家族ってなんだろう ポプラ社
アグネス・チャン、立松和平、三宮麻由子、星野哲郎、古東哲明が
それぞれ、家族についての思いや家族とは何かについて語った本。
アグネス・チャンは子供とのコミュニケーションを大切にしているという。
子どもに負けたくないという気持ちもあって
子どもが聴いている音楽よりも進んでいる音楽を作りたいし、
子どもが想像できないような活動もしたい。
子どもが聴いている音楽はすべて聴き、読んでいる本も必ず読むという。
日本ユニセフ協会大使としても地球上の子どもたちを支援するという仕事を
精力的にこなし、世界中の子どもたちが楽しく生きていけるような世界にしたいと
いう強い信念をもつ。
星野哲郎さんは多くの歌をこの世に送り出しきた方だ。
小さい頃からお母さんと祖母の三人暮らしだったという。
そんな星野さんも結婚され子どもに恵まれ、孫もできと
家族が星野さんにとってかけがいのないものであると語っている。
エッセイストである三宮さんは盲目なのは家にお金がないから治せないと
小学生のときに思っていたらしい。
自分のことをちゃんと精一杯考えてくれていると思ってからは
その気持ちもほぐれてきたという。
作家の立松和平さんは愚直で平和に生きる日本人の庶民の典型だったという
両親に育てられたと書いてあった。
とくに野心もなく、平凡で愚直で家族の幸せをかみしめていくような生き方、
家族のために一生懸命働くことのできる時代をよろこぶ人たちがつくった国が
敗戦後の日本だと思っておられるという。
平凡な庶民である父母がを誇りに思っておられるという。
ご自身にも家族ができ、初めての子どもが奥さんに出来たときも
インドにしばらく行っていたとか。
けれど、最後には家族の元に必ず帰ってきたという。
家族とはつかず離れずの、たしかな絆で結ばれているという関係がいいという。
哲学者の古東さんはインドに行ったときに出会った少女ルーナに
教えられたという。
インドの貧困は半端じゃない。
ルーナは両親も家もなくし、貧困にあえぐ13歳の少女であった。
何気なく見上げた菩提樹のキラキラ輝いているのを見て、
これほど美しいものを見たことがなかったそうだ。
木々ばかりか汚れた町角も貧困のきわみで生きている人たちも
何もかもがとても大切で貴重なものに想えたという。
それは「歓待」というふつうなら望ましくないこと、不利益なこと、異様なこと、
嫌なこと、そんなさまざまな悪をそれでも受け入れる態度のことだそうだ。
家族という単位を超越した「歓待」という態度を少女ルーナの生き様で
実証されたという。
そこに在るということが至高の状態なのだ。
それぞれの文化人が語る家族像をトータルすると家族とは何かが感じられる本だ。
アグネス・チャン、立松和平、三宮麻由子、星野哲郎、古東哲明が
それぞれ、家族についての思いや家族とは何かについて語った本。
アグネス・チャンは子供とのコミュニケーションを大切にしているという。
子どもに負けたくないという気持ちもあって
子どもが聴いている音楽よりも進んでいる音楽を作りたいし、
子どもが想像できないような活動もしたい。
子どもが聴いている音楽はすべて聴き、読んでいる本も必ず読むという。
日本ユニセフ協会大使としても地球上の子どもたちを支援するという仕事を
精力的にこなし、世界中の子どもたちが楽しく生きていけるような世界にしたいと
いう強い信念をもつ。
星野哲郎さんは多くの歌をこの世に送り出しきた方だ。
小さい頃からお母さんと祖母の三人暮らしだったという。
そんな星野さんも結婚され子どもに恵まれ、孫もできと
家族が星野さんにとってかけがいのないものであると語っている。
エッセイストである三宮さんは盲目なのは家にお金がないから治せないと
小学生のときに思っていたらしい。
自分のことをちゃんと精一杯考えてくれていると思ってからは
その気持ちもほぐれてきたという。
作家の立松和平さんは愚直で平和に生きる日本人の庶民の典型だったという
両親に育てられたと書いてあった。
とくに野心もなく、平凡で愚直で家族の幸せをかみしめていくような生き方、
家族のために一生懸命働くことのできる時代をよろこぶ人たちがつくった国が
敗戦後の日本だと思っておられるという。
平凡な庶民である父母がを誇りに思っておられるという。
ご自身にも家族ができ、初めての子どもが奥さんに出来たときも
インドにしばらく行っていたとか。
けれど、最後には家族の元に必ず帰ってきたという。
家族とはつかず離れずの、たしかな絆で結ばれているという関係がいいという。
哲学者の古東さんはインドに行ったときに出会った少女ルーナに
教えられたという。
インドの貧困は半端じゃない。
ルーナは両親も家もなくし、貧困にあえぐ13歳の少女であった。
何気なく見上げた菩提樹のキラキラ輝いているのを見て、
これほど美しいものを見たことがなかったそうだ。
木々ばかりか汚れた町角も貧困のきわみで生きている人たちも
何もかもがとても大切で貴重なものに想えたという。
それは「歓待」というふつうなら望ましくないこと、不利益なこと、異様なこと、
嫌なこと、そんなさまざまな悪をそれでも受け入れる態度のことだそうだ。
家族という単位を超越した「歓待」という態度を少女ルーナの生き様で
実証されたという。
そこに在るということが至高の状態なのだ。
それぞれの文化人が語る家族像をトータルすると家族とは何かが感じられる本だ。