酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

幻の牛タンと西武ライオンズ プロ野球編

2007-07-11 09:30:10 | 野球の話
伊達の牛タンと言えば、知らない人がいないくらいの仙台名物です。仙台駅の中には、牛タン通りがありますが、酔漢は一度も立ち寄った事はありません。牛タンは嫌い?いえいえ大好きです。酔漢の通っていた牛タンのお店が,今はもうなくなってしまったので。それ以来、牛タンのお店には足が向かなくなったのです。今日のお話は、野球の話というよりは、グルメの話かもしれません。

「酔漢、木曜日、飲みにいくか?大学の試験も落ち着いたしな」
「あっいいですよ。芝居の練習もないし」
電話は、丹治道彦氏(現東北工業大学助教授)からでした。
「んで、藤崎角、5時で。正宗にでも久しぶりにいくべ」
「おっ、いいですねぇ。牛タン!久しぶりですね!」
「正宗」は、牛タン焼きのお店です。戸を開けると、親父さんと奥さんが暖かく向かえてくれます(いつもの通りです)
「こんにちわ」
「いらっしゃい」
「今日は酔漢といっしょに来たのっしゃ。親父さん、塩釜に店出してた時、宮城労金の人いたでしょ。酔漢の叔父さんも塩釜の労金さぁいたのっしゃ」
「んで多分おれ知ってっと思うのっしゃ。名前は?」
「タケダっていいます」
「知ってる、知ってる。労金、店のそばだったからっしゃ。たけださんよくきてたおん。丹治先生ともよく一緒になってたおんな」
(ここで親父さんが話している 丹治先生は 丹治道彦さんのお父様です。 故丹治寿太郎先生です。 東北大学ドイツ語助教授 鬼の丹治 と言えば知っていらっしゃる方もいるのではないでしょうか。ノーベル物理学賞受賞の科学者に、学生時代、ドイツ語で再履修を命じた先生?とのうわさもあります。また後程、真相を)
「今日は、常連の甥っ子と息子の飲み会だっちゃ!で、いつものパターンで」
「タン焼きとテイル焼きすか?」
「んだっちゃ」「はいよ」
僕らは、料理が出来るまでもちろんビールで乾杯です
「塩竈さぁいた頃、店の名前違ってたんだよね?」
「んだ、そがべ っていってたのっしゃ。仙台に店移してから正宗にしたっちゃ」

「親父は、西塩釜で降りると、ここに良く寄ってたのっしゃ」と丹治氏。
「丹治さん。叔父貴は、仕事終わると、目の前がこの店だおんな。寄らねぇわけねぇべっちゃ」
塩竈のころは、ちょうど、仙石線本塩釜と西塩釜の間の高架橋をくぐり、市役所方面への道を行くと東園寺がありますが、その角、八百大分店の隣に店がありました
宮城労働金庫塩竈支店はその隣のビルの2階にありましたから、本当に目と鼻の先にあったわけです。
「はい、お待ち。牛タン2人前ね。テイル焼きはもうすぐできからっしゃ」
奥さんが料理を運んでくれました。
「塩竈に店出した頃、喜助はあったのすか?」と酔漢は丹治氏に聞いてみました。
「あったかもしれねぇけど、喜助は、俺ら中学に入ったばかりぐれえでねぇかな、南町交差点から行ったあたりに出来たのって」
「んで、牛タンの店って、ここが そがべ だった時の方が早い?」
「かもしんねぇ」

「はいテイル焼きね」
「待ってました。熱いうちに軟骨ほぐして っと うめぇーーーー」
「牛タン 追加で!」
僕らは、牛タンとテイル焼きに舌鼓を打ちながら、しばし談笑。(丹治氏との話をブログに書き込みますと、ネバーエンディングストーリーになってしまいますので。これまた後程ゆっくり書き込みます)
ふと、壁を見ると、プロ野球選手のサインが3枚、壁に貼ってありました。そして親父さんと一緒に写真に写っている選手が1名。

「親父さん。これって 西武ライオンズの 秋山?(秋山幸二 現ソフトバンク2軍監督)」
「そう。ここに来たのっしゃ。横にあるのは、大久保と苫篠だっちゃ。仙台に来ると、秋山君は必ず、ここに寄るんだ」
「かなり食べるんでしょ?」
「大久保君(デープ大久保です)はかなりだね。秋山君は以外にそうでもないけど、それでも、一般の人達よりは食べるよね」
「キャンプになると、秋山君から電話が掛かってきて、牛タン送ってくれって。今年は春日野に10kgを2回送ったおん」
「秋山が今年調子いいのは、伊達の牛タンのおかげかや?」
「かもしんねぇな」
「でも、ライオンズは結構出歩く連中同士決まっているみたいで、秋山君は必ず大久保君と一緒なんだおん」と親父さん。
ライオンズの派閥?が分かるような気がいたします。

仙台駅、牛タン通り。お昼時にもなりますとかなりの人が並んでおります。またここ数年で牛タンを売りにしているお店も増えました。酔漢、ふと正宗の親父さんを思い出します。このブログで書きましたお店は、奥様の病気を機に一度お店をたたみました。で、後に、名掛丁から本町へ抜ける通りの角にお店を再開しました。が、奥様を亡くされた後、再びお店を開くことはありませんでした。喜助はよくこちらでのグルメ番組にも登場します。でも、牛タンを食べるとき、正宗とその親父さんが目の前におりませんと、なんとなく物足りないような気がしてなりません。
秋山君は今、ソフトバンク2軍の監督ですが、正宗がなくなってから、どこで大好きな牛タンを食べているのでしょうか?そのようなお話も聞かない昨今ですから、彼もまた、正宗と親父さんのファンだったのかと、思うのでした。


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