落語に登場いたしますキャラクター。「与太郎」に「若旦那」。「お侍」に「角のご隠居」(どうしていつも角にすんでいるのか、これまた不思議です)「お殿様」まで。もうお馴染みと言えば、お馴染みの連中です。
「酔漢さんわすれちゃぁいませんか?あの方々ですよぉ」
声が聞こえてきそうですが・・。もちろんわすれちゃぁおりやせんぜ。
「噺のダブルス」事、「八」と「熊」。
ですが、この二人。いろいろなキャラを演じております。どっちもどっちなのですが、今日の噺、「粗忽長屋」に至りましては「どちらも究極の粗忽者」を演じております。
ところで、掲載いたしました写真のプログラムですが、「第一回の『寄集め落語会』」のものです。このプログラムで酔漢→「あん好」が「粗忽長屋」を演じておりますが「翔家からす」さんに今日は演じてもらいましょう。
正直、彼の「粗忽長屋」は雰囲気が違っているのでした・・・
「仙台向山高校落語研究部」部員は二名。「あん好」と「からす」です。たった二名の部員でありながら、ちゃんと「日立ファミリーセンター」で落語会を開催するのでした。それも一人2題。酔漢は「近日息子」といつぞや語りました「野晒し」
「からす君」は「浮世床」と「粗忽長屋」です。しかも「取り」でございます。
八つぁん。通りを歩いておりますと、黒山の人だかりに出くわします。
「おいなんだねぇ。この人だかりは・・・もし、もし、何ですか?この人だかりは?何があったんですぅ?」
「おう八つぁんか。なんでも行き倒れだってさぁ」
「行き倒れ!ってこたぁ、死んでる?ってことですか?」
「行き倒れで生きていたら『生きだおれ』で、『死んじゃってない』ってこったなぁ。だから死んでるのよ」
「あっそうですねぇ。んじゃあっしにもちょいと見さして・・・っと。おい!中にいれやがれぇ!」
「ちょいとあんたねぇ。これだけの大勢さんだ。おいそれと中に入れるもんじゃござんせん」
「なんだとぉ!言いやがったなこの野郎!これで引き下がるお兄ぃ様とお兄ぃ様と出来がちがうんでぇ・・・そうなりゃこっちにだって手があらぁ」
八っつぁん。人の下をくぐるように人ごみに入って行く。
「あぁらよっつ・・・と。そらそらそら・・・・」
「おい!誰だぁ、こんな所から入ぇりやがって」
「痛ぇ!誰だ俺の大事なもの掴みやがって!」
「おらおらおら・・・・っつと。出たよっと!(急に人ごみの真ん中に出た八。目の前が明るくなった様子。岡っ引きの旦那と途端に目が合う)どうも!こんにちわ」
「なんだ、お前、ここに何しに来たんだ!」
「いえね。ちょいと歩いていたら『行き倒れ』ってんで、ちいとばかし見に来たわけでして・・」
「それなら聞くが、その方、この行き倒れを知っておるか?」
「こいつですか?こんな汚ねぇ顔した奴ぁ俺は知らなぇですぜぇ・・・あっつ!あいつだ!あいつに違ぇねぇ!」
「あいつってからには、お前さん、この行き倒れを知っている・・・」
「知ってるも何も、こいつは俺の近所に住んでやがって、兄弟ぇ同然の中なんだ。おい熊こう!しっかりしやがれ!こんなとこで死んでる場合じゃねぇんだ!」
「おいおい、お前さん。こいつぁ死んでるだぜ。声掛けたって返事なんかしやしないよ」
「何言ってやがんでぇ。さっきもこいつと会ったんだよ。朝からぼうっとしてやがって。『どうも具合がよくねぇ』なんて言いやがってたんだ」
「おいおい、さっき合ったって?それじゃ人違だよ」
「でしょ!こいつはね、日頃からぼーっとしてやがって、自分で自分が死んじまったのさえも気づいていねぇ位、お目でたい奴なんでさぁ。あっしがちょいとばかり、こいつを連れてきやすんで、待っててくだせぇ」
「おいおい馬鹿言っちゃいけねぇよ。いいかい、お前さん。ここにいる行き倒れは死んでるんだぜ。誰が連れてくるって言ったって・・」
「旦那すみません。こいつこんなに大勢さんに迷惑掛けてなんて知らねぇでのんびり寝てやがるんだ!それじゃ・・・」
八っつあん。また人ごみの中を掛け分けて出て行く。
「おいだれだぁ。俺の大事なとこ触りやがって!」
「ごめんよ!ごめんなすって・・・おら、おら、おら・・・・」
「おい。おい!おーーい!・・・・行っちめぇやがった。行ったはいいけど、いってぇ、誰を連れてこようっていうんだ?」
八っぁん。熊さんの長屋の前までやってきました。
「あのやろう、まだ寝てやがる。たたき起こしてやれ!おーーい熊公いるかぁぁ
(ドンドンと戸を叩く音。→右手で戸を叩く仕草。そして左手で風>せんすの番いの部分で高座を叩き、音を出します)ドンドン!おーーい熊公起きやがれ!おーーい熊公ぉぉぉぉぉドンドン」
「なんだよぉぉ。朝っぱらからうるせぇなぁぁぁ。まだ眠いんだ、こちとら・・・
誰だよ、馬鹿な奴だねぇ、戸袋叩いてやがる。こんな馬鹿なあわて者はあいつしかいねぇや。八の野郎だ。・・・・おーーいどこ叩いてやがんだ。そこは戸袋だぜ」
「なんだぁ戸袋?あっ。こっちか!ドンドン。ドンドンおーい熊公ぉ。起きろ!」
「わかったよぉ。今開けるよぉ(戸を開ける)いてぇぇぇ!何いきなりぶちやがって!」
「おぅ、戸とまちげぇちまった!そんなことよりおい!熊公!大変だぁ!いいか俺の話すこと耳の穴かっぽじってよぉぉく聞けよ!分かったなぁ!」
「急になんだよ!起こされたと思ったら・・何が大変なんだい?」
「いいか心して聞くんだ!今朝方お前は『死んでる』ヨ!」
「死んでるぅぅぅぅ!俺がぁぁぁぁぁ!」
「あぁそうよ!いいかぁ!おめぇは、朝っぱら通りの向こうを歩いていたら、おちんじまった!てなわけだ!」
「そ・そう・そうかぁぁ?俺が死んでる?でもよ兄貴ぃ。どうも俺、死んだような気がしねぇ・・・」
「そこが、おめぇの馬鹿なとこだって言ってんだ!いいかぁ、初めて死んだ奴に死んだ奴の気持ちが分かるかって言ってんだ!おめぇは自分の死んだ事も忘れやがって!いいかぁ、俺が今連れて行ってやる!」
「連れて行く?兄貴ぃ、どこだい?」
「馬鹿だなぁおめぇは。おまぇが死んでるとこに決まってるんじゃねぇか!」
「兄貴ぃ、やだな俺。死んでる自分に合いに行くんだろ?恥ずかしいじゃぁねぇか」
「何言ってやがんでぇ!自分が死んじまってるんだぜ!誰に遠慮なんかいるもんか!行くぞぉぉぉ」
「分かった。分かったよ兄貴ぃ。行くよ」
「じれってぇ野郎だなぁまったく!そら行くぞぉ」
八つあん、熊さんの手を引いて行き倒れの現場へと向いました。
「あん好先輩。どうですか?」
教室での練習会です。「落語を人様の前でやる」ことは、「からす」君は、酔漢の先輩です。正直、細かいところは、酔漢より上手なところもございました。
実は、彼の仕上げを見ておりましたら、おかしくて、おかしくて、笑い転げたのでございます。
彼には、とっても似合う噺でした。
すこし、彼の事を。高校2年生のからす君。最初の観た印象は「どらえもんの、のび太そっくり」でした(声には出しませんでしたが・・・ご本人がみておりましたら、ご容赦下さいませ)
しかも、落語となりますと、その独特のリズム感→間をもっているのでした。
「この、熊は、与太郎でも、単なる馬鹿でもない。他の噺にはないまったく独特のキャラクターなんだ。『普通の人っぽく演じて、しかも普通より馬鹿』っぽく演じるのが、この噺の大きなポイントなんだ」
練習に来てくれている、東北大学落語研究会の先輩は、こう話しておりました。
「翔家からす」の真骨頂です。彼高校2年生。秋の頃でした。
「酔漢さんわすれちゃぁいませんか?あの方々ですよぉ」
声が聞こえてきそうですが・・。もちろんわすれちゃぁおりやせんぜ。
「噺のダブルス」事、「八」と「熊」。
ですが、この二人。いろいろなキャラを演じております。どっちもどっちなのですが、今日の噺、「粗忽長屋」に至りましては「どちらも究極の粗忽者」を演じております。
ところで、掲載いたしました写真のプログラムですが、「第一回の『寄集め落語会』」のものです。このプログラムで酔漢→「あん好」が「粗忽長屋」を演じておりますが「翔家からす」さんに今日は演じてもらいましょう。
正直、彼の「粗忽長屋」は雰囲気が違っているのでした・・・
「仙台向山高校落語研究部」部員は二名。「あん好」と「からす」です。たった二名の部員でありながら、ちゃんと「日立ファミリーセンター」で落語会を開催するのでした。それも一人2題。酔漢は「近日息子」といつぞや語りました「野晒し」
「からす君」は「浮世床」と「粗忽長屋」です。しかも「取り」でございます。
八つぁん。通りを歩いておりますと、黒山の人だかりに出くわします。
「おいなんだねぇ。この人だかりは・・・もし、もし、何ですか?この人だかりは?何があったんですぅ?」
「おう八つぁんか。なんでも行き倒れだってさぁ」
「行き倒れ!ってこたぁ、死んでる?ってことですか?」
「行き倒れで生きていたら『生きだおれ』で、『死んじゃってない』ってこったなぁ。だから死んでるのよ」
「あっそうですねぇ。んじゃあっしにもちょいと見さして・・・っと。おい!中にいれやがれぇ!」
「ちょいとあんたねぇ。これだけの大勢さんだ。おいそれと中に入れるもんじゃござんせん」
「なんだとぉ!言いやがったなこの野郎!これで引き下がるお兄ぃ様とお兄ぃ様と出来がちがうんでぇ・・・そうなりゃこっちにだって手があらぁ」
八っつぁん。人の下をくぐるように人ごみに入って行く。
「あぁらよっつ・・・と。そらそらそら・・・・」
「おい!誰だぁ、こんな所から入ぇりやがって」
「痛ぇ!誰だ俺の大事なもの掴みやがって!」
「おらおらおら・・・・っつと。出たよっと!(急に人ごみの真ん中に出た八。目の前が明るくなった様子。岡っ引きの旦那と途端に目が合う)どうも!こんにちわ」
「なんだ、お前、ここに何しに来たんだ!」
「いえね。ちょいと歩いていたら『行き倒れ』ってんで、ちいとばかし見に来たわけでして・・」
「それなら聞くが、その方、この行き倒れを知っておるか?」
「こいつですか?こんな汚ねぇ顔した奴ぁ俺は知らなぇですぜぇ・・・あっつ!あいつだ!あいつに違ぇねぇ!」
「あいつってからには、お前さん、この行き倒れを知っている・・・」
「知ってるも何も、こいつは俺の近所に住んでやがって、兄弟ぇ同然の中なんだ。おい熊こう!しっかりしやがれ!こんなとこで死んでる場合じゃねぇんだ!」
「おいおい、お前さん。こいつぁ死んでるだぜ。声掛けたって返事なんかしやしないよ」
「何言ってやがんでぇ。さっきもこいつと会ったんだよ。朝からぼうっとしてやがって。『どうも具合がよくねぇ』なんて言いやがってたんだ」
「おいおい、さっき合ったって?それじゃ人違だよ」
「でしょ!こいつはね、日頃からぼーっとしてやがって、自分で自分が死んじまったのさえも気づいていねぇ位、お目でたい奴なんでさぁ。あっしがちょいとばかり、こいつを連れてきやすんで、待っててくだせぇ」
「おいおい馬鹿言っちゃいけねぇよ。いいかい、お前さん。ここにいる行き倒れは死んでるんだぜ。誰が連れてくるって言ったって・・」
「旦那すみません。こいつこんなに大勢さんに迷惑掛けてなんて知らねぇでのんびり寝てやがるんだ!それじゃ・・・」
八っつあん。また人ごみの中を掛け分けて出て行く。
「おいだれだぁ。俺の大事なとこ触りやがって!」
「ごめんよ!ごめんなすって・・・おら、おら、おら・・・・」
「おい。おい!おーーい!・・・・行っちめぇやがった。行ったはいいけど、いってぇ、誰を連れてこようっていうんだ?」
八っぁん。熊さんの長屋の前までやってきました。
「あのやろう、まだ寝てやがる。たたき起こしてやれ!おーーい熊公いるかぁぁ
(ドンドンと戸を叩く音。→右手で戸を叩く仕草。そして左手で風>せんすの番いの部分で高座を叩き、音を出します)ドンドン!おーーい熊公起きやがれ!おーーい熊公ぉぉぉぉぉドンドン」
「なんだよぉぉ。朝っぱらからうるせぇなぁぁぁ。まだ眠いんだ、こちとら・・・
誰だよ、馬鹿な奴だねぇ、戸袋叩いてやがる。こんな馬鹿なあわて者はあいつしかいねぇや。八の野郎だ。・・・・おーーいどこ叩いてやがんだ。そこは戸袋だぜ」
「なんだぁ戸袋?あっ。こっちか!ドンドン。ドンドンおーい熊公ぉ。起きろ!」
「わかったよぉ。今開けるよぉ(戸を開ける)いてぇぇぇ!何いきなりぶちやがって!」
「おぅ、戸とまちげぇちまった!そんなことよりおい!熊公!大変だぁ!いいか俺の話すこと耳の穴かっぽじってよぉぉく聞けよ!分かったなぁ!」
「急になんだよ!起こされたと思ったら・・何が大変なんだい?」
「いいか心して聞くんだ!今朝方お前は『死んでる』ヨ!」
「死んでるぅぅぅぅ!俺がぁぁぁぁぁ!」
「あぁそうよ!いいかぁ!おめぇは、朝っぱら通りの向こうを歩いていたら、おちんじまった!てなわけだ!」
「そ・そう・そうかぁぁ?俺が死んでる?でもよ兄貴ぃ。どうも俺、死んだような気がしねぇ・・・」
「そこが、おめぇの馬鹿なとこだって言ってんだ!いいかぁ、初めて死んだ奴に死んだ奴の気持ちが分かるかって言ってんだ!おめぇは自分の死んだ事も忘れやがって!いいかぁ、俺が今連れて行ってやる!」
「連れて行く?兄貴ぃ、どこだい?」
「馬鹿だなぁおめぇは。おまぇが死んでるとこに決まってるんじゃねぇか!」
「兄貴ぃ、やだな俺。死んでる自分に合いに行くんだろ?恥ずかしいじゃぁねぇか」
「何言ってやがんでぇ!自分が死んじまってるんだぜ!誰に遠慮なんかいるもんか!行くぞぉぉぉ」
「分かった。分かったよ兄貴ぃ。行くよ」
「じれってぇ野郎だなぁまったく!そら行くぞぉ」
八つあん、熊さんの手を引いて行き倒れの現場へと向いました。
「あん好先輩。どうですか?」
教室での練習会です。「落語を人様の前でやる」ことは、「からす」君は、酔漢の先輩です。正直、細かいところは、酔漢より上手なところもございました。
実は、彼の仕上げを見ておりましたら、おかしくて、おかしくて、笑い転げたのでございます。
彼には、とっても似合う噺でした。
すこし、彼の事を。高校2年生のからす君。最初の観た印象は「どらえもんの、のび太そっくり」でした(声には出しませんでしたが・・・ご本人がみておりましたら、ご容赦下さいませ)
しかも、落語となりますと、その独特のリズム感→間をもっているのでした。
「この、熊は、与太郎でも、単なる馬鹿でもない。他の噺にはないまったく独特のキャラクターなんだ。『普通の人っぽく演じて、しかも普通より馬鹿』っぽく演じるのが、この噺の大きなポイントなんだ」
練習に来てくれている、東北大学落語研究会の先輩は、こう話しておりました。
「翔家からす」の真骨頂です。彼高校2年生。秋の頃でした。
けれども下町はおろか新宿や渋谷から東側はあまり縁がございません。
「武蔵野」と呼ばれた地に根付いてしまいました私には、八つぁん熊公の下町=お江戸は別世界なのです。
塩竃の方々と同様にTVでしか知りえないのです。
ですから下町への憧れは強いものがあり、現在の路地奥の住居に住むことと繋がっております。
ささやかな憧れ成就ではありますが、和風の草花であふれた玄関先の路地で、息子とサッカーの練習を、これを休日の常としております。
近所の井の頭公園に接して「江戸さん」のお屋敷があります。そう、あの「江戸氏」です。先代が亡くなられて敷地の多くがマンションとなってしまったことが悔やまれます。
「江戸さん」のお屋敷のすぐそばには「水島さん」「楳図さん」のお住まいが。「ドカベン御殿」「まことちゃんハウス」
と呼ばれておりますが。
落語は突拍子も無いストーリーの展開ですね。
それがまた面白い。
高校でそれをやっていたのですから、これまた驚きです。