前回のお話で、コメントを頂きました。
「まいった」!
お元気そうで何よりでございました。お髭もご無事で何より?でございます。
はてさて、酔漢の氏素性を、知っていらっしゃるお方が、またお一人増えてしまいました。と、言いましても、酔漢の愛すべき叔母が、何やら回覧板を作成しております都合上、法に触れたお話などは若干控えなければならなくなりました。
本当は、こっちのお話が面白いんだろうがなぁ。
さて、酔漢、予備校時代一年目のお話です。
えっつ?普通は一年だけだって?二年目もあるの?あるんですよこれが。まぁ後程ゆっくりとお話いたしましょうか。
6月、最初の「全国統一模擬試験」の最終日の事でございます。
「文理予備校」(現在河合塾仙台校)本館ロビー。試験終了直後。多くの学生がたむろしておりました。
「おっ酔漢、まってたべ。で、なんじょだった?」と丹治氏でございます。
「やっぱし、予備校の試験だけあっちゃ。ひねくれた問題多かったっちゃ」
「んで、今日は試験の打ち上げだべ。なかじまもここに来からっしゃ」
なかじまさん初登場です。現在石巻でお医者をやられております。五橋・仙台一高と丹治氏は同級生です。あの映画監督が映画プロになりましたのも、この人の影響が大きいのです。そして、酔漢自身の映画の師匠でもあります。
「おまたせ。いやぁまいった生物でさぁあんな遺伝の問題は本番でもない」とご本人登場です。ハイライトを咥え煙草でやって来ました。
「俺も全然ダメだったっちゃ。なかじまさんあれ『キセニア』だすぺ?」
「『稲の遺伝形体』だけだったら、ウルチ米ができるかモチ米になるかだけだけど、そっから先の遺伝なんて『共通一次』でなんかでるか?普通」と開き直っております。
「んで今日はどこさぁいくべ」
「酔漢、知ってとこあんだべ?」
「んで『ぶんよこ』『唯梨庵』でいいすか?」
「んで行ってみっぺ」
まだ、早い時間です。お客は僕ら3人だけです。
「んでマスターいつものボトルで」
マルスを3人で呑み始めました。
「んでも、今年は結構医学部受験コースは女多くってさぁ」と中島氏。
「俺もビックリしたっちゃ。いわきからお嬢様がやってきてっぺ」と丹治氏。
「なんでも、教室で扇子広げてっしゃ。あの扇ぎ方が、ただ者じゃなかんべさぁ」
彼女は、そうでした。長い黒髪に、すらっとした長身。歩き方までまるで姫。執事と運転手がいたら本物です。
「うわさだといわき市内の産婦人科のお嬢様らしいど」
この人達はいったいどこからそんな情報を得るのだろうか。(不思議だぁ)
「もっとも、俺と五橋同級生のめぐみちゃんや、きみづか女子(この行下、お兄様ご登場)も一緒だっちゃ。あっ、んだ、ゆきえも一緒だべ」(このゆきえちゃんは酔漢塩釜二小で4年次同級生。あの宮崎ばっぱの教え子です。そういう意味では丹治氏とも一緒です)
となんかかんかで、話は盛り上がっておりました。
「なかじま。おめぇ今年もとんぺい医学部狙ってんだべ」
「まずはな、私立も考えてんだけどさぁ」
「去年、きみづかさんは合格してっちゃ」と酔漢。
「あいづの数学は天才的だべ。なんでも『大学への数学』の懸賞問題で連覇したっちゃ。東大クラスだべ」
と話しておりました。ら。
「俺ば褒めたって何にも出てきやしないよ」となかじまさんの肩を叩いた御仁がおります。後ろを見ますと、4人の学生が入り口付近におりました。
「おめぇ、きみづかだっちゃ」と、なかじまさん絶叫。
「なにしさぁ、ここに?」と丹治氏。
「なかじまぁ、丹治。来年は大学生さぁなってなくっちゃ」と余裕の発言。
お気づきのお方が多いとは思いますが、先輩2人とも2浪目の時でございます。
「お前にいわれたかぁねぇよ」となかじまさん。
「まいった」と丹治氏。
きみづか先輩は東北大学医学部のメンバーと「唯梨庵」に来たのでした。
「まったく『ウワサをすれば』だっちゃ」
本当にうわさをすれば「唯梨庵」でした。
ここで話が終わったと思うでしょ。もっとすごいことがその3年後にありまして。
酔漢大学の時でございます。まだ「唯梨庵」は「ぶんよこ」にありました。
大学ゼミの2人。釜石南出身のしんぺい君と仙台高校出身のまるた氏と来ておりました。
さんざん呑んでおります。やっぱりマルスです。
まるた氏に酔漢調子づいてこう発言しました。
「せんたか(仙台高校)って、演劇部は『別役』の作品しかやらないし、合唱部はメインで『高木』しかやらないし。意外と保守的でねぇかや」と。
「キャンパスで見かけた方ですよね」と酔漢の肩を叩く御仁が一人。後ろをみますと、4人の学生が入り口付近におりました。
「あんだも福祉大すか」
「僕は福祉大だけど、あとは、他の学生。でもみんな仙台高校演劇部OB」
なんてこったぁぁぁ!(口は災いのもとだっちゃ)
そしたら、一人の学生が、「まるた先輩お久しぶりです」と話かけてきました。
助かったぁ。知ってるやつがいたんだ。
「『別役実』の作品はここ数年公演にかけているんだけんど、顧問の先生が結構好きなんだよね」とか話しております。
で、その後、酔漢の肩を叩いた御仁。かんの氏は塩竈の出身で、大学も同じ。
「一緒に『福祉大演劇部』を立ち上げないか」と誘われたのでした。
(酔漢『落語』と『芝居』を掛け持ちすることになりました)
ある日の事、かんの氏との会話
「おめぇなぁ、『せんたかに喧嘩売ってんのか』と思ったっちゃ」
「そんなつもりは全くない。まさかメンバー(せんたか演劇部OB)がすぐ後ろにいるとは思わねぇっちゃ」
かんの氏笑っておりました。
今だ、「唯梨庵事件」として、語り継がれております。(勝手にうちわうけ!)
さて、唯梨庵でマスターより教えられました、ブルーノートレーベルのジャズですが、その後、酔漢やはりニューヨークに行きたくなりまして、行った先で、シングルモルトスコッチと生牡蠣にはまりました。その店本当に「唯梨庵」そっくりだったのです。次回はそのお話。
「まいった」!
お元気そうで何よりでございました。お髭もご無事で何より?でございます。
はてさて、酔漢の氏素性を、知っていらっしゃるお方が、またお一人増えてしまいました。と、言いましても、酔漢の愛すべき叔母が、何やら回覧板を作成しております都合上、法に触れたお話などは若干控えなければならなくなりました。
本当は、こっちのお話が面白いんだろうがなぁ。
さて、酔漢、予備校時代一年目のお話です。
えっつ?普通は一年だけだって?二年目もあるの?あるんですよこれが。まぁ後程ゆっくりとお話いたしましょうか。
6月、最初の「全国統一模擬試験」の最終日の事でございます。
「文理予備校」(現在河合塾仙台校)本館ロビー。試験終了直後。多くの学生がたむろしておりました。
「おっ酔漢、まってたべ。で、なんじょだった?」と丹治氏でございます。
「やっぱし、予備校の試験だけあっちゃ。ひねくれた問題多かったっちゃ」
「んで、今日は試験の打ち上げだべ。なかじまもここに来からっしゃ」
なかじまさん初登場です。現在石巻でお医者をやられております。五橋・仙台一高と丹治氏は同級生です。あの映画監督が映画プロになりましたのも、この人の影響が大きいのです。そして、酔漢自身の映画の師匠でもあります。
「おまたせ。いやぁまいった生物でさぁあんな遺伝の問題は本番でもない」とご本人登場です。ハイライトを咥え煙草でやって来ました。
「俺も全然ダメだったっちゃ。なかじまさんあれ『キセニア』だすぺ?」
「『稲の遺伝形体』だけだったら、ウルチ米ができるかモチ米になるかだけだけど、そっから先の遺伝なんて『共通一次』でなんかでるか?普通」と開き直っております。
「んで今日はどこさぁいくべ」
「酔漢、知ってとこあんだべ?」
「んで『ぶんよこ』『唯梨庵』でいいすか?」
「んで行ってみっぺ」
まだ、早い時間です。お客は僕ら3人だけです。
「んでマスターいつものボトルで」
マルスを3人で呑み始めました。
「んでも、今年は結構医学部受験コースは女多くってさぁ」と中島氏。
「俺もビックリしたっちゃ。いわきからお嬢様がやってきてっぺ」と丹治氏。
「なんでも、教室で扇子広げてっしゃ。あの扇ぎ方が、ただ者じゃなかんべさぁ」
彼女は、そうでした。長い黒髪に、すらっとした長身。歩き方までまるで姫。執事と運転手がいたら本物です。
「うわさだといわき市内の産婦人科のお嬢様らしいど」
この人達はいったいどこからそんな情報を得るのだろうか。(不思議だぁ)
「もっとも、俺と五橋同級生のめぐみちゃんや、きみづか女子(この行下、お兄様ご登場)も一緒だっちゃ。あっ、んだ、ゆきえも一緒だべ」(このゆきえちゃんは酔漢塩釜二小で4年次同級生。あの宮崎ばっぱの教え子です。そういう意味では丹治氏とも一緒です)
となんかかんかで、話は盛り上がっておりました。
「なかじま。おめぇ今年もとんぺい医学部狙ってんだべ」
「まずはな、私立も考えてんだけどさぁ」
「去年、きみづかさんは合格してっちゃ」と酔漢。
「あいづの数学は天才的だべ。なんでも『大学への数学』の懸賞問題で連覇したっちゃ。東大クラスだべ」
と話しておりました。ら。
「俺ば褒めたって何にも出てきやしないよ」となかじまさんの肩を叩いた御仁がおります。後ろを見ますと、4人の学生が入り口付近におりました。
「おめぇ、きみづかだっちゃ」と、なかじまさん絶叫。
「なにしさぁ、ここに?」と丹治氏。
「なかじまぁ、丹治。来年は大学生さぁなってなくっちゃ」と余裕の発言。
お気づきのお方が多いとは思いますが、先輩2人とも2浪目の時でございます。
「お前にいわれたかぁねぇよ」となかじまさん。
「まいった」と丹治氏。
きみづか先輩は東北大学医学部のメンバーと「唯梨庵」に来たのでした。
「まったく『ウワサをすれば』だっちゃ」
本当にうわさをすれば「唯梨庵」でした。
ここで話が終わったと思うでしょ。もっとすごいことがその3年後にありまして。
酔漢大学の時でございます。まだ「唯梨庵」は「ぶんよこ」にありました。
大学ゼミの2人。釜石南出身のしんぺい君と仙台高校出身のまるた氏と来ておりました。
さんざん呑んでおります。やっぱりマルスです。
まるた氏に酔漢調子づいてこう発言しました。
「せんたか(仙台高校)って、演劇部は『別役』の作品しかやらないし、合唱部はメインで『高木』しかやらないし。意外と保守的でねぇかや」と。
「キャンパスで見かけた方ですよね」と酔漢の肩を叩く御仁が一人。後ろをみますと、4人の学生が入り口付近におりました。
「あんだも福祉大すか」
「僕は福祉大だけど、あとは、他の学生。でもみんな仙台高校演劇部OB」
なんてこったぁぁぁ!(口は災いのもとだっちゃ)
そしたら、一人の学生が、「まるた先輩お久しぶりです」と話かけてきました。
助かったぁ。知ってるやつがいたんだ。
「『別役実』の作品はここ数年公演にかけているんだけんど、顧問の先生が結構好きなんだよね」とか話しております。
で、その後、酔漢の肩を叩いた御仁。かんの氏は塩竈の出身で、大学も同じ。
「一緒に『福祉大演劇部』を立ち上げないか」と誘われたのでした。
(酔漢『落語』と『芝居』を掛け持ちすることになりました)
ある日の事、かんの氏との会話
「おめぇなぁ、『せんたかに喧嘩売ってんのか』と思ったっちゃ」
「そんなつもりは全くない。まさかメンバー(せんたか演劇部OB)がすぐ後ろにいるとは思わねぇっちゃ」
かんの氏笑っておりました。
今だ、「唯梨庵事件」として、語り継がれております。(勝手にうちわうけ!)
さて、唯梨庵でマスターより教えられました、ブルーノートレーベルのジャズですが、その後、酔漢やはりニューヨークに行きたくなりまして、行った先で、シングルモルトスコッチと生牡蠣にはまりました。その店本当に「唯梨庵」そっくりだったのです。次回はそのお話。
MY FAVORITE THINGSを聞きながら読ませていただきました。
その時のライブがランディブレッカー(兄弟でなくてソロで)でした。本当に偶然でした。
「ブレッカーブラザース」とはまた違った感じの演奏でした。
では、そのお話の続きはブログにて。
フルーノートのどっかの鍵がオリジナルキーホルダーと一緒に、今手元にございます。どこが開くのでしょうか。