TULIP DIARY

届くといいな やさしい風に乗って

一緒にテレビ観戦

2019年05月23日 | ひとりごと

いつも母が入院している病院から、自分が先に自宅に戻り、父が面会時間が終わる時間までいた後、帰宅する毎日を最近は送るようになりました。病院通いをしなくてもよかったときは、仕事を終え、自宅に戻り、洗濯などの家事を済ませたら、両親がいる2階にあまりいることがなく、自分の部屋がある3階に上がって、それほど長い時間話すこともあまりなく、先に眠りについていました。昨日は、阪神対ヤクルトの試合を途中の回から7回裏まで父と一緒に、テレビ観戦しました。父が一人になってしまっている状況なので、たぶん話相手がいないので、口には出さないけれど、相当寂しいはずでした。この回まで見て行けとか言って、私が3階に早く上がってしまうのを止める回数が多くなりました。小さな家なので、3階にいると、両親がいた2階からは、いつもテレビを見ながら話している声や笑い声がいつもしていました。看病疲れや精神疲れの影響か、一回り小さくなってしまった父は阪神戦を観戦しながら野球の話を一緒に見ていた私と楽しそうにしばらく話をしていました。よく、友達や元同僚や知り合いが父のことを「優しいお父さんですね。」と私に向かって言われることが多く、「そんな風に見えてるのかな?母にはいつも優しいけれど、娘である私にはそれほど優しくないけどなあ。外面がいいのかなあ。」とかいろいろと考えたことがありました。3階に上がろうとしたときに最近は毎日のように「疲れんようにしてや。」と一言掛けてくれます。私も「疲れないようにしてね。」などお互いを労わる回数が増えました。昔は、怒りっぽくて、不機嫌になることも多かった父でしたので、忘れてしまっていましたが、本当は優しい人だったということを最近は実感しています。父は昔のいろいろなことを思い出しながら、今まで聞いたことがなかったような、若いころの話をぽつぽつと語るようになりました。父と母が歩んできた道のりは夫婦にしかわからないというか、子どもが入る余地がない夫婦の絆のような一体感があったと想像します。父も一生懸命、今の状況をしっかりと受け止めようと、父は父なりに頑張ってくれいたんですね。乗り越えて行かなければいけない壁はたくさんありますが、苦しいですが、乗り越えていかねばならないということ、それが、今、生きているということかもしれないです。

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