酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

MILLSで

2008-06-26 13:09:11 | バーボンの話
一番丁のはずれ、本当に場末の喫茶店というか飲み屋というか、ちょっとあやしい雰囲気を漂わせて「ミルズ」は存在しておりました。
中は、アメリカンしてまして、デニスホッパー・ジャックニコルソンが出ておりました「イージーライダー」のポスターが店正面に掲げてありました。
ビールはバドワイザーが主。テーブルと椅子も、西部劇のロケで使われていてもおかしくないものです。
「カフェソコ」のコーヒーが220円。「ミルズ」は180円。「邪宗門」は260円。ミルスが一番安かったのでした。
(懐かしいでしょ!他にも「404」や「果樹園」「無伴想」「モーツアルト」「伽羅舎」かな。よく行っておりました)
でも、このコーヒー。「まずかった」というのが本音です。ローストが事の他きつくて、渋い。でもこれがここのブレンドの味でした。金のないときの待ち合わせ場所です。そうそうここの灰皿は、貝殻(でかい)でした。
さて、5時を過ぎますと、お酒タイムになりますが、ここには、面白いお酒がメニュー外で呑ませてくれるのでした。
「ピンガ」です。ブラジル生まれの物凄い強い酒です。
サトウキビを蒸留させて作ったお酒ですから丹治氏流では「おやじラムだ。ラムをくれぇー」的なお酒です。
ラムとの違いはさとうきびの搾り汁を直接発酵そして蒸留しておりますので、ラムより濃厚な風味となると言う事でしょうか。「ストレートで飲む」などと馬鹿なマネはおよしなさい。と、おばぁちゃんの小言が聞こえてきそうです。
ロシアンルーレットと言えば、「失われたアーク」でのワンシーン。これをこの「ピンガストレート」でやるわけです。
3杯づつテーブルに置いて、じゃんけんで負けた方から一分以内にワンフィンガーを飲み干す、訳です。これ来ます。
酔漢、一度、白石高校OB(彼は応援団長)で南米大好きな現薬剤師さいとう君とやりあいました。7杯目で見事轟沈。帰れぬ(塩竈に)人になってしまいました。

「今日はバーボンじゃないの?」すみません、これから語ります。
久しぶりに「しんぺい君」に登場していただきましょう。彼の得意は「ワイルドターキー8年50.5度」というお話は以前いたしました。
今日は、まるた君としんぺい君と酔漢での飲み会です。本来ならば「唯梨庵」へ行くところですが、今日は休みでしたので、「変なところで呑もう」となりました「ミルズ」でございます。
「酔漢、もちろんバーボンあるだろう?」
「あると思うよ。あれでなかったら、おかしいでしょ」
「そうだよな。雰囲気からしてあるはずだっちゃ」
と言いながら、ミルズ着。
最初はビールとナッツで盛り上がりまして。
「すみませぇーーん。バーボン何あります」としんぺい君。
「あの『ジャックダニエル』ですが」
彼、目じりが上がってます。
「酔漢、しんぺい、怒ってねぇ?」
「なんだか怒ってっちゃ」
と様子を伺っておりますと
「もう一度、聞くゾ。『バーボン』下さい」
「ですから『ジャックダニエル』ですが」
「わかった、なら要らない」
ウェイターさんは帰って行きました。
「しんぺいなんじょした?」
「俺はな、『バーボン』って言ったのに、今日は『バーボン』ないってだとよ」
そうか!「ジャクダニエル」はバーボンではないんだ。と思い出した酔漢でございました。
「俺は『ジャクダニエル』でもいいって思ったんだけど」と、まるた君。
「酔漢、おめぇの口から説明してやってくれ」
と言う訳になりました。
「いわゆる『テネシーウィスキー』なんだよな『ジャック』はね。『バーボン』は『ケンタッキー』なわけだ」
「でも、とうもろこしは一緒だろ」
「蒸留までは一緒。でもねメローイングという行程がある」
「なんだそれ」
「要は炭を使ってろ過するんだ10日くらいかけて」
「結構、手間隙かけるんだ・・・」
「しんぺいこれでいいか?」
「酔漢、完璧な説明だべ。でもな俺が怒っているのはな『バーボン』って言って『テネシー』持ってきて、『テネシー』と『バーボン』の違いもわからないこの店ってことだ」
「まぁ一般にはバーボンだと思っている人も多いしね、アメリカの法律じゃバーボンだしな。今日は『ターキー』ないっていうから、たまには『テネシー』でもいいんでねぇかい?」
「すみませーん。『ジャックダニエル』下さい」
僕らは彼の好きな「ビーフジャーキー」と「ミックスナッツ」でもって「ジャックダニエル」を味わいました。

「ジャックダニエル」は、先にもお話しましたが蒸留までは、バーボンと同じです。すこし、詳しくお話いたしますと。サトウカエデの木炭を細かく砕いて、メローイング槽の中で蒸留液を通します。(「リンカーン郡製法」と呼ばれています)この間10日くらい。その後、加水し、内側を焦がしたオーク樽(新ではないようです)で熟成させる。という過程となります。
「ワイルドターキー」より軟らかい、バーボンよりフルーティーさと木の香りが強く残ったお酒となります。
この過程を2回おこなったものが「ジェントルマン・ジャック40度」です。蒸留後と樽詰め前にメローイングしております。これは、「ジャックダニエルしている味」ではありますが、本当におとなしい味ですので、酔漢には、多少物足りなさが残ります。本当は「ジャクダニエルシングルバレル47度」が美味しいです。
「ジャックダニエルブラック」(通常販売されているもの)は40度ですので、それより度数が高いのです。これこそ「ジャクダニエル」といった風味です。
ですが、どうも「エヴァンウリアムズ」(前回ご紹介)のシングルバレル程、味の一定さがないようにも思えます。「樽の癖」が微妙に出されているのでしょうか。
「エヴァ」のように、樽の種類、樽出しの日時がラベルで解るのですが。でもねボトルのデザインはこちらの方がかわいいとは思います。

「ジャックダニエル、久しぶりだなぁ。味は嫌いじゃないけどね。やはりもう少し強い方がいいな」と、しんぺい君。
「ところでここの『7』ってなんだ」と、まるた君が言っております。
「これは、ジャックダニエル氏がユダヤ人の商人と出合ったことから付いたらしいぞ。なにかで読んだんだけど、後は知らん」
酔漢、これは知りませんでした。
「なんだや、しんぺい。結構呑んでるんでねぇか」
「デニスとジャックが側にいるんだ。これだけで旨い」
彼は、皮ジャンのポケットからラッキーストライクを取り出すと、火を着けました
もちろん、愛用のジッポーです。
「この店、似合うよな」と、まるた君
まったく、この男ときたら。時たま顔出す岩手語が、また似合うのでした

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6 コメント

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懐かしい (ひー)
2008-06-26 21:08:43
邪宗門・・・なんか記憶にある店の名前ですね~。ジャックダニエル・・・勉強になりました。
仙台からタクシーで塩竈まで帰るとなると、もう一軒呑みにいけるか、ホテルにも泊ることができますよね。
いつも、あ~もったいないと思ってます。
私も財務省の様にタクシーチケット使えればな~
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邪宗門かー (クロンシュタット)
2008-06-27 06:32:37
「邪宗門」は、予備校用のたまり場でした。
...と書くと、どの予備校か、すぐに分かってしまいますね。

川内から一番丁への途中に肴町公園があります。
その隣に「ろじーな」はありました。
あの頃、一高・二高の悪ガキたちの本拠地として、ちびっと有名でした。
ファンクラブが実在したクロンシュタット見たさに、女子高生が詰め掛けた喫茶店でした。

三越そばの国分町には「ピーターパン」がありました。
昼間っから高校生が酒を飲んでいる、薄暗い店でした。
そこでの知り合いのオオトモ君やミノワ君たちが組んだバンドは、いつもライブの入りが悪く、200人がせいぜいでした。
「嵐の金曜日」でっか。

「ピーターパン」で働いていたエンドウミチロウ君とは、その後下北沢の「ガソリンアレイ」で再会しました。
4畳半フォーク歌手を目指して上京した彼に、ラモーンズやパティスミスを注ぎ込んだ結果は...
うーむ。あのように「変身」してしまうとは!
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ミノワさんはネ! (酔漢です)
2008-06-27 08:16:27
高校の先輩です。
酔漢一年生時、三年生。放送部(何故か)に所属しておりました。
チケット売らされたなぁ。仙石線で商売?してました(笑)
同学年のようこちゃん(ピアニスト)と共に、高校時代はこれから語ろうかと考えておりました。オオトモさんは仙台一中で教育実習をしてました。それと小学校の先輩だったと・・・
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ひー様へコメント御礼 (酔漢です)
2008-06-27 08:24:40
さんざん呑みまして、仙石線最終もない。
となりまして、金もない僕らは、歩いて中山まで。「誰か起きてるだろう」ってな訳です。
「と・と泊めてくれー」
こうした、酔漢の叫びに犠牲になった後輩が数知れず・・・
持つべきものは、後輩?でした。
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ナチュラルハイ (クロンシュタット)
2008-06-28 00:49:27
ミノワ君の姉貴(二女)が、私の友人(仙高)と付き合ってたんだよなー。
両方とも仲が良かった私は、山ほどの相談事に埋もれていました。
あの姉妹には、よくレコードを貸してたっけなー。
もともとは、姉貴がキーボードやっていたような記憶があります。

オオトモコウヘイの東京進出の手助けをしたのが、ヤマハでバイトしていたオオトモショウヘイでして...友人たちの間でも「あーややこしや」状態でした。

「なぜか」仙台駅と自宅の間を3~4回ほど、歩いたことがあります。
45号線とバイパスがぶつかるあたりまで歩くと、酔いは醒め、ナチュラルハイに至ります。
夜明け前に自宅にたどり着き、すぐに川内出勤と相成ります。
清く正しい高校生活でした。



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若いときは・・ (酔漢です)
2008-06-30 16:08:16
宮城テレビのあたりでしょうか。
当時、日本一長い歩道橋だった記憶がございます。それにしても、約21km(推定)ですか。
一度しか歩いた事はありません。
こんな経験は高校生ならではの事でしょうね。
(人の事は言えません・・)
返事おくれました。
ご容赦下さい。

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