酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

なぽりたん・・・・・ん?

2014-07-11 06:30:01 | 塩竈小学校の頃の話
因みに、写真パスタは「ナポリタン」ではなくて、「酔漢流ボロネーゼ」です。
簡単にレシピをご紹介いたしますと。
ニンニク2片をみじん切りにして、フライパンで炒めて、香が出たら、みじん切りの玉ねぎを飴色になるまで炒めます。
ひき肉は固まりのまま一度両面を塩コショウして、炒めておいたのを、そのフライパンに加えてさらに炒めます。
カットトマトの缶詰は、トマトをかくはんして、つぶしておいて、ケッチャップとウスターソース。塩、コショウで味を調えておきます。
それを、更に加えて炒めて、ミルクを半カップ位とナツメグを少々入れて、これでOK!
単純にそんなレシピです。

さて、皆様。今日のカテゴリーが「塩竈小学校の頃の話」となっております。
料理の紹介ではないのです。
スパゲッティってなんだべ?なんですよ!

昭和48年は、西暦1973年になります。酔漢小学校4年生。
この年は大きなカルチャーショックの連続だったわけです。
これは、当時の塩釜市立第二小学校4年生、全員がそうであったのかな?と思っておりますが。
まずは、「だるまストーブが無くなって、サンポットの大型石油ストーブに変わった」というもの。
もう一つは「脱脂粉乳が無くなって、牛乳(瓶)になった」というものです。
これは、案外大きな変革だったのです。
特に、ストーブは、冬になると「ストーブ係」というのあって、3名一組で仕事をするわけです。
1名が薪を運んで、2名で石炭とコークスを運ぶわけです。
かなりの重労働です。
それが、石油に代わって2名で済むようになりましたし、朝すぐ火がつくという事は、大変ありがたい事だったわけです。
そして給食です。
今の校舎の位置ですと、一番北側の校舎の真後ろに給食室があって、それが新しくなった年でもあったのです。
瓶の牛乳も冷蔵庫が大きく変わってそれで脱脂粉乳から変わったのでした。
おかずも豊富になりました。
そんなある日です。

「今日のプリント!ハイ!後ろに回してね!給食の献立表だからね」
宮崎ばっぱ(80を過ぎてご健在でございます。小学校の頃の担任の先生で宮崎先生だけが、お元気でいらっしゃいます)が言ってます。
その献立表は、しばらく休業していた給食室が完全稼働する事を意味しておりました。
僕等は献立がどう変わるのか?これが一番興味がありました。
「なんだこいず!ミルクでねぐて、牛乳さぁなってっと!」
「んだっちゃ!牛乳だっちゃ。なしてだべ?」
「ああ!それそれ!牛乳になったのよぉ!瓶だから重いけどね」先生が解説してくれました。
「パンは変わんねぇんだべな。円満堂のコッペパンだべ」
(解説です→この円満堂があって現在、浅田真央さん御用達のスィーツ「竈っこ」が生まれたわけです)
と、なんやかや、しばし給食の話題で盛り上がっておりましたら。
「こいず・・・・・何や?」と、しんどう君が声を上げました。
「何?どこっしゃ?」と覗き込む、ただし君(→久しぶりの登場ですが、あの漫画家になった男です)
「これ、書いてあっぺ『なぽりたぁん』って!なや!」
「『あんぽんたん』?ん?」(これはねぇべ!)
「はぁ、おめえ何っていったのっしゃ?」と、酔漢が突っ込むと。
「おめぇ知ってか『ナポリタン』って?」
「しゃねぇなぁ・・・何だべ」
「あなた達知らないの?『スパゲッティ』の事よ」
「スパゲッティならなしてスパッゲッティって書いてねぇのすか?」
「ナポリで生まれたスパゲッティの事よね!」(これは、今では間違いだと分かるのですが・・)
「あら、よしえ。よく知ってるわねぇ。はいはい!後は、その日になったら楽しみという事で解散よ!」
酔漢も実は、良く知らなかったのでした。
「松屋さぁ行ったらや(→ジャスコが出来る前まで塩竈市内唯一のスーパー)『ママーゆでスパゲッティ』ってあってっしゃ・・」
と帰り道、しょうじ君が話し始めました。
「で、どんな味だったのっしゃ?」
「ゆでたうどんにや・・・」
「ん?ゆでたうどんに?」
「ケッチャップかかってっしゃ。あんましうめぇって思わねがった」
「・・・・・・・・」
「ゆでたうどん。ケチャップって・・・」
味のイメージが湧かないまま。当日を迎えました。

給食を運ぶ器具もかなり変わりました。
それまでバケツ大小だったのが、平たいアルミの器具も加わって、炒めものの種類が増えました。
スプーンは、先割れだったのですが、脱脂粉乳を入れていた小さなお椀は、デザートが入るようになってました。
ナポリタンは平たいバットのようなものに入ってました。
アルマイトの食器に当番がいれていきます。
「何だや!しょうおんつあん(しょうじ君のあだ名)の言った通りだべ!ケッチャップ味のうどんでねぇか」
誰しも、そう思っていたのでした。
「いただきまーす」
早速、僕は、ナポリタンなるものを口に運びました。
「うめぇぇぇ!!!!」
教室中そんな声で溢れました。
「先生!こいずうめぇっちゃ!」
「家で喰ったのと全然ちげぇ味だっちゃ」
「これ美味しい!!」
大好評だったわけで、全員がほぼ食べ終えました。
「ところでさぁ、あなた達、ちゃんとしたスパゲッティの食べ方知ってる?」
「先生、食べ方ってあんのすか?」
「みんな、おそばとか、中華そばみたいに、ずずーってしてたでしょ?違うんだなぁ」
「んで何じょして、喰えばいいのすか?」
「このスプーンじゃ無理なんだけどさ。フォークに巻きつけてすすらないで食べるわけ」
「巻きつける?やっぱすぃ、わかんねぇっちゃ」
「そうねぇ、フォークがあればやれんだけどねぇ」
僕等は、その食べ方はわからないまま、その日の給食は終わりました。

ナポリタンは、その後、良く食べるようになりました。
今のように、いろんなパスタが外食や家庭で食できるようになったのは、ごく最近の事ですよね。
「ナポリタン」と「ミートソース」だけがメニューでした。
喫茶店でも、これしかなかったような・・・。
カレーと並んで、喫茶店の評価基準になってました。
「ナポリタン」の発祥は、諸説あって。
でも、どれを見ても、「どうやら横浜が発祥」というのが、主流のようですね。
「横浜センターグリル」だったり「横浜ニューグランドの喫茶」だったり。
日本で生まれた洋食って、いろいろあるけど、ナポリタンは秀逸だよなぁ。

ところで写真のパスタの量なのですが・・
4人で3束ゆでます。
男子2人。あっと言う間に平らげます。

「あんぽんたん?」
ナポリタンを見るたび、しょうおんっつあんの声を思い出してしまいます。
塩釜市立第二小学校。県下2番目の児童数を誇るマンモス校でした。
そして、塩釜で一番古い校舎でした。



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9 コメント

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初コメント (太郎)
2014-07-11 17:49:44
はじめまして 、毎回、楽しく拝見しております。塩釜ジャスコができる前まで唯一のスーパーとの記述がありますが、私の記憶では、ジャスコより「トーコー塩釜店」が古いのではないでしょうか。今後も 、楽しみにしております。 追伸 ぐずらさんとひーさんとのオフ会はお済みなのでしょうか?(内容は、ブログに掲載しないのでしょうか?)
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太郎様へ (酔漢です。)
2014-07-11 19:22:03
今晩は!初めまして、酔漢です。
トーコーは尾島町の45号線、花立に行く、大井産婦人科方面への交差点の多賀城方面へ。佐々木眼科(仙台で同級生)の側にありました。(長くなってしまいました。ご容赦下さい)
三小のテリトリーでしたから、遠い場所でした。
中学のときに、最上階の卓球台で遊んでました。
ジャスコが1973年10月のオープンでした。
言われればトーコーの方が先でしたか。
♪あの町 この町に 響く歌声♪
という、CMは覚えております。
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太郎様へ 再び (酔漢です)
2014-07-11 19:23:48
オフ会は一度。
塩釜でありました。
私の帰省に合わせましたが、諸事情ありまして、掲載を控えました。
震災前の事でした。
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こんばんは (見張り員)
2014-07-11 22:20:15
私と酔漢さんは一年ちがいなので、育った地域は違えど同じような経験をしていますね。
給食用具、思い出すと懐かしい!
私はナポリタンが(というよりスパゲッティというものが)大好きなもので給食がこれの時はたいへんうれしかったものです。

男性お二人の旺盛な食欲が素晴らしいと思う女だらけの我が家でしたw。
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あの頃 (なん)
2014-07-12 12:08:20
ストーブと牛乳と給食室。
毎日の学校生活の中で、この「変革」は子供時代の我々にとっては一大事!
60年代から70年代にかけて、県内の小学校はほぼ同じ時期に「変革」があったのでしょうね。
ナポリタンの独特な麺の柔らかさと甘味、
その秘密は「酔漢流ボロネーゼ」の隠し味、「ミルク」だった?!
給食だから記憶の味は同窓生と共通していて、なんとも嬉しいですね。
この味と共に、教室に立ち込める匂い、子供たちのおしゃべり、口の周りにくっついた鮮やかなナポリタンの色が蘇ります。

酔漢くんのブログ、だから読みたくなるのです。
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コークス (ひー)
2014-07-12 13:59:47
自分たちは、どうだったかなぁ・・
日直が取りに行っていたような・・・
黒い楕円形のバケツに持って来たものです。

脱脂粉乳がこぼした時に拭いたモップは、掃除用具入れの中で化学変化を起こし、雑巾と一緒に悪臭を放していました。

ナポリタン、パスタというより確かにうどんでした。ケチャップで炒めただけのスパゲッティでした。 娘はあれはパスタじゃない!
イタリアンのメニューには無い!和製スパゲッティが許せないようです。
でも私にとっては、ごちそうであったのには間違いありません。
酔漢さんも時々クッキングパパになりますね。 料理をしているとき愉しいですよね。
今日、出張に出ている息子が帰ってくるようです。 リクエストはお好み焼き! 我が家ではお好み焼きが主食になる時があります。
お好み担当は100%私の仕事になります。
ビールを飲みながら作るのが楽しみでもあります。
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見張り員さんへ (酔漢です)
2014-07-15 07:01:26
スパゲッティーとカレーそしてシチューは残さないほど人気のあったメニューですね。
今の給食はご飯が主流ですから、うらやましいって思います。くじらの竜田揚げは、良く出されておりました。
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なんちゃんへ (酔漢です)
2014-07-15 07:03:24
仙台は給食センターだったから、家内とよく同じメニュー食べてたんだ!と話をしてます。
中学のときも、給食ではいろんな事件?がありました。
土曜日の弁当と売店の雑踏もなつかしいね!
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ひーさんへ (酔漢です)
2014-07-15 07:06:11
脱脂粉乳を木造校舎の二階で全部こぼして・・・
下の皆に。雨もりのように降って来ました。
暫らく、教室中があの異様な香りに包まれておりました。
料理しながら、缶ビール。
これは密かにはまってしまいます。
癖になりそう(^_^;)
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