酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

そして山河は残らなかった

2011-03-23 06:53:31 | 東日本大震災
彼岸のこの時期。祖母と二人で出かけた記憶がある。
酔漢幼稚園くらいの時の記憶。

祖父、祖母とも七ヶ浜花渕の出身であった。
海軍を志した祖父は、祖母を連れて横須賀へと向かった。
祖父の事は「くだまき」で語ってきた。
その祖父は、七ヶ浜花渕 同性寺に眠っている。
祖母と墓参りであった。

祖母は花渕に行く際、舟を使う事が多かった。
当時の観光桟橋から乗船。そして、記憶だが、東宮浜着だったか。
そこから歩いて、バス。
花渕漁港より少し先の停留所で降りた。

今年は寒いのであろうか。暖かい春の日が多かったと思う。
田植え前の田を右に見ながら、墓前。手を合わせた。

子どもにとって案外退屈な「墓参り」である。酔漢は、行く際の舟と、帰りのお駄賃が楽しみで付いて行ったようなものだ。

同性寺方面への道は狭いが、その角に一件の雑貨屋さんがあって、祖母の姉妹の家だったと聞いた(だと思う)。(店は昨年夏もあった)
帰りに寄る。
「今日は、おらいのやろっこさぁ、連れて来たべ」
祖母は店側に座るとお茶を頂いていた。
「んで、なんでも好きなもの一つやっから」
待ってた言葉であった。
チョコレートを頂いた。

夏、菖蒲田海岸へは海水浴へ行った。
昨年夏、朝早く菖蒲田へ息子二人を連れて立ち寄る。
海水浴客の為の駐車場へ車をむりくり駐車させた。
海岸から一番近いところにある家から、おじさんが一人出てきて。
「あんだら、海水浴客だったら、ちゃんと止めねぐてだめなんでねぇか」
と言われた。
「すみません、すぐ出ます」
あの家は確実に流されている。
泳ぎを練習した、菖蒲田浜、外人浜であった。

秋、花渕漁港、要害漁港では「ハゼ釣り」を楽しんだ。
特に、花渕漁港は港内とはいえ、当時大きなハゼが釣れた。

冬、自転車のトレーニングコースは七ヶ浜一周であった。
偵山橋を越えて、亦楽小学校まで一気に上がる。そして火力発電所までの下り。
吉田浜までの上り、菖蒲田浜までの直線は海風との戦い。
アップダウンが激しく、風も強い。
しかし、その辛さを回りの風景が癒してくれた。

七ヶ浜の全容が分かった昨日。
写真を見ながら、多くの事を思い出した。
「何も残されてはいない」
泣いた。

昨日、NHKを見ていたら「松ケ浜小学校避難所」が映されていた。
「被災地からメッセージ『今何が必要か』」
遠縁が映っていた。安心した。
中で、八十を過ぎた老夫婦の言葉。
埼玉に住む孫を心配してのものだった。
「避難所にいて無事。あんだは、体が弱いんだから風邪なんかひかないように」
この場で孫を心配する。
そう言えばこの手のメッセージが多いことに気づいた。
「もっと必要な物とか訴えないのか」とも思う。
しかし、こうなのだろう。
東北らしいのか。

七ヶ浜の避難所には、ボランティアとして従弟の細君が奮闘している。
保健室の先生である彼女は子供を家に残して(母妹→おばあちゃんの家にいる)地震のあの日から家に帰っていない。
彼女の身体も案ずる。

全景の写真。昨日の河北新聞夕刊WEBより。(断りなく掲載しました。ご容赦下さい)
菖蒲田浜が失われている。
回りの残骸。悲惨としか言いようがない。
道幅が狭く、大型車両が通れないのかと推察する。
海上から物資を運べられないのか。

そしてふと思う。
このような風景が青森近くまで延々続いているのだ。
気の遠くなる距離である。
津波の恐ろしさを再び感じる。

祖父が、曽祖父が、叔父が、叔母が、そして父が見たら・・。
どんな言葉を発するのだろうか。


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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ひー様へ (酔漢です )
2011-03-29 09:56:26
どれだけの時間がかかるのか。
計り知れない時間を要するのでしょうね。
七ヶ浜が日常に戻るまでの時間。
津波の被害。
この日は、永遠に語られるのでしょう。
返信する
何がなんだか・・・ (ひー )
2011-03-25 21:36:30
砂浜から以前の景色を思いだし重ねますが、 どうにも重なりません。

酷いものですね。
これは時間がかかりますね。
地震だけだったらなんとかなったのに、そして犠牲者も少なくて済んだことでしょう。
残念で悔しくも悲しくもありますね。
返信する
ばるえ様へ (酔漢です )
2011-03-25 18:14:48
同性寺の写真が手元にございます。
迷ったのですが、公開を避けました。
本堂は一見無事に見えますが、地震と津波で相当な被害があるようです。
通行禁止状態はどうでしょう。
浜の様子。今後もアップお願いします。
返信する
くりまま様へ (酔漢です )
2011-03-25 18:11:58
多賀城桜木は被害の大きい地域です。
ご無事、何よりでございました。
ご自宅もご無事とのこと。
ライフラインも徐々に復旧していると聞きました。
故郷の惨状に、まだ自分の気持ちが落ち着かない酔漢でございます。
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Unknown (ぱるえ)
2011-03-24 16:29:30
今日久しぶりに浜に戻りました。
道路はだいぶ片付いていましたが、
やはり津波が上がった場所は目を覆いたくなる風景に…
のどかだった砂浜や田畑が根こそぎなくなっていました。
これが現実なのですね。

酔漢さんの系列事業所は今、休業中だそうです。
近くのスーパーも同じくで、ドラッグストアのみ営業。
今日はお肉屋さんが売り出しするとのこと。
浜の買い出しはかなり大変な状況のようです。
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Unknown (くりまま)
2011-03-23 11:28:05
くりままです。当日は多賀城桜木におりました。
多賀城は八幡まで水がきていました。
多賀城は産業道路、国道45号線、仙石線が
防波堤のような水の流れでした。

七ヶ浜のことは私も気になっており、町のホームページを見て、心痛めていました。
私ども家族は幸いにも命も家も無事で、
ご自宅をなくされた方へ何かお手伝いと
思うところですが、自転車生活での食料品の
入手など、1日がすぎています。
時間も曜日も、感覚も麻痺したような
一週間でした。


お母様の無事、よかったですね。
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