酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

下駄を鳴らして奴が来た!珍答物語?

2008-01-22 11:44:37 | 仙台中学校の頃の話
「分助君は、しかたなく、おかあさんの赤いかさを学校へ持っていくことになりました。・・・(中略)・・・しかしそれををささずに学校までいくことにしました。」
もんだい「『それ』はなにをさすのかこたえましょう」

忘れもしません、小学校3年生時、国語のテストの問題です。東京書籍掲載、確か「ぶんすけくんのかさ」(だったと思います)からの出題でした。今は考えることなどなく答えは「かさ」と書くところですが。(あたりめだっちゃ)
酔漢の思考の経過をお話いたしますと、こうなるわけです。
「何ば『さす』って、雨降ってんだとも『かさ』だべや。(ここまでは正解)んでも分助君は、『かさ』ばささねぇで学校さぁいったっちゃ、他にさすもん持ってたかや」となったわけです。そして「『かさ』ささねかったら『ゆび』しかねぇべ!」
んでこいずが答えだっちゃ酔漢の答え「ゆび」でした。
運の悪い事に、その後すぐPTAの学級懇談会なるものが催され、それを聞いた母親がショックだったらしく、すぐさま「宝文堂」から小学生向き「国語問題集」なるものを買って来ました。「なして、そんな簡単な問題もわからないの?」となったわけです。
「そんな事言われたってしゃねぇおん」と開き直った酔漢でした。同じミスを後程、またしでかしまして。(もっと始末に負えない珍答)
「・・・(略)・・・りんごが落ちていました。ひろし君はそれをひろいました」
問題「・・『それ』は何をさすか答えましょう」
酔漢思考の過程・・「『りんご』は何ばさすんだべか?『さす』っていったら包丁だべ。皮むくときつかうおんなや。んで答えは『ほうちょう』だべ」
答え「ほうちょう」
問題集にあった問題でした。母親キレました。

問題の意味さえ分かればなんてことない問題です。ですが、それがよーーく解ったのはそれから後の事でした。

さて、下駄の御仁へのメールです。
「先輩、『中学時代の珍答』あったら、ネタ下さい!」
「あるにはあるけど、朝テストがらみが多いなぁ」
思い出しました。五橋名物10分間朝テストです。
月~金まで毎朝10分間テストをするわけです。各班ごと自分以外の人の採点をするわけです。ほんとうこれには「珍答の嵐」でした。

例1「『けれども』を使って短い文を作りなさい」
珍答「ウルトラマンはゼットンを倒したかった、けれどもウルトラマンはゼットンに敗れたのだった」
解説 これはこれで正解だなや。
例2「ろ紙を使った、色素分析をなんというか」
珍答「クイントリックス」
解説 正解は「ペーパークロマトグラフィー」だっちゃ。当時、ぼうやさぶろうとチョンパンジーの掛け合いのCMを思いだしたんだっちゃなや。
例3「ダイヤモンド産出量が世界一の国名を書け」
珍答「南アメリカ共和国」
解説 社会科教師「よしのばっぱ」(あだ名は『キンドーさん』→先生、あだ名があるって事はみんなから好かれてるってこったっちゃ。)が、「南アメリカ」って国があるか」と言って答案を返してきた。とのうわさがございます。(丹治さん、本当ですか?)
例4「ポーツマス条約を締結させた外務大臣の名を答えよ」
珍答「小林寿太郎」
解説 これ、酔漢自身です。見直しをしましたが、頭の中ではしっかり「小村寿太郎」となっておりました。なしてだべ?
例5「このように、あさがおを光を遮断して栽培する方法をなんというか」
珍答「しゃこさいばい」
解説 本人は、「遮光栽培」が漢字で書けなかったんだべな。ですが、ひらがなの「う」ば忘れたんだべ。んでも「しゃこ」は光ねぇから逆にいいかもしんねぇべ。

もんま君は中二の同級生でした。彼「国粋の生き残り」を自称しておりました。中学、高校と応援団です。一高では副団長だった男でした。彼はそれがらみ?の珍答を残した男でした。珍答ではないのですが、公民の授業中です
「日本国憲法上主権はどこにあるか」という先生(よしのばっぱ)の質問に対して、もんま君は「天皇主権」と平気で授業中に答えたのでした。
「大日本帝国憲法の話じゃぁなぁぁぁい」と当然、よしのばっぱは怒るわけですが
「もんまに聞くほうも聞くほうだべ」と僕らは思ったのでした。(もしかしたら、先生も知ってて、聞いてんのかや)そうそう、技術家庭の授業中もそうでした、宿題でだされました自動車エンジン模型作成ですが(2サイクル・4サイクルの仕組み)彼は発表時に、エンジンの解説を全て日本語で行ったのでした。
「この発動機の模型は1回転発動機と2回転発動機です。そして、これが12発星型発動機の模型です」
「もんま君、ちゃんと『エンジン』で説明しなさい」
「先生、何故日本語があるのに、英語使わなくてはならないのですか」
先生沈黙。(それにしてもだっちゃ星型レシプロエンジンは教科書にねぇっちゃ。「陸軍航空機」ファンの彼らしいっちゃ)
本当に彼らしいことを思い出しましたが、彼が日直のとき、黒板に、今日の授業「第二体育館にて排球」と書いたのでした。「排球って何?」女子が聞いてきました。

息子との会話
「試験終わったって?なんかおもしろい答えなかったか?」
「んなのあるわけないじゃん」
「例えば、人名が解らなかったら『古田敦也』とか書いた奴がいたとか・・」
「親父の頃じゃぁないからね、そんなの書く奴なんかいないよ」
「なんだつまんねぇの」
「何馬鹿なこと言ってるの」(←家内の声)
「八木山にはなかった?」
「あるわけないでしょ」
人名が解らないとき、僕らの頃は「長嶋茂雄」が定番だったような・・。
長嶋さんは、応仁の乱にも鎌倉幕府にも日露戦争にも登場しておりました。

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5 コメント

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ほんとです (丹治)
2008-01-22 16:01:18
「南アメリカ共和国」の話はホントです。「よしのばっぱ」にきっちりバカにされました。
小生中三の誕生日の折「先生、教育×語を暗誦しました」と言って(今でも全文覚えてます)、「よしのばっぱ」に「バカッ」と言われました。
これは我が同期の某君なのですが、入試が近づいた時、黒板に「皇国ノ興廃此ノ一戦ニアリ各員一層奮励努力セヨ」と書きました。それを見た「よしのばっぱ」、「民主主義に対する挑戦だ!!!」と、頭から湯気を立てて大激怒しました(今思い出してもマジで怒っとりましたな、あれは・・・)。からかうと面白いセンセーだったよ。
それから歴史の時間なのですが、東京裁判の時に、小生「勝者が敗者を裁いて公平な裁判ができるんですか?勝てば官軍ということなんですか?」と質問して「よしのばっぱ」に爆発されたこともあります。

それから高校の時分なのですが、保健の試験の時、「ホルモンの定義を述べよ」という論述問題に「トンちゃん屋で食するものなり」と答えた奴がおりました。但しこれは小生ではありません。
また或る同窓生の弟なのですが、地理の試験の答案で何かの設問に「国名:ビビンバ帝国 特産品:もみじ饅頭」と答えて教師に呆れられたヤツもおります。
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追伸 (丹治)
2008-01-22 16:03:54
「エンジンで説明しなさい」の技術の先生だけど、「かんたろー」ですか?それとも「いもじゅん」?
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コメント御礼 そして その後 (酔漢です)
2008-01-22 16:58:57
なつかしいあだ名だなぁ「かんたろー」です。そうそう地理で思い出したのは「促成栽培」を「足成栽培」と書いたのとか(それで○つけて儲けた奴を知ってます)先のもんま君ではないのですが(当然彼はそうでしたが)試験に出てくる国名を全て漢字で書いた奴がおりました。「瑞西」とか「諾威」とかまで書いてました。ですが、「よしのばっぱ」が授業中に「こんなの読めるか!ちゃんと読めるように漢字で書け!」と言ったもんだから・・・大爆笑でした。  ちゃんちゃん。
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「よしのばっぱ」といえば・・・ (丹治)
2008-01-25 12:10:42
「よしのばっぱ」といえば、こんなこともありました。地理の時間だけど、中華人民共和国に「新疆ウィグル自治区」ってのがありますね。その「新疆」を彼の国の言葉では「シンチャン」と読むのだそうです。小生に「たかはししん」君という御仁がおりまして。「よしのばっぱ」は暫くの間彼のことを「ウィグルしんちゃん」と呼んでおりました。中近東のことをやった時には「石油でメシがクウェート!!」「石油があるから何もイラン!!!」と、あの頭のてっぺんから出るような声で叫んでおりましたよ。
ヨーロッパのことをやった時の試験で、『最期の授業』のあの地方のことを「エルザス・ロートリンゲン」と書いて「どうしてドイツ語で地名を答えると間違いになるのですか」と粘ったのは小生です(イケ好かないガキでしたね)・・・
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ああ勘違い (苦竹男)
2009-02-27 22:08:25
珍答といえば、苦竹男小4の時。理科でデンプンについての授業中。
先生「くず湯を食べたことのある人いますか?」
苦竹男(元気よく手をあげて)「はい食べたことあります。」
先生「苦竹男君はどんなときにくず湯を食べますか?」
苦竹男:「お彼岸やお盆に食べます。」
先生「???」

生粋の宮城県民ならもうお解かりですね。
目立ちたがりで知ったかぶりの苦竹男少年、くず湯という言葉をはじめて聞いたのに、「おくずかけ」を別名「くず湯」と言うんだろうと勝手に結びつけて、自信たっぷりに答えたのでした。




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