五つの橋の立つ所
彼ら五橋の健男児
抱く胸に勝ち鬨の
血潮は今や高鳴らん
応援歌一番を紹介いたしました。
応援団は旗を振ります。その振り方ですが、丁度仙台一高と逆。上から下へ振り下ろすのだったと記憶しております。(違っておりますでしょうか)
もんま君は、副団長でした。後に仙台一高応援団副団長を務めます。
2年間、彼と同級でした。
彼との出会いは過去に「仙台一高応援団に想う」で語りました。
「俺は、応援団に入る為に一高さぁ受ける」と宣言し、見事にそれを果たした男でございました。
コンパル(学級担任)が教室に入って来ました。丁度今頃の時期でございます。
(少しコンパルの事を・・・その風貌からは似つかわしくなく→先生ゴメンナサイ→美術担当です。ですが、気仙沼高校野球部OBでもあります。噂では、県大会ベスト4のレギュラーメンバーだったとか。当然野球部顧問でもありました)
「今度の三者面談で、志望校の再確認すっからっしゃ。そのつもりでいんだど!」
その直後です。
「酔漢、おめえ一高さぁあきらめるのか?」ともんま君です。
「あきらめるってそんなんでねぇのっしゃ。無理して受けてもしゃぁねぇべさ。一高さぁはこだわらねぇべ」
「おめぇ、塩竈組でねぇか。おめえだけだべ。受けねぇの」
「んだっちゃ。まぁ、受かるとこさぁ受けっちゃ」
「俺と一緒に応援団さぁへぇっぺ!」
「そいずは今じゃ無理な話だすぺ」
ここから先、彼が一高に入り、酔漢は向山へ。しかして、酔漢も応援団に入ったのでした。
こだます歌声
讃えよ友を
集う強者
日にはゆる
永久に栄冠我らのも
おお五橋 五橋
逍遙歌です。凱歌を歌えないとき、この歌を歌うのでした。
「俺、絶対この歌でエールしねぇかんな。んだから負けんでねぇど!」
試合前の彼の激です。お馴染みのセリフでした。
高校総体開会式です。東北学院榴ヶ岡高校の客席がすぐそばにございました。
見ますと「むらかみ君」がエールをしておりました。
「なんだや、むらかみも応援団だったのすか」
中学の頃、そんな匂いもなかった彼でした。二年生で同級でした。
再び、授業の再現。面白いのは社会でしょ。
よしのばっぱ登場。
「もんま、憲法の主権は誰か。言ってみろ」
「天皇です」
「何を言うかぁぁ。国民に決まってるだろうぅぅ」
「先生、一ついいですか。先生は今『憲法』と言いました。この質問が『日本国憲法』であれば『国民』と答えます。ですがその質問ではどこのどの憲法か解りません。自分の趣味で『大日本帝国憲法』の主権たる『天皇』と答えました」
「今、公民で、現憲法の話をしているんだぁ」
酔漢。「よしのばっぱもたのしんでねぇのかや?」「んだっちゃ」
です。
その上清水 影澄みて
五つの橋の名も清く
ここみちのくの仙台に
文化の泉湧きいでし
我が学び舎のあるところ
校歌です。
何年か前、校舎が解体されました。そのイベントには参加できずにおりました。
あのドームの望遠鏡はどうなったのでしょうか。
「さかい君の魂」そのものだったように思えます。
その頃にはすでに土俵場はなかったとか。中学生に安全に相撲を指導できる先生は、今いるのでしょうか。「男子全員相撲経験者」これも良き伝統だったと、今は思えるのでした。
卒業式。名前をそのまま素直に読みますと「だいあくにん」となってしまいます我らが「生徒会長」でございました。(他意はございません。ご容赦下さい)
彼の最後の言葉「この中学校で出合った我々は、その一人一人の顔を忘れる事などなく、明日に向って五つの橋を掛ける事を目標といたします(この話の前に『五つの橋』の話をしておりました)」
卒業です。
その後・・・
中学文化祭です。
自分の展示もさることながら、良く落語クラブへ遊びに行ってました。
中学1年次、当時の2年生におりましたのが「あいはらさん」です。
この人、高校でも先輩でした。
高校時、「酔漢、もう落語解禁でいいだろ。今、部員が一人しかいないんだ」
この言葉で、高校落語研究会に入った酔漢でございます。
青葉通り。「日立ファミリーセンター」前。
「ものき」を来た,大学、高校の落研部員が、大声をあげて呼び込みをしておりました風景を、見た方は大勢いらっしゃるかと思います。
酔漢もその一人でございました。
仙台の落語文化。
いよいよ語ります。
今はときめくあの声優さん。もちろん登場いたします。
彼ら五橋の健男児
抱く胸に勝ち鬨の
血潮は今や高鳴らん
応援歌一番を紹介いたしました。
応援団は旗を振ります。その振り方ですが、丁度仙台一高と逆。上から下へ振り下ろすのだったと記憶しております。(違っておりますでしょうか)
もんま君は、副団長でした。後に仙台一高応援団副団長を務めます。
2年間、彼と同級でした。
彼との出会いは過去に「仙台一高応援団に想う」で語りました。
「俺は、応援団に入る為に一高さぁ受ける」と宣言し、見事にそれを果たした男でございました。
コンパル(学級担任)が教室に入って来ました。丁度今頃の時期でございます。
(少しコンパルの事を・・・その風貌からは似つかわしくなく→先生ゴメンナサイ→美術担当です。ですが、気仙沼高校野球部OBでもあります。噂では、県大会ベスト4のレギュラーメンバーだったとか。当然野球部顧問でもありました)
「今度の三者面談で、志望校の再確認すっからっしゃ。そのつもりでいんだど!」
その直後です。
「酔漢、おめえ一高さぁあきらめるのか?」ともんま君です。
「あきらめるってそんなんでねぇのっしゃ。無理して受けてもしゃぁねぇべさ。一高さぁはこだわらねぇべ」
「おめぇ、塩竈組でねぇか。おめえだけだべ。受けねぇの」
「んだっちゃ。まぁ、受かるとこさぁ受けっちゃ」
「俺と一緒に応援団さぁへぇっぺ!」
「そいずは今じゃ無理な話だすぺ」
ここから先、彼が一高に入り、酔漢は向山へ。しかして、酔漢も応援団に入ったのでした。
こだます歌声
讃えよ友を
集う強者
日にはゆる
永久に栄冠我らのも
おお五橋 五橋
逍遙歌です。凱歌を歌えないとき、この歌を歌うのでした。
「俺、絶対この歌でエールしねぇかんな。んだから負けんでねぇど!」
試合前の彼の激です。お馴染みのセリフでした。
高校総体開会式です。東北学院榴ヶ岡高校の客席がすぐそばにございました。
見ますと「むらかみ君」がエールをしておりました。
「なんだや、むらかみも応援団だったのすか」
中学の頃、そんな匂いもなかった彼でした。二年生で同級でした。
再び、授業の再現。面白いのは社会でしょ。
よしのばっぱ登場。
「もんま、憲法の主権は誰か。言ってみろ」
「天皇です」
「何を言うかぁぁ。国民に決まってるだろうぅぅ」
「先生、一ついいですか。先生は今『憲法』と言いました。この質問が『日本国憲法』であれば『国民』と答えます。ですがその質問ではどこのどの憲法か解りません。自分の趣味で『大日本帝国憲法』の主権たる『天皇』と答えました」
「今、公民で、現憲法の話をしているんだぁ」
酔漢。「よしのばっぱもたのしんでねぇのかや?」「んだっちゃ」
です。
その上清水 影澄みて
五つの橋の名も清く
ここみちのくの仙台に
文化の泉湧きいでし
我が学び舎のあるところ
校歌です。
何年か前、校舎が解体されました。そのイベントには参加できずにおりました。
あのドームの望遠鏡はどうなったのでしょうか。
「さかい君の魂」そのものだったように思えます。
その頃にはすでに土俵場はなかったとか。中学生に安全に相撲を指導できる先生は、今いるのでしょうか。「男子全員相撲経験者」これも良き伝統だったと、今は思えるのでした。
卒業式。名前をそのまま素直に読みますと「だいあくにん」となってしまいます我らが「生徒会長」でございました。(他意はございません。ご容赦下さい)
彼の最後の言葉「この中学校で出合った我々は、その一人一人の顔を忘れる事などなく、明日に向って五つの橋を掛ける事を目標といたします(この話の前に『五つの橋』の話をしておりました)」
卒業です。
その後・・・
中学文化祭です。
自分の展示もさることながら、良く落語クラブへ遊びに行ってました。
中学1年次、当時の2年生におりましたのが「あいはらさん」です。
この人、高校でも先輩でした。
高校時、「酔漢、もう落語解禁でいいだろ。今、部員が一人しかいないんだ」
この言葉で、高校落語研究会に入った酔漢でございます。
青葉通り。「日立ファミリーセンター」前。
「ものき」を来た,大学、高校の落研部員が、大声をあげて呼び込みをしておりました風景を、見た方は大勢いらっしゃるかと思います。
酔漢もその一人でございました。
仙台の落語文化。
いよいよ語ります。
今はときめくあの声優さん。もちろん登場いたします。
来年、僕等の学年が同窓会幹事の学年。そして創立100周年を迎えます。
事件多発?でも面白かった中学校でした。
そうそう、昨日息子の中学校で「合唱コンクール」がありました。
練習を思い出しました。
中学校は五橋ですか?
同窓ですね♪
また遊びに来ます。
練習しました(笑)古典を練習するのですが、僕らの頃、学院大学を筆頭に、東北大学など部員も多く盛んに寄席を行っておりました。
福祉大は僕が入学した時、3年目。宮城教育大学は、僕も参加しながら作りました。
今あるのかはわかりませんが、個性の塊だったのでした。
これ笑えます。
今週末に語ります。
何とか、時間は作りたいと考えております。
そう思いますのは、だんだん同窓会の幹事学年が近くなったからですが・・・そして、僕らも年を取る?
それとも創作?
確か五橋は武家の町で五つの橋が架かっていたようですね。
確か一高に行った同級生は、今心臓血管外科医をやってます。 やつにはお世話になりたくないのですが先の話はどうなるかわかりませんからね。
拳銃マニアは警官になっているそうです。
なるほど、本物撃てますからね。
こんなんでいいんでしょうか?www
まさしく、そんな感じだったと思います。
少子化や学校統合、共学化。
今、「・・・高校らしさ」というものが表現されにくい環境にあるのではないでしょうか。
仙台高校が客席から飛び入りの入場行進を欠かさず行っておりました。
周りの批判も省みず。ですが「やっぱし、せんたかだっちゃ」で済むのでした。(笑)
出合いました。また数多くの事件?とも遭遇。
あの人の事やら何やらを語りたいところです。
時間を置きまして、また語りたいと考えております。来年の同窓会、幹事は丹治様の学年ですよね。是非盛大な同窓会を!
期待しております。
三年生時の二高の団長は、一年生の時机が隣りで、浅田美代子の大ファンの奴でした。彼は若くして亡くなってしまったようです。
開会式の入場行進で忘れられないシーンがあります。
スタンド中央部に差し掛かると、例の「ナチス式」の右手を上げる敬礼をするわけです。
でも、二高の連中は、右手を上げて、かつ左手で右の腋毛を隠す、そのポーズで決めてくれました。
まあ、たいがいの高校の運動部で、同じことをやらかしたら、100%ぶっ飛ばされるでしょうが、連中は事前練習までしてましたからね。
あの頃の二高は、体育会系も文化部も帰宅部も、みんなリベラルっていううか、反体制って言うのか、やたらと楽しかったです。
よしのばっぱの思い出は尽きません。こんなこともありました。午後の西日の心地よさに、ついウトウト。そこへよしのばっぱの金切り声。「丹治ぃ、資本主義の目的は何か?」「はいっ、利潤の追求です」。怒られずに済んだので一安心の小生でした。
今にして考えれば、確かによしのばっぱも楽しんでたのかもしれませんね。もんま君の言葉は実に卓見です。そして中学時代すでにそれを見通したもんま君の慧眼に脱帽します。
小生の幹部歴は高二の晩秋から。応援団の飯の数で言えば、もんま君の方が先輩なんですよ。彼の弟さんとは弟が中学校で一緒でした。
あの学校の応援歌の旗振りは、一高と二高の旗振りの中間だと思います。で、エールの型は団長のが二高の「フレ二高ー」、幹部のが一高の幹部エールの型と同じです。きっと両校に進んだ先輩が指導に来ていたからなのでしょうね。
そういえば酔漢さん、中学校の時から落研にいたですもんね。酔漢さんのいわゆる「あいはらさん」って、三年の時にあいざわ学級にいた「あいはらくん」でしょ。小生は隣の四組でした。高校でも落語をyあってたんですね、彼・・・
てらしまさんと繋がりができたのは、大学に入ってからですか?
落語の話、楽しみにしてますよ。