みなさん こんにちは
大阪商工会議所異業種交流会フォーラム・アイで親しくお付き合いいただいた経営の大先輩故高仁鳳さんが営んでいた多言語印刷・ケイビーエス社(生野区勝山北2丁目 )とその前身の僑文社の歴史を紐解く「1960年~70年代の大阪における在日コリアン印刷業 ー僑文社・ケイビーエス株式会社の歩みから(1)ー」(石川亮太著)を読みました。
高仁鳳さんと初めてお会いしたのは大阪商工会議所生野支部(当時)異業種交流会フォーラム・アイが設立された1996年ごろです。本稿はそれ以前の話です。日本の高度成長期と軌を一にして僑文社・ケイビーエス社も成長、発展していきます。その渦中、雇用、資金繰り、はたまた南北分断による他社との軋轢、日本の中での在日韓国系企業としての活動の困難さ、多くの問題を抱えての経営です。それらを設立時に高さん自らが作った社是「「在日韓国人の民族意識の高揚と文化の向上」「韓日両国民の相互理解と親善」の強い意志。はたまた「主の命令」とまでの決意で乗り越えていきます。
フォーラム・アイでの親交を通じ、時折高さんからケイビーエス社の成り立ちをお聞きしたことがあります。僑文社を引き受け、さらにケイビーエス社に発展させていった経緯です。そこでは日本語と韓国語が同時にできる電算写植機の導入が発展への飛躍となったとよく話されていました。それは韓国に先んじて日本初、つまりは世界初だったと。この項は、次の(2)の論考に続くそうです。
日本企業が主なメンバーの異業種交流会に在日企業として加わったのも韓日両国の相互理解と親善の意図があったのでしょう。韓国語講座の主催、韓国視察旅行といわゆる日本人メンバーに韓国との接点を作ってくれました。
このころの私は、3才から生野今里で暮らし在日の同級生もたくさんいたのにほとんど地元とのつながりがなく、在日の方ともほぼ付き合いはありませんでした。今ある在日韓国朝鮮人の方々との親交の多くは高さんからのご縁です。亡くなられた際には、その糸口が切れてしまうのかと心配にさえなりました。それは杞憂に終わりましたが、高さんとお会いしていなかったら、生野に暮らしながら日本人だけとの閉鎖された生活をしていたかもしれません。高さんの「韓日両国民の相互理解と親善」への強い意志に救われました。
当社を訪問していただいた際、「いつ経営が行き詰まるか心配だ」とこぼしたら、「岡田さんとこは心配ない」と仰ってもらいました。その時は軽い気持ちでその言葉を受け止めていました。しかし後々、長年の経営経験からの洞察によるものと、感じるようになりました。
それら高さんの経営の手法、悩み、妻の林パンジャさんをはじめとした周囲の協力の様子が時代背景の解説とともに描かれています。高さんにゆかりのある方だけにとどまらず、多くの方に読んで欲しい。
それにしても、同社が印刷を請け負った1970年の大阪万博韓国館のポスター(在日本大韓民国居留民団・在日韓国人万博後援会)に「万博後援事業」のコピーとともに「永住権を申請して生活安定を成し遂げよう」とあるのには驚きました。
1960年~70年代の大阪における在日コリアン印刷業
ー僑文社とケイビーエス株式会社の歩みから(1)ー
立命館経営学(立命館大学経営学会)第61巻第2号
石川亮太立命館大学教授著
今年で高さんが亡くなられて10年を迎えます。それに合わせて、来年3月4日お昼、生野区民センターで集会を持つ予定です。予定をあけておいてください。詳細はおいおいお知らせします。
本、集会に関心のある方は遠慮なく司元にご連絡ください。
感想は2に続きます。お手数ですがそちらは以下からご覧ください。
これから先は宣伝です。
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