんが)その後は歌のつづきです。
「わらいかわせみに話すなよ。ケララケラケラケケラケラとうーるさいぞぉー」
NHK「おかあさんといっしょ」で歌われた歌でした。酔漢の頃は小鳩くるみおねえさんでしたが(アタックNo1でこずえの声優でしたよね)幼稚園の頃、このわらいかわせみの「ケララケラケラケケラケラ」とは、一体どんな声なのか、大変興味があったわけです。ある日どんな声か幼稚園(正しくは、無認可のところでしたので、「幼児園」でした。今はありませんが塩釜小松崎にありました「あさひ幼児園」です)のもんま先生に聞いたことがございました。
「外国の鳥だから日本にはいない」と、「だれもまだその声を聞いたことがない」と二つの答えが返ってきました。
「だれも聞いたことのない鳥の声が、なして歌さぁなってんだべなや」
素朴な疑問でした。
ところが、ある日テレビを観ておりましところ、あるコマーシャルが突然
「ケケケケケケケケケケケケケケケケッケケケケケッケ・・・・・・」との音を流しておりました。
「なにっしゃ?なんだべ?」
「ラジオオーストラリアはこの声で始まる。ソニー、スカイセンサー」
ラジオのコマーシャルなのでした。
酔漢小学校6年のときです。
初めて、海外日本語放送の存在を知りました。
酔漢、すでにラジオを聞いておりました。小学校時代に誕生日に塩釜「伊勢模型店」で安いラジオを買ってもらってから、ラジオにはまったのです。また、初期の「キンドン」を聞いておりまして(昨年ブログで「小学校の頃」で紹介しましたが)小学校の同級生とその話題が、朝の挨拶だったわけです。
教えてくれてのは「さとうただし」君でした。(漫画家のただし君です。「少年ジヤンプ回収騒ぎの張本人」とされておりますが、その件は、皆様のご意見も頂戴しながら書きたいと存じます)ですから、ラジオにはある程度興味がありました。
(もちろん「ジャンリク」は欠かせません→当時の深夜放送を語り始めますとまたブログのテーマが脱線しますので。。イルカ・鶴光・大石吾郎・団十郎・タモリ・・わーいっぱいだぁ)短波は小学校の頃、家庭教師のこがわ先生が電波の話をした時に自宅のラジオで、「アマチュア無線の傍受の仕方」なるものを教えてくれてましたので(過去ブログ「家庭教師が来た!」をお読み下さい)ある程度知識もありました。ですが、このコマーシャルがとても新鮮に見えましたし、自分でも、実際に聞きたいと思ったのでした。
五橋中学校入学。これまで、庭球部をはじめ、部活動の事をお話してまいりましたが、本日はクラブ活動の事です(今日は、事の他、前振りが長くてすみません)
「今年から『ラジオクラブ』が出来ました」とのクラブ紹介でした。
酔漢アンケートに第一希望「ラジオクラブ」第二希望「落語研究会」第三希望「天文クラブ」と書いたのでした。同じクラスの塩釜組、ささきひろし君もラジオクラブ希望でした。BCLがブームとなった年です。
僕らの世代にとって「BCL」という響きは極めて懐かしい思いがありますよね。やはり火をつけたのは先の紹介しました「ソニースカイセンサー」のCMだったと思うのです。みんなあたらしいラジオを買い始めておりました。
ソニースカイセンサー・ナショナルクーガがそれぞれ新モデルを発表し、BCL専用のラジオが電気店の店頭を飾っておりました。それこそ今の携帯やPCが店頭にあるようにです。
ちなみに酔漢は「ナショナルクーガ118」を買いました。はっきり失敗したと思いました。その後すぐに「クーガ2000」が発売され、「直ダイメカ」が搭載され、これまでどちらかと言えば「追っかける」(放送局の周波数)イメージのあった選局を「迎え撃つ」に変わったのですから。ですが、今でも健在です。
ラジオクラブの活動は、もちろんいろいろな海外放送を聴いて、レポートを書き(これまた、専用のフォーマットレポート用紙が売っておりました)各放送局の発行するベリカードを収集することが目的だったわけです。
「昨日、北京放送からあたらしいデザインのベリカード届いた」
「どれ、見せてけらいん」
「今までで一番きれいなんでねぇかや。パンダと竹が切り絵になってっと」
てな具合です。
とよま君は学校の近くの病院件自宅におりましたが、ご自宅の屋上に逆Lアンテナを張り、愛用の「トリオR-300」でもって、かなりのハンターでした。直付けのアンテナのない機種でしたが、これがまた高性能、万能機種で無線機のようなボディーが、またそそられるラジオだったのでした。
「昨日、電波の状態よくってさぁ、エクアドルが微妙に聞こえたんだよね」
「アンデスの声すか!あれは、入らねぇって思ってたっちゃ」
そんなかんかクラブ活動は、進んでまいりましたが、ある日のことです。
「今日、すげぇ放送聴いたぞ」みくりや君です(漢字わかります?)
朝一彼が興奮して教室に入ってきたのでした
「何かあったのすか」と酔漢。
「北京放送聴いてたら、『毛沢東』が死んだんだって」
「本当かや。んでもNHKでもニュースやってねぇっちゃ」
「まだ外電さぁなってねぇんでねぇか」
「んで、学校で一番早く知ってるってことでねぇか」
彼は黒板に日直登板の上、日付が記入されているところに「本日『毛沢東』死去」と書きました。そこへ担任「さとうかずお先生」(担当理科)が入ってきたわけです。
「ほんとか?んでも、中国のことだから間違いでねぇのか」とか言いました。
お昼のNHKでも情報は放送されず、ニューストップになったのは翌朝の事です。

「みくりや君、すげぇなや」
「BCLでもやってなきゃわかんねぇおんな」
彼の興奮した顔と話ぶりは今でも覚えております。

ラジオクラブなんてあったのが、なんとも「五橋らしい」ところでした。文化祭当日、これまで「鉄道模型クラブ」が使用していた「技術家庭室」を、その年だけ「ラジオクラブ」が使ったのでした。

情報を得るだけだったらインターネットの方が早いのですが、選局ダイヤルに神経を尖らせて、耳を澄まして、目的の周波数を探す。あの緊張感がたまらなかったなや。自分自身で「ケケケケッケ」を聴いた瞬間。「やったぁー」と、叫んだ酔漢です。「おめぇ、中間考査近けぇんでねぇか」そう怒りなさんな、親父どの。

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