酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

地学してみた

2012-10-01 10:30:59 | 東日本大震災
中学校理科。
地質編。授業はと言いますと「プロフェッサーこばやかわ」。
中間考査の問題は地質と地形。
「正断層」「逆断層」「整合」に「不整合」・・・・・。
これに、火山活動による「熱変成」が加わって。
「地層の古い順に番号をつけなさい」という問題。
「わがんねぇぇぇ」です。
「最初がこいづだすぺ。んで上さぁいぐと新しくなってっしゃ。んでここで断層さぁ当たって・・その後に火山すか・・・????」
「酔漢、どうだった?」とは「さかい君」(五橋ドームの主)。
「おめぇ、天体運行の問題は次回だべ・・」
と、出来ない?納得。
「思い出してしまったぁぁ」

と、これは、落語で言うところの「まくら」ではありますが。

塩竃市立第二小学校の位置を地図で等高線上になぞります。
その位置は、丁度、岬の中腹に当たり、小高くなっているのが解ります。
通称「磯山」(いそやま)と呼ばれる、この小高い部分。
千賀浦(塩竈湾)が嘗て埋め立て以前から存在していた岬だと分かります。
塩竃市は、その面積は市としては県下最下位。人口密度は1位(だった記憶)。人口の殆どが埋め立て地に住んでおります。
「うの君のクリニック」は海抜0mのところにあって、古地図では、湾の奥。藤倉沼という沼を埋め立てて(沼ではありますが、淡水、海水の混在していた湖沼と推察されております)
できた土地にあります。
現在の東塩釜駅の周辺です。
その岬の突端は、東北造船の正面に位置しており、二小からは、少しづつ下って、崖にぶち当たります。
等高線を色塗りしますと、約30mの崖があって、すぐ真下が海(真下は、現在の藤倉方面へ向かう国道45号線の交差点)となります。
この岬の稜線上に小さな林道があって、今でも、わずかではありますが、自然な松林を形成しております。
この道すがら、春先、蒲公英が群生致しますが、その全てが「日本蒲公英」で、「西洋蒲公英」は見られません。
また、雉、鶯の数も多い。
夏、長男と散歩中には、この道を塞ぐような、大きな青大将も目撃しております。


松島が形成された時代と同時期に浸食され、それ以来存在していたと考えらえます。
ですから、形成される主な岩石は「凝灰岩」「砂岩」「礫岩」であって、浸食にもろい岩石で形成されております。
さて、この六月に帰省の載、鶯の声に誘われて早朝散歩致しました。
写真はそのときの物。
「ウグイス」は・・望遠が無いとダメですね。
道案内のように酔漢の前を歩く鳥を撮影致しました。
さて、地図をご覧ください。

(因みに上記地図をドラッグさせるか、「ユーザー地図」アイコンをクリックしますと、うの君のクリニックも見られます・・)

マークしたところですが、坂道(東北造船方向へ向かい)が急になっているような気がいたしました。
「こんなとこさぁ、下ってたっけか?」と多少疑問は持ちましたが。
「俺もここさ歩くのは5年ぶりだかんなぁ」と納得しかけておりました。
地図の「稲荷神社」から程、20m位先の方向です。
周りの景色を見ながらそれでも進んでまいりますと、妙に早足になるのです。
実は、中学生時分、理科自由研究で、ネタに困った酔漢は、このあたりの岩石とむき出しになった地層のスケッチを約2時間で仕上げてお茶を濁した?経験がありました。
ですから、「稲荷神社」から先の地層スケッチは、正断層のきれいなものだったと記憶しております。
「やっぱすぃ・・・海側さぁ下ってっちゃ!」
と、そのスケッチした地層のむき出しになっている場所に急ぎます。
しっかり、断層がずれていることに気づきました。
それが冒頭の写真。
場所は先に地図に示しております。

宮城県、沿岸部は沈降したと多くの記事に紹介されております。
牡鹿半島鮎川の1.2mは特筆ですが、各沿岸部はどうなっているのか、気になるところです。
ご紹介いたします。

その冒頭の写真ですが、ずれている方向は北東側。ずれは約6.8㎝です。
そう言えば、震災の年、9月に「うの君のクリニック」を訪ねた際、クリニックの駐車場が地盤沈下しているようなコンクリートの隙間がありました。
「塩竃も沈んだんだべか?」
このときには、左程気にも留めなかったことなのですが、「自由研究」と共に、記憶が蘇りました。

この地層のズレが、今回の地震によって出来たものかなのかは、断言できません。
長期的な観測と観察が無ければ立証させることは出来ない。
これは重々承知いたしております。
また、何度も通った散歩道ではありますが、(愛犬の散歩などで・・)例えば、「宮城県沖地震」が原因だったのかもしれないし、「宮城岩手内陸地震」「宮城内陸地震」によるものかもしれません。これは、酔漢では推察出来る事ではありません。
実は、もっと昔に出来ていて、それを見逃していた。こうも言えると思います。
残念ながらやはり酔漢では立証することは不可能です。
ですが、遠い記憶とを重ねますと、「合点がいかない」のは確かなのです。

夏休みの宿題で悩んだものの筆頭。
「理科の自由研究」
みんなよく出来てたよなぁ。
「プロフェッサーこばやかわ」から、返されたときの赤字。
「小学生の絵日記じゃないんだから・・」と言われております(泣)。
「来年、また再提出したら、点数遡ってもらえっぺか!」




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6 コメント

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見張り員さんへ (酔漢です)
2012-10-04 18:42:54
そうなんですよ。昨日が震度4ですものね。母い電話しましたら、「4じゃねぇ。驚かないよ」と言われました。
最近、また余震が続いておりますので、いささか心配ではあります。
この道の真上。
先の「上空散歩」の映像にほんの少し写っております。
地元民でも知らない道なんです。
僕らの恰好の遊び場でした。
返信する
うの君へ (酔漢です)
2012-10-04 18:39:42
そうですか、地震の影響ではなかったのですね。
藤倉沼は、明治から大正にかけての塩竈地図には掲載されておりますが、すぐ埋め立てにかかっております。
その残りが、小学校時代には残っていて、「ひょうたん沼」と称して僕らの遊び場でした。
下館先生とお会いした際、その話題で盛り上がりました。
考えますと、先生が小学生時代のご自宅は、うの君のクリニックのすぐそばにあるんですよね!
不思議な縁ですね。
蒲公英は、貴重な群生地域だと思います。
春、5月半ばがいいかと思います。先の「ある友人君」宛コメントでは、少し事件?を語りましたが、春先のあの道は凄くいいところだと思いますヨ。
秘密基地跡。まだありました。
返信する
ある友人君へ (酔漢です)
2012-10-04 18:33:20
そんな事はないんですが・・。
国土地理院発行おハザードマップではイエロー。(震度7での崩壊は考えられない地域)
まずは、地盤は強固だと考えております。
理科の自由研究とのギャップを発見したようで、何故か「おもせぇなや!」と思った次第。
あの道には、怖さと興味とが半々。
放火、殺人事件、自殺事件、死体遺棄事件。多々発生していることも事実。
肝試し。しませんでした?
セキレイですよね。本当はウグイスの絵が欲しくて出かけたのでした。
流石に、無理でした(汗)
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おはようございます (見張り員)
2012-10-03 07:59:51
「おお、地層だ」
と思わずみ入ってしまいました。私は子供のころからこうした地層をみるのが好きで・・・でも学校で地学は一度も習っていないのです!

しかしあのすさまじい震災では地盤沈下がすさまじいようですね。
一体地下では何が起きていたのか…知りたいようなそうでないような…いずれ関東でこのような震災が起きた時どうなるかを考えると身の毛がよだちます。
先日あたりまた地震が頻繁でしたからなんだか気になりますね。
返信する
地盤沈下 (うの)
2012-10-02 11:18:31
 この道は、すぐ近くなのに未だ足を踏み入れたことがありませんでした。そのうち散歩してみますね。

 確かに当院を建てる時も、昔、沼だった所だけあって地盤が悪く、基礎をかなり深く掘らなければならず、大変でした。おかげで建物は大丈夫なのですが、周りの駐車場部分が沈下し、酔漢殿がご覧になったように、建物とのギャップが生じています。
 

 この震災後、その境目部分で配管が破損し、修理を余儀なくされました(アスファルトの重さで沈むと言われ、建物の後ろは砂利に変えました)が、建物とのギャップ自体は、震災前から結構目立っていて、震災での進行はそれ程でもなかったと思います。

 いずれにせよこの辺は地盤も悪く、海抜もほぼゼロなので、津波はもちろん、大雨でもハラハラドキドキさせられます。
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何につけ一応は絶望的観測をするのが・・・好きですか? (ある友人)
2012-10-01 20:25:28
これは通称「きつね神社」の道ですね。北浜三丁目近辺ではそう呼んでおりました(笑)。酔漢さんの実家と私の家をつなぐ道から枝分かれした通称「電波学校」脇を通り、藤倉の精肉店や洋品店の前に出る道(藤倉側の入り口は道とは言えない感じでしたけど)でした。
確かに雉や蛇が多かったですね。私は小学校の時の通学路として使っておりました。旧仙石線の無人踏切があったので登下校禁止の道でしたが(笑)。嘘みたいな話ですけど、私の母と雨の日にその道を歩いていたら、青大将の背中に懐かしの五百円札が貼り付いていて、「捕まえろ!」と言われて捕獲した事がありましたよ。あときつね神社の近くで、ヤマカガシが輪のようになって飛びかかってきた事もあります。
まあ私は二中だし、小学生の頃は藤倉で習字をならっていたから、この周辺は遊び場でした。でも断層には記憶がないですねえ。きつね神社からは一度下がって、後は小屋(少し東側に入って切り立った突端にあった作業小屋。一度火事になったっけ)の辺りまでは上り、そして藤倉まで下る感じだったのは間違いないと思いますが。
でも山の上の道だし、道沿いで発見したのなら場所的に上層だから、それほど心配はないんじゃない?北浜側から見ると、旧仙石線の線路のために、その山の片面が完全に削られていますよね。あの側面は明らかに綺麗な断面の地山で、妙な断層は見られないし。まあ私も地質には詳しくないので希望的観測ですが。
ご存じの通り、震災がなくても塩釜の沿岸は毎年沈下しているわけですが(笑)、震災では港町、北浜、海岸通周辺が一メートル程度沈下したそうです。まあ宮城県沖地震の時も、北浜四丁目の国道沿いの道がアスファルトなのに踏むとウォーターベットに乗ったみたいにぶよぶよになっちゃいましたからね。今で言う「液状化」ですね。北浜の親戚によれば、市の説明では北浜の津波による半壊以上の被災率は約60%だったそうです。
蛇足ですが、ちなみに写真の鳥はセキレイですね。セグロセキレイかハクセキレイかははっきりしませんが。これは自信があります。バードウォッチング歴二十年ですから(笑)。
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