故郷、宮城県塩竈市には、いくつかの日本酒蔵元がございます。最も有名なのが「浦霞」でございますが。現社長、佐浦弘一さんは、代々続いたのれんをまもりながら、新しい事にチャレンジする精神が旺盛でございます。今年、これは、丹治さんからの贈り物ではありましたが、その佐浦酒造がつくりました「焼酎」を頂きました。当然「米」から作ったわけですから「米焼酎」と相成りますが、米の香を残しながら、ほどよい口あたりで、独特な風味を醸し出しております、お酒でした。
佐浦さんのセンスが、あたらしいお酒を生み出しているのでした。佐浦さんは一流の経営者ではございますが、「のれんを守る」ことは、並大抵なことではないはずです。久しく、お会いしておりませんが、お元気でいらっしゃることと思います。
日本では、創設者からの世襲経営が、度々問題になります。「一族経営」とか「身内経営」とか、あまりいいイメージで捉えられてはいないようです。
「アメリカは、世襲の経営者は少ない」と、思われがちですが、案外、そうでもないのです。
200年、同じ家系で事業を引き継いでおります蒸留所がございます。
このお酒もメジャーですよね。
「ジム・ビーム」です。
(先週、この流れが事の他好評でしたので、引き続き同じような展開といたします)
1776年と言えば、独立戦争からほぼ1年後。(バーボンはここから始まる)
アメリカが財政難に陥り、お酒に課税をかけます。蒸留の技術を持った移民達が課税のかからない、「ケンタッキーへ移った」お話は、いろいろな場面でしてまいりました。前回「I・Wハーパー」創業者「アイザック・ウルフ・バーンハイム」さんも同様ですし、今回の主役「ジェイコブ・ビーム」さんもその中の一人でした。
「ジェイコム・ビーム」さんは、ドイツ移民の父上を持つ農夫でした。農業だけでは生活が苦しいので、みなそれぞれ独自にお酒を作っておりました。
1795年、ケンタキー州バーンズタウンへやってきました。
「ここさぁ、酒作んのにっしゃ。最高の水があったからっしゃ」
石灰岩が程よく濾過させた湧き水の話は、最初にいたしました。この程よい軟水はバーボンに非常に愛称がよかったわけです。
独自の製法と技術を持ったジェイコブさん。樽詰めのお酒の販売を始めます。
評判がよく、同年、蒸留所を創設いたしました。
それにしても、この手の話をするたんびに、歴史のあやを思うのでした。
ケンタッキーには課税がないから、多くの作り手達が移住するわけです。
そしたら、そこには、全米でも有数な軟水が湧き出る地層。ライ麦、とうもろこしが育ちやすい土地。ホワイトオークの林。などお酒作りには欠かせないものが、全てそろっていたのでした。財務長官がもしこの地に課税をかけておりましたら、バーボンの歴史は全く違ったものになっていたことでしょう。
ジャエイコブさんの孫デビットは蒸留所を移転。現在の位置になります。
そして、大発展へと導きましたのがその息子「ジェイムス・ビーム」さんでした。
この人人気者。
「やっぱし、酒はみんなしてつくんねぇぐておもしぇくねぇっちゃ」
「あんだ、樽の係っしゃ。そしてあんだは、熟成樽さぁみてけらいん」
ってな具合に分業にいたします。「ジム・ビーム蒸留所」にございます現存する熟成倉庫。外見は黒なのですが、実際は茶色です。建物自体が酵母菌で黒くなってます。これができましたのも、この頃でございます。
全てのバーボン蒸留所が苦境にたちますのが「禁酒法」です。→1919年。
「もう酒さぁつくれねぇっちゃ。建物はそのままさぁして、フロリダでみかん(オレンジ)さぁ作ってっちゃ」
「『ハーパー』がおらほは薬だっちゃ」と売り出したのとは違いました。
「みかんだけでは、だめだっちゃ。石炭堀さぁいぐべ」
多くの事業を手がけますが、上手くいきません。
「もうだめだっちゃ」と考え始めた矢先。1933年。禁酒法が廃止。
「ジェイムスさん、また酒作ってみねぇすか?」
もう70歳となったジェイムスさん。もううれしくってしょうがありません。
再び蒸留所を立ち上げました。
1960年「ブッカー・ノオさん」がスモールバッチバーボンを世に出します。この話は以前「バーボンで英語」で語りました。この人、ジャイムズさんの孫です。
バーボンの祖が「スコットランド人」と「ドイツ人」というのも、面白い歴史です
ですが、「I・Wハーパー」はとうもろこしにこだわり、この「ジム・ビーム」はライ麦にこだわっております。
酔漢は、スタンダードな「ジム・ビーム(40度)」よりかは「ジム・ビームライ(40度)」が独特な風味を味わうという意味では、好きです。「ライウィスキー」は、バーボンと違います。これも、アメリカの法律なのですが、原料の51%以上ライ麦。「コーンウィスキー」と違って、焦がしたオーク樽で2年以上熟成させるわけです。
「麦が濃い」イメージ。度数の強弱とは別に深いコクがございます。
創業以来200年の歴史をもつ、バーボン。このマークがいろいろなグッズになってます。「そそられるんだよなぁ」とくに、限定のジッポーライターは、手に入れたい逸品。だって格好いいんだもん!
塩竈本町にございます「浦霞」
創業1724年でございます。
おさらいです「ジム・ビーム」が1795年。
歴史の重みをさらに重ねておりました。
帰塩しましたら、のれんを潜ろうかと考えています。
久しぶりに、「こういち君にも会いたいな」と思いました酔漢でございます。
佐浦さんのセンスが、あたらしいお酒を生み出しているのでした。佐浦さんは一流の経営者ではございますが、「のれんを守る」ことは、並大抵なことではないはずです。久しく、お会いしておりませんが、お元気でいらっしゃることと思います。
日本では、創設者からの世襲経営が、度々問題になります。「一族経営」とか「身内経営」とか、あまりいいイメージで捉えられてはいないようです。
「アメリカは、世襲の経営者は少ない」と、思われがちですが、案外、そうでもないのです。
200年、同じ家系で事業を引き継いでおります蒸留所がございます。
このお酒もメジャーですよね。
「ジム・ビーム」です。
(先週、この流れが事の他好評でしたので、引き続き同じような展開といたします)
1776年と言えば、独立戦争からほぼ1年後。(バーボンはここから始まる)
アメリカが財政難に陥り、お酒に課税をかけます。蒸留の技術を持った移民達が課税のかからない、「ケンタッキーへ移った」お話は、いろいろな場面でしてまいりました。前回「I・Wハーパー」創業者「アイザック・ウルフ・バーンハイム」さんも同様ですし、今回の主役「ジェイコブ・ビーム」さんもその中の一人でした。
「ジェイコム・ビーム」さんは、ドイツ移民の父上を持つ農夫でした。農業だけでは生活が苦しいので、みなそれぞれ独自にお酒を作っておりました。
1795年、ケンタキー州バーンズタウンへやってきました。
「ここさぁ、酒作んのにっしゃ。最高の水があったからっしゃ」
石灰岩が程よく濾過させた湧き水の話は、最初にいたしました。この程よい軟水はバーボンに非常に愛称がよかったわけです。
独自の製法と技術を持ったジェイコブさん。樽詰めのお酒の販売を始めます。
評判がよく、同年、蒸留所を創設いたしました。
それにしても、この手の話をするたんびに、歴史のあやを思うのでした。
ケンタッキーには課税がないから、多くの作り手達が移住するわけです。
そしたら、そこには、全米でも有数な軟水が湧き出る地層。ライ麦、とうもろこしが育ちやすい土地。ホワイトオークの林。などお酒作りには欠かせないものが、全てそろっていたのでした。財務長官がもしこの地に課税をかけておりましたら、バーボンの歴史は全く違ったものになっていたことでしょう。
ジャエイコブさんの孫デビットは蒸留所を移転。現在の位置になります。
そして、大発展へと導きましたのがその息子「ジェイムス・ビーム」さんでした。
この人人気者。
「やっぱし、酒はみんなしてつくんねぇぐておもしぇくねぇっちゃ」
「あんだ、樽の係っしゃ。そしてあんだは、熟成樽さぁみてけらいん」
ってな具合に分業にいたします。「ジム・ビーム蒸留所」にございます現存する熟成倉庫。外見は黒なのですが、実際は茶色です。建物自体が酵母菌で黒くなってます。これができましたのも、この頃でございます。
全てのバーボン蒸留所が苦境にたちますのが「禁酒法」です。→1919年。
「もう酒さぁつくれねぇっちゃ。建物はそのままさぁして、フロリダでみかん(オレンジ)さぁ作ってっちゃ」
「『ハーパー』がおらほは薬だっちゃ」と売り出したのとは違いました。
「みかんだけでは、だめだっちゃ。石炭堀さぁいぐべ」
多くの事業を手がけますが、上手くいきません。
「もうだめだっちゃ」と考え始めた矢先。1933年。禁酒法が廃止。
「ジェイムスさん、また酒作ってみねぇすか?」
もう70歳となったジェイムスさん。もううれしくってしょうがありません。
再び蒸留所を立ち上げました。
1960年「ブッカー・ノオさん」がスモールバッチバーボンを世に出します。この話は以前「バーボンで英語」で語りました。この人、ジャイムズさんの孫です。
バーボンの祖が「スコットランド人」と「ドイツ人」というのも、面白い歴史です
ですが、「I・Wハーパー」はとうもろこしにこだわり、この「ジム・ビーム」はライ麦にこだわっております。
酔漢は、スタンダードな「ジム・ビーム(40度)」よりかは「ジム・ビームライ(40度)」が独特な風味を味わうという意味では、好きです。「ライウィスキー」は、バーボンと違います。これも、アメリカの法律なのですが、原料の51%以上ライ麦。「コーンウィスキー」と違って、焦がしたオーク樽で2年以上熟成させるわけです。
「麦が濃い」イメージ。度数の強弱とは別に深いコクがございます。
創業以来200年の歴史をもつ、バーボン。このマークがいろいろなグッズになってます。「そそられるんだよなぁ」とくに、限定のジッポーライターは、手に入れたい逸品。だって格好いいんだもん!
塩竈本町にございます「浦霞」
創業1724年でございます。
おさらいです「ジム・ビーム」が1795年。
歴史の重みをさらに重ねておりました。
帰塩しましたら、のれんを潜ろうかと考えています。
久しぶりに、「こういち君にも会いたいな」と思いました酔漢でございます。
噂では、亡くなられたと聞いております。
あそこの息子さんのはずですが、詳しくはわかりません?
浦霞の記事を書こうと思って店の写真は撮ったのですが、資料にしようと思った酒の本が見つかりません?
確か頑固な南部杜氏が出てきたはずなのですが、探さねば・・・
先代社長のお兄様ではなかったのかと思います。確かにお亡くなりになられております。
私の後輩が仙台市内で、中学校の教員をしておりますが、彼が県北の中学校にいた時、佐浦先生は教頭先生でした。
また、頑固な杜氏?さんですが、椎名誠さんの本(文庫)に書かれております。現在は、息子さんがその跡を継いでおられます
http://www.urakasumi.com/
ご存知かとも思いましたが、ホームページアドレスを掲載いたしました。
現社長とは、中学同窓。
電車で一緒に通いました。
学生の頃、彼女が読んでた本にあったはずです。(違ってたらごめんなさい・・「椎名誠」
は確かでございますが・・)
今日は出先なので明日にでも…
先生の件も了解です。やはりそうでしたか…
すみません。家内も覚えていなかったそうです。
当時、浦霞の杜氏でいらっしゃった「平山」さんのお写真が掲載されておりました。
僕の知っている限りです。
ごめんなさい。