酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

下駄を鳴らして奴が来た! いとこの旦那

2008-01-13 12:32:00 | 仙台中学校の頃の話
 人の休みは長く感じるのに、どうして自分の休みはこうも短いのか!酔漢の休みも最終日です。こんなに毎日、ブログを更新していた事はありませんので、また仕事が始まりますと、休みの日にのみの更新に変わります。タイトルですが、毎回下駄の御仁が登場するわけではありません。ですが、酔漢の中学時代、どこからともなく、そしていつどとなくあの高足駄の音が聞こえてくるのです。あの音がしませんと、どうにも落ち着かない酔漢でありました。今日のお話も直接、下駄の御仁が登場するわけではありません。中学時代を語るときのタイトルですので、ご理解をお願いいたします。
 話はこのブログ昨年の10月25日更新分の「カフェソコにて」から始まります。
親愛なる酔漢の叔父の告別式での話しです。

 昨年10月14日、叔父が急逝いたしました。酔漢にスキーを教えてくれましたし、大学、そして社会人になってからもいろいろ相談に乗ってくれていた叔父でした。
酔漢は、通夜、告別式とも裏方で、会計をいたしておりました。お手伝いをしてくれたのは、いとこのよしこさんでした。ご主人は商社マンで名古屋から来ておりました。
「酔漢さん、おひさしぶりです」
「さいとう君、遠いところからだっちゃなや。こっち寒いすぺ」
「ボストンはもっと寒いですからね」(そりゃそうだ)
彼は、2年近く、ボストン在中だったのでした。
「お手伝いすることないですか?」
「んで、今名簿作ってからっしゃ、続きば打ち込んでけねぇすか」
「いいですよ、ここからですね」
もう2時間近く、パソコンにむかっておりましたので、彼が途中でも引き受けてくれることにありがたく甘えました。その間、酔漢は香典の中身をチェックいたしておりました。
彼と会うのも、本当に数年ぶりでした。というより面と向って話ししたことはなかったのです。
「酔漢さん。考えてみれば、俺中学で酔漢さん覚えてないな」
「そりゃ、あれだけ生徒多ければ、あたりめだっちゃ。さいとう君とは接点なかったしな」
彼は、五橋で僕の一つ下の学年でした。(これも、だいぶ後から知ったことなのですが)
「でも、酔漢さんの学年って変な人多かったですよね」
本当に、遠慮のない男です。この本音をあからさまに口にする彼ですが、ここがまた彼の魅力なのでした。酔漢、結構彼が好きです。
「そうかやな、変っていったら、周りはずいぶん個性的(いい意味でね)な連中ばっかしだったなや。さいとう君、部活はやってたのすか?」
「わたしですか?ずっとバスケットしてましたから」
「高校でもすか?」
「そう、中学(五橋)高校(一高)大学(慶応)とバスケットボールやってました」
当時、五橋バスケットボール部は、優勝を狙える部ではなかったものの、戦績は良かったと記憶いたしております。
「でね、酔漢さんと同じ学年のある先輩とはね、中学でしょ、高校でしょ、おまけに大学まで一緒だったんですよ。かわいがられたというかなんというか・・・」
(そんな奴いたっけっか?一高、慶応だべ、さうら君しかおもいだせねぇなや)
「だれっしゃ?」
「『やちだてさん』です」
「知てっちゃ、小学校(二番丁)でも同窓だったおん」
「やっぱり酔漢さんの学年でも目立ってたほうですか?」
「俺とは土俵違うけんど、格好よかったしな。成績もえがったし、運動も出来たしな。女子の後輩からはだいぶ慕われていたんでんぇかな」
ちょっと、真面目なタイプではなかった彼でしたが、リーダーシップのとれる男でした。
「で、話のついでにもうひとつあるんです」
「何っしゃ?」
「やちだてさん、会社も一緒だったわけ」
「んで、さいとう君、彼とは中学(2年)高校(2年)大学(3年)して、社会人さぁなっても、やちだて君とおんなしだったのすか」
「いやぁ、考えれば、ほんと不思議な縁ですよね」
酔漢、バスケット部と言えば、やつき君を真っ先に思い出します。長身のやさしい男でした。一番丁のはずれに「金網店」がありましたが、そこがご実家でした。
「練習は厳しかったのすか?」
「けっこう、ハードにやってましたよ」
今思えば、バスケット部の連中、けっこういい男(失礼)そろってたよな。申し訳ない中体連での成績とかは覚えておりません。
「さいとう君、んでいづ名古屋さぁけぇんのすか?」
「あした、すぐ経ちます。仕事残してきたもんですから」
「時間あったら、『浦霞』さぁ顔出したらいいっちゃ、さうら君もいんでねぇか」
「そうなんですよね、さうらさんにも大学時代とかお世話になりましたから」
「ほんとうに、さいとう君とはニアミスだったんだなや」
「本当ですよね。お互い合う機会がなかったですからね」
「どうせまた塩竈さぁくんだっちゃ。したらばまた呑むべっちゃ。二人して同窓会すっぺ」
「是非、そうします」

本当に、一番近いところに、後輩がいたのでした。そして、彼のおかげで、僕の記憶の隅にあった人を思い出すことが出来たのでした。

「前の校舎壊すとき、『やちだて君』も来ていたよ」
「丹治さん、俺しゃねぇかったおん、知ってたらなして教えてけねかったのすか」
「ほれ、おめぇも仕事忙しいと思ってっしゃ」
「話聞くと『かめいさん』とかも来てたって・・」

五橋のホームページには、あたらしい校舎の写真が写っております。
「さよなら旧校舎」の行事には、参加できないでいた酔漢でございます。
向山高校そして五橋でも。

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2 コメント

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コメント御礼 (酔漢です)
2008-01-18 09:40:02
コメントありがとうございます。
京都でサッカーをやられておいでですか。加藤久さんは酔漢の地元のご出身です。ご実家がお店屋さんでしたので、よくおやつを買っておりましたし、妹は、教育実習の加藤先生に教えてもらっておりました。また、従兄弟が早稲田蹴球部でしたので、同じ地元ということもあり大変おせわになっておりました。Jリーグだと新潟監督鈴木淳さんが酔漢の高校時代1つ上の先輩です。今年は監督同志の戦いでしょうか。すこし複雑な心境ではあります。お互い上位で争ってもらいたいものですが。
単身赴任中でしょうか。寒くなりました。ご自愛くだされ。
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さびしいですよね。 (丹治 永)
2008-01-17 02:16:26
私の高校も、隣町の高校と合併して校舎を取り壊しました。もちろん、故郷から遠いわたしは後から聞いたのですが。聞きかじりですが、ノスタルジアという言葉は、故郷から離れて徐々に身体が弱っていくさまをいう、古いギリシャ語らしいです。人は故郷に帰ると、元気をもらえるもんですよね。ソクラテスのおっちゃんも、プラトン先生もおんなじ人間ということですかね。
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