酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

「究極のメニュー」「至高のメニュー」そして「酔漢のメニュー」その一  何故フカヒレなのか・・・

2013-03-01 10:48:18 | ああ宮城県な話
あの震災からもうすぐ2年の月日が経とうとしております。
「故郷宮城」酔漢が最もこだわる部分。
自分の精神的な糧、思い、友人、家族・・・そして風景そのもの。風の匂い。
語り尽くせない思いばかりです。

「美味しんぼ」は初期の頃は拝読させていただいておりましたが、ある日を境にその購読を辞めました。
とくに、「日本全国味巡り」が連載されてからは、殆ど読まなくなりました。
他県の話題、その食文化を知るにはかなり勉強になった部分はございます。
「こんな食材があったのか」
目からうろこ!そう思える部分は多々ございました。
ですが、事宮城県編を読みますと、かなり大きな矛盾と無理があるように思えます。
「思えます」という曖昧な表現では、事足りない。
正直、「おかしいのではないか」こう思えるところが箇所箇所に見受けられました。
誤解なさらずに。
「美味しんぼ」作品自体を非難、否定する「くだまき」ではございません。
酔漢、この劇画から学んだ物は多い。
「雁屋哲」氏の料理への愛着、その造形の深さ。尊敬しております。
ですから、余計に「宮城の食文化」が多くの人々に正しく伝わったか。
この辺りがどうにも引っ掛かる酔漢がおるわけです。
酔漢が「どうして、どこに引っ掛かっているのか」。
このくだまきは、その部分を酔漢的私見を交えながら語るものです。
そして、「究極のメニュー」と「至高のメニュー」との対決の場に、「酔漢のメニュー」を逆提案させていただき、その判断を「くだまき視聴者皆様」に判断して頂こう。
こういう趣旨でございます。

物語は、主人公「山岡士郎」のマンションの一室から始まります。
「究極のメニュー」を担当する山岡士郎は、妻となった「ゆう子」と次回の対決(「至高のメニュー」との)の場を考えているのでした。
そこに、仙台より「ソーセージ」が届きます。
「仙台勝山館」そして、「勝山酒造社長 井澤平一さん」より届けられたものとされております。
皆様、井澤平一さんはご存知でいらっしゃいますでしょうか。
井澤社長は現役でいらして、今なおご活躍中です。本当に素晴らしい方であると思います。
仙台がスケート先進県と成り得ましたのは、この井澤さんのご尽力のたまものであると考えております。
ご自身もアイスホッケーの名手。
「勝山スケートセンター」一度は行かれましたでしょ。
仙台の食文化、酒造、スポーツ。本当に精通されていらっしゃいます。
話しは戻します。
その場面です。

酔漢ソーセージには、こだわりがありまして、もちろん「勝山のソーセージ」は存じております。
これは、本当においしい。
仙台ホテル(無くなりましたが・・)の朝焼のブレッドと共に頂く。贅沢ですが、至福。
本物はこれです。

健康的に育てられた「黒豚」。厳選された「香草」。手作りソーセージそのものの風味豊かな味。
「究極」という名に恥じない名品です。
そして、このソーセージを切っ掛けにして、「全国味巡り」の場を「宮城県」に設定致します。

「山岡士郎」の所属する「東西新聞社」は、仙台に着くなり、「勝山会館」を訪れます。
上杉にあります同会館。これも皆様よく存じていらっしゃる事と思います。
素晴らしい建築物であると同時に、仙台の食文化の情報発信基地でもあります。
結婚式会場としても有名ですよね。

その勝山会館で「山岡一行」は、井澤さんから料理を振る舞われます。
その中で「ふかひれ料理」が出てまいります。

この「ふかひれ」は、「メニュー対決の場」でも登場致します。
「至高のメニュー」において海原雄山が、「ふかひれ飯」なるものを登場させております。


この「ふかひれ」が何故気仙沼で発達してきたか。ここの掘り下げ方があいまいで浅いような気がしてなりません。
ここに酔漢的私見を述べさせて頂きたく存じます。
「気仙沼」は当然、三陸沖、金華山沖の漁場に近い有利さがあります。しかし、昭和30年代までは、塩竃、石巻の水揚げ高がはるかに大きい。
これは、漁場に近いながら、消費地への輸送手段が限られていたという地理的不利が大きな原因です。
塩竈は、水揚げ即、貨車が横付けされ、そのまま列車で首都圏へ魚を運ぶことが出来ました。
石巻にも、その施設があります。
しかしながら、気仙沼にはそれは無い。
ですから、遠洋マグロ延縄漁は塩竈の後手後手と回ります。
秋刀魚もしかり、昭和48年まで塩竈は現在の釧路を大きく離して「水揚げ日本一」でした。
これも輸送の有利さからです。
このロケーションをまずは頭の隅に記憶させておいてください。
「サメ漁」は確かに、気仙沼で盛んでした。江戸時代まで遡ります。
当時、高級とされた「フカヒレ」は、金銀と同様の価値があったとされております。
確かに、サメ(もうかさめ)は、近海まで寄って来ます。
ここで、先の輸送を逆の発想から見ていく必要性があります。
江戸から昭和30年代まで歴史を進めますが、船には当然燃料が必要です。
その燃料も同時は陸路より鉄路の方がはるかに多い。三陸の港は、船での燃料輸送が多いのですが、それも限られます。
その視点です。
塩竈が大きく発展致しましたは、沿岸地区唯一の「燃料基地」があったからです。(一本杉)。
気仙沼にもありましたが、その規模は比較になりません。
「塩竈は燃料が比較的安く手に入る港」だったわけです。
これには、大きく「亀井商店」(現総合商社カメイ)の努力によるところです。
マグロ延縄漁は「燃料大量喰い」の漁です。
掻い摘んでお話しいたしますれば「ブイとブイの間は18KM。これを8セット。縄は推進300mまで沈める」(酔漢の卒業論文より抜粋)。
沈める時、引き揚げる時、当然燃料を使います。このコストは半端ではないのです。
因みに、ここでいうマグロは「塩竈産めばちマグロ」を指します。
メバチは、マグロ類の中で一番深い処を泳いでおります。
「燃料にあまり気に掛けることがなかった」こうした処で「塩竈マグロ延縄漁」が発展していきます。
サメは、海面を泳ぎます。ですから、同じ「延縄漁」でも延縄を深く沈めることは致しません。
延縄の総距離は、メバチと同じですが、浅い分だけコストはかかりません。
気仙沼は燃料を手にするのが、塩竃より不利であるわけですから、延縄を深く沈めることは案外致しません。
「サメ」「キハダ」「ビンナガ」こうした水揚げが主だったのもうなずけます。
塩竈で「サメ」があまり水揚げされず、気仙沼には多い。
こうした背景があると、「くだまき」では見ております。
この辺りの解説がどうも中途半端ではなかろうか。こう考えました。
後程、この「くだまき」の終わりの方ですが、「酔漢のメニュー」でも「サメ料理」をご紹介させていただきます。
ですが、「フカヒレ」ではありません。
宮城県沿岸でしか味わえない、それこそ「陸前の味覚」をお届けいたします。

この「くだまき」続きます。
「酔漢のメニュー」登場の前に、「美味しんぼ 宮城県編」を検証する作業を続けていきます。

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5 コメント

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あの日に刺さったトゲを抜かなきゃ とりあえず未来はない (ある友人)
2013-03-02 14:26:28
さすがに詳しいですね。門前の小僧ってところですか。まあ私も似たようなものですが(笑)
マグロ延縄とサメ漁の関係性の指摘は極めて重要で、的を得ていると思います。
まあ酔漢さんには自明の事だからなのでしょうが、他の方に判断いただくには、もっと補足情報が必要だと思いますよ。
実はサメ専門の漁師なんてほとんどいません。マグロ延縄でサメも獲っています。ですから酔漢さんの指摘する通り、マグロ漁を抜きにサメ漁は考えられない。ちなみにサメのヒレ以外の部分は練り物に使われます。スケソウダラが獲れなくなってから特にサメは重宝されています。つまり水産加工工場をたくさん抱える気仙沼(そう遠くないところに石巻や塩釜もある)では、ヒレ以外の肉も有効活用できます。サメは軟骨魚ですから、アンモニアを分解できず日を置くとアンモニア臭がひどくなるので、新鮮なうちに処理する必要があるからです。

さて今後の論が楽しみですね。「美味しんぼ」と宮城県の関係といえば鯨漁に関するものなどもあり、私もかつて少しだけ読んではおりますが、この辺りの件になると知りません。日本は明治以降に中央集権的考えばかりが広がり、「狭い」「小さい」とばかり言われますが、歴史のほとんどは中央集権ではありません。教科書はそう書きたがりますが(苦笑)。だから地域による文化差は案外大きい。震災における住居移転などが中央官庁主導でうまく進まないのは、そういった理解の差でもあったりします。食文化にはそういう違いが色濃く残っていたりもします。それを酔漢さんがどう調理するかお手並み拝見といきます。
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Unknown (ひー)
2013-03-06 21:42:11
この本は、拝読していませんでしたが、かなりリアルに名前が出てくるんですね。
微妙・・・・・
宮城の味が勝山さんのソーセージかのような表現になっているような?

気仙沼から以北は、やはり陸の孤島と言われても仕方がありませんね。
あのリアス式の沿岸を南部の殿様は、参勤交代で江戸に向かいます。
「今はどの辺じゃ」と聞くと家来は、我が領土でいますございます。
また、暫くして「ここは、どこじゃ」と聞くと、またしても「我が領土でございます。」
殿様は、嫌になって帰ったと言う笑い話があります。
今でこそ大きな橋が架けられ渓谷を横断できますが、昔は大変苦労をした道程だったようです。
気仙沼に泊まるとよくお膳に出てきたのが、マンボウの刺身でした。網に入ってしまうそうです。
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Unknown (ひー)
2013-03-06 21:43:40
この本は、拝読していませんでしたが、かなりリアルに名前が出てくるんですね。
微妙・・・・・
宮城の味が勝山さんのソーセージかのような表現になっているような?

気仙沼から以北は、やはり陸の孤島と言われても仕方がありませんね。
あのリアス式の沿岸を南部の殿様は、参勤交代で江戸に向かいます。
「今はどの辺じゃ」と聞くと家来は、我が領土でいますございます。
また、暫くして「ここは、どこじゃ」と聞くと、またしても「我が領土でございます。」
殿様は、嫌になって帰ったと言う笑い話があります。
今でこそ大きな橋が架けられ渓谷を横断できますが、昔は大変苦労をした道程だったようです。
気仙沼に泊まるとよくお膳に出てきたのが、マンボウの刺身でした。網に入ってしまうそうです。
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ある友人君へ (酔漢です)
2013-03-15 16:17:43
コメント遅れて申し訳なし。
詳細はお電話でお話しいたしました通りです。
今後の展開なのですが、自分のメニューがどうしても「海鮮」に偏重することに気付きまして・・・・・。
メニューを思案中です!
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ひーさんへ (酔漢です)
2013-03-15 16:19:49
まんぼうですか!実は、刺身を食べた事があって、これも!とは思ったのですが、実はおいしいとは思いませんでした(汗)
釣り船で、マンボウが海面で寝ている(本当に横になっていました)のをみた事がありまして最初は発泡スチロールの蓋かと思いました。
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