塩竈桜 (猫写真家)
2011-05-10 00:40:33
七ヶ浜の現状報告ありがとうございました。小さな頃も、学生時代も七ヶ浜にはよく遊びに行きましたし、外人浜で花火をしたり、菖蒲田海岸に泳ぎにいったことなどが思い出されます。写真のような現実をなかなか受け止めきれない状況です。テレビを見て震災後は泣いてばかりいます。故郷から離れて、20数年たつのですが、それゆえに思いも強いのかもしれません。今でも仙台駅から東北新幹線に乗って東京方面に向かう時には、後ろ髪を引かれる思いがします。酔漢さんも今回は特にそんな思いがしたのではないでしょうか。故郷の復興を祈り、願うばかりです。
先日、塩竃神社の塩竃桜が見頃になったと全国放送で伝えていました。震災がなければ、全国放送で話題にされることもなかったのかもしれません。塩竃桜は、ゴールデンウィーク時に実家に帰った時にはかならず見に行きます。というか、塩竃神社には必ず帰郷したらお参りをします。塩竃人は塩竃神社にいかないと何となく落ち着かないものです。東京にも塩竃神社があって、そこには本家の塩竃神社から移植された塩竃桜が植えられていました。酔漢さんの塩竃桜の写真を見てそんなことを思い出しました。
「猫写真家」さんからコメントを頂きました。
猫写真家さんは、塩竈市立第三小学校のご出身。丹治さん、クロンシュタット氏の後輩にあたります。
酔漢とは大学時代に知り合いました。
ご実家は笠神にございます。今は厚労省にお努めです。
「魚へ・・・誘う」昨年11月30日の「くだまき」ですが、表紙の写真は彼が撮影したものです。アマチュアながらかなりの腕前です。
震災直後から電話で連絡を取り合っておりました。
ミズ○君連絡あり (猫写真家)
2011-03-20 00:20:51
今日、ミズ○君から電話があり、彼の家族は無事だったけれど、親戚の家が流されたり、親戚の子供二人が亡くなったり、大変な被害だそうです。酔漢さんのお母様が無事だったことは伝えておきました。セッちゃんにも。ミズ○君は、ワシ○○君の家族が心配といっていました。もしも情報があれば教えてください。 職場で宮城県と岩手県への被災地支援派遣が決定し、志願したのですが、気持ちはわかるが、今は君に行かれると困るので他の人をとのことで、秋田県出身の隣席の同僚が派遣されることになりました。第二陣以降には、いかせてくださいと頼んでいます。今は、動揺することなく、節電と年度末の仕事を片づけることが、私の仕事のようです。
「酔漢だけど、二日の日に七ヶ浜行って来た。写真も撮ったけど『くだまき』にしようと思う」
「結局今の仕事が忙しくて、塩竈に行ける予定がなくなった。省の第一次救援隊には同じ部署の秋田出身の奴が行ってるんだけど。本当は、早く様子が見たいんだ」
「みず○君とは連絡取ったんだよね」
「彼もまだ石巻には行ってない」
五月一日未明に塩竈に着きました。そして翌日の様子が、前回の「くだまき」でございます。奇しくも、丹治さんの弟さんも帰塩しておりました。
彼とも話をいたしました。
「兄が生きているのも・・これも偶然が重なった結果だったと思います。でも、ニュースや報道だけではわからないことも一カ月たって初めてわかることがあるんだと、現実を直視すると事の大きさを初めて知るわけです。正直、ショックだった」
そしてこうも。
「やはり、母も心配ですし、もっと早く来なくてはいけなかったのかもしれませんが」
都内で、出版社をしておる彼です。日頃の激務の合間を縫っての帰塩でした。
「東部道路を今朝がた通って来たんですよ。左と右の風景が全く違う。驚きでした。幸い知人に犠牲者がいなかったのですが、あの道路が本当に運命を分けていたのですね。テレビの映像ではここまで解りません。もっと早く来たかったのですが・・」
酔漢の中学の後輩。そして今は「従妹のだんな」、さいとう君です。彼との出会いはやはり過去の「くだまき」で語っております。「下駄を鳴らして奴が来た! いとこの旦那」
商社マンである彼もまた、同じように「早く来たかった」と話しておりました。
それぞれが新幹線開通のタイミングでの帰郷でした。
酔漢は当初「車での移動」を考えました。が、ガソリンスタンドの長蛇の列を見て帰塩を断念いたしました。
そして、刻々入ってくる新しい情報に「やきもき」しながら、(普通の気持ちではいられないものの)普通に仕事をしておりました。
「故郷の惨状を見るたび心を痛めておりました。
テレビを見て震災後は泣いてばかりいます。故郷から離れて、20数年たつのですが、それゆえに思いも強いのかもしれません」
猫写真家さんの思いは酔漢と同じでした。
「あなたは被災地にいるわけではないの!生命や財産が失われたわけでもなく、まして避難生活しているわけでもない。『明日どうするか』だけで生きている人達が何十万人もいるんだよ。センチメンタルになっている暇なんてないんだから」
家内からの叱責。
自分でも気づかないうちに、震災のニュースに触れては「異常な発言」を続けていた(らしい・・)酔漢に我慢できずに意見した模様でありました。
家内の言っていることも解ります。が、やはり、「失った故郷」というものの大きさが、これほどまでとは想像つきませんでした。
故郷は遠きにありて想うもの・・
「今度いつ塩竈へ帰る」
この思いはここ二十数年来、仕事のガッツになっていたことを初めて知りました。
「猫写真家さん」「丹治さんの弟君」「従妹のだんな」「ミズ○君」・・。
皆それぞれの思いを引きずっておりました。
離れていたからこそ、その思いは遥かに強く、そして今故郷にいない分よけいに消失感が大きいのだと。
被災地におられる方からすれば「甘え」に映るかもしれません。
ですが、遠くに居る者たち皆、同じような思いを抱きながら暮らしていることを知っていただきたいのです。
「七ヶ浜被害」「菖蒲田 現在 様子」「同性寺 被災 現況」「七ヶ浜 津波 様子」
など。アクセス検索されておられる方々が大勢おられました。
「七ヶ浜町出身です。テレビで情報が入ってませんが、被害はどうのようなものでしょうか。大阪にいます」
テレビでは限られる情報を何とかネットを駆使して得ようとした人達が大勢おられる。
「故郷を遠きにありて想う者たち」
今、どんな思いを持って生活しておられるのでしょう。
「外人浜で海水浴の帰り、同性寺(七ヶ浜町、花渕)に泊まったんだ。懐かしい思い出だよね」
家内の一言。
先の発言の直後。
彼女の台詞でした。
2011-05-10 00:40:33
七ヶ浜の現状報告ありがとうございました。小さな頃も、学生時代も七ヶ浜にはよく遊びに行きましたし、外人浜で花火をしたり、菖蒲田海岸に泳ぎにいったことなどが思い出されます。写真のような現実をなかなか受け止めきれない状況です。テレビを見て震災後は泣いてばかりいます。故郷から離れて、20数年たつのですが、それゆえに思いも強いのかもしれません。今でも仙台駅から東北新幹線に乗って東京方面に向かう時には、後ろ髪を引かれる思いがします。酔漢さんも今回は特にそんな思いがしたのではないでしょうか。故郷の復興を祈り、願うばかりです。
先日、塩竃神社の塩竃桜が見頃になったと全国放送で伝えていました。震災がなければ、全国放送で話題にされることもなかったのかもしれません。塩竃桜は、ゴールデンウィーク時に実家に帰った時にはかならず見に行きます。というか、塩竃神社には必ず帰郷したらお参りをします。塩竃人は塩竃神社にいかないと何となく落ち着かないものです。東京にも塩竃神社があって、そこには本家の塩竃神社から移植された塩竃桜が植えられていました。酔漢さんの塩竃桜の写真を見てそんなことを思い出しました。
「猫写真家」さんからコメントを頂きました。
猫写真家さんは、塩竈市立第三小学校のご出身。丹治さん、クロンシュタット氏の後輩にあたります。
酔漢とは大学時代に知り合いました。
ご実家は笠神にございます。今は厚労省にお努めです。
「魚へ・・・誘う」昨年11月30日の「くだまき」ですが、表紙の写真は彼が撮影したものです。アマチュアながらかなりの腕前です。
震災直後から電話で連絡を取り合っておりました。
ミズ○君連絡あり (猫写真家)
2011-03-20 00:20:51
今日、ミズ○君から電話があり、彼の家族は無事だったけれど、親戚の家が流されたり、親戚の子供二人が亡くなったり、大変な被害だそうです。酔漢さんのお母様が無事だったことは伝えておきました。セッちゃんにも。ミズ○君は、ワシ○○君の家族が心配といっていました。もしも情報があれば教えてください。 職場で宮城県と岩手県への被災地支援派遣が決定し、志願したのですが、気持ちはわかるが、今は君に行かれると困るので他の人をとのことで、秋田県出身の隣席の同僚が派遣されることになりました。第二陣以降には、いかせてくださいと頼んでいます。今は、動揺することなく、節電と年度末の仕事を片づけることが、私の仕事のようです。
「酔漢だけど、二日の日に七ヶ浜行って来た。写真も撮ったけど『くだまき』にしようと思う」
「結局今の仕事が忙しくて、塩竈に行ける予定がなくなった。省の第一次救援隊には同じ部署の秋田出身の奴が行ってるんだけど。本当は、早く様子が見たいんだ」
「みず○君とは連絡取ったんだよね」
「彼もまだ石巻には行ってない」
五月一日未明に塩竈に着きました。そして翌日の様子が、前回の「くだまき」でございます。奇しくも、丹治さんの弟さんも帰塩しておりました。
彼とも話をいたしました。
「兄が生きているのも・・これも偶然が重なった結果だったと思います。でも、ニュースや報道だけではわからないことも一カ月たって初めてわかることがあるんだと、現実を直視すると事の大きさを初めて知るわけです。正直、ショックだった」
そしてこうも。
「やはり、母も心配ですし、もっと早く来なくてはいけなかったのかもしれませんが」
都内で、出版社をしておる彼です。日頃の激務の合間を縫っての帰塩でした。
「東部道路を今朝がた通って来たんですよ。左と右の風景が全く違う。驚きでした。幸い知人に犠牲者がいなかったのですが、あの道路が本当に運命を分けていたのですね。テレビの映像ではここまで解りません。もっと早く来たかったのですが・・」
酔漢の中学の後輩。そして今は「従妹のだんな」、さいとう君です。彼との出会いはやはり過去の「くだまき」で語っております。「下駄を鳴らして奴が来た! いとこの旦那」
商社マンである彼もまた、同じように「早く来たかった」と話しておりました。
それぞれが新幹線開通のタイミングでの帰郷でした。
酔漢は当初「車での移動」を考えました。が、ガソリンスタンドの長蛇の列を見て帰塩を断念いたしました。
そして、刻々入ってくる新しい情報に「やきもき」しながら、(普通の気持ちではいられないものの)普通に仕事をしておりました。
「故郷の惨状を見るたび心を痛めておりました。
テレビを見て震災後は泣いてばかりいます。故郷から離れて、20数年たつのですが、それゆえに思いも強いのかもしれません」
猫写真家さんの思いは酔漢と同じでした。
「あなたは被災地にいるわけではないの!生命や財産が失われたわけでもなく、まして避難生活しているわけでもない。『明日どうするか』だけで生きている人達が何十万人もいるんだよ。センチメンタルになっている暇なんてないんだから」
家内からの叱責。
自分でも気づかないうちに、震災のニュースに触れては「異常な発言」を続けていた(らしい・・)酔漢に我慢できずに意見した模様でありました。
家内の言っていることも解ります。が、やはり、「失った故郷」というものの大きさが、これほどまでとは想像つきませんでした。
故郷は遠きにありて想うもの・・
「今度いつ塩竈へ帰る」
この思いはここ二十数年来、仕事のガッツになっていたことを初めて知りました。
「猫写真家さん」「丹治さんの弟君」「従妹のだんな」「ミズ○君」・・。
皆それぞれの思いを引きずっておりました。
離れていたからこそ、その思いは遥かに強く、そして今故郷にいない分よけいに消失感が大きいのだと。
被災地におられる方からすれば「甘え」に映るかもしれません。
ですが、遠くに居る者たち皆、同じような思いを抱きながら暮らしていることを知っていただきたいのです。
「七ヶ浜被害」「菖蒲田 現在 様子」「同性寺 被災 現況」「七ヶ浜 津波 様子」
など。アクセス検索されておられる方々が大勢おられました。
「七ヶ浜町出身です。テレビで情報が入ってませんが、被害はどうのようなものでしょうか。大阪にいます」
テレビでは限られる情報を何とかネットを駆使して得ようとした人達が大勢おられる。
「故郷を遠きにありて想う者たち」
今、どんな思いを持って生活しておられるのでしょう。
「外人浜で海水浴の帰り、同性寺(七ヶ浜町、花渕)に泊まったんだ。懐かしい思い出だよね」
家内の一言。
先の発言の直後。
彼女の台詞でした。
役場から 菖蒲田への道もダメで結局現在の様子は見れませんでしたが 、高台から見た七ヶ浜の海はあんなに近かったのかと驚くばかりです。
ちょっとだけ写真を撮りましたので次回UPします。