えびす顔の造花卸売問屋元社長からの手紙

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猪飼野少年愚連隊の悲しみ

2022年10月29日 14時46分18秒 | 大阪、生野
 みなさん こんにちは
 
 大阪生野A中学校3年先輩の東野圭吾さんが書いた「あの頃ぼくらはアホでした」では、母校A中を「ワルの巣窟、命がけの中学時代」と表現しています。確かにそこでは喧嘩、たばこ、賭博、窃盗とその「ワル」が描かれています。しかし、東野さん独特の描写の仕方もあるのでしょうが、どこか憎めない「ワル」たちが生き、「真面目」と共存しています。今となってはそれらの話は滑稽にさえ感じます。

 しかし、「猪飼野少年愚連隊」(黄民基著、講談社文庫)の「悪(ワル)」は違います。同じように、喧嘩、窃盗、たばこ、酒、女、賭博に明け暮れます。それが小学校4、5年生から始まります。中学に上がるとその恐ろしさは格段に増し、地元の愚連隊ともつながっていきます。ポン引き、窃盗品の密売、アジトを建て改造銃まで作る。ゆすり、たかり、闇討ち、裏切りがはびこり、生野や大阪ミナミを縄張りにする愚連隊の手先となってうろつく。幾人かは暴力団組織へと吸い込まれる。彼らはその後、組織からの手を逃れるために身を隠したり、自殺、殺害された者も出てきます。半面、一部の子らはその環境から自ら抜け出し”まっとうな大人”へと巣立っていきます。何が両者を分けたのでしょうか。
 そこでは子供たちをとりまく民族差別、貧困、劣悪な家庭環境、朝鮮への帰還事業、様々な背景が描かれ、読み進めれば進めるほど、その不条理に気持ちが沈んでいきます。

 昭和33年から35年にかけてどこの小学校、中学校を舞台にしたのか、まず浮かんだのは私の中学時代”恐れられていた"B中学校です。しかし、城東運河が出てきたり、清見原神社が通学路だとか。ちょっと違うようです。それこそ東野さんが取り上げた我が母校のA中が当てはまるような。そして小学校はその校区のC小? そういえば、東野さんの本の中では、東野さんより7期、私より10期先輩の時代を東野さんが通ったころとはレベルが違う「恐怖の○○期生」とし「乱闘は日常茶飯。トイレは常にたばこ臭く、廊下は賭博場、体育館の裏はリンチ場」と描写しています。この小説の時代はその2年ほど前でしょう。我が母校が舞台だったのかもしれません。

 私がその中学に通うほんの10年ちょっと前のお話です。それは戦後で言うとまだ15年もたっていない頃です。まだまだ混乱が残っていた。そしてもう60年も前の話なんですね。10年ちょっと後とはいえ、同じ地域の同じ空気を吸った者として、今しがた起きたことのように、とどまることなく落ちていく子どもらの姿がなんとも言えない悲しみとともに浮かんできます。

 「あの頃ぼくらはアホでした」の感想はこちらをご覧ください。

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