古いアルバムを何冊も見ました。アルバムに貼っているのはフィルム撮影していた頃までの写真ばかりですが、いろいろなところに行ってきた思い出やその当時のことを振り返りながら見ました。古いアルバムを見ていたら、今年の3月に家族みんなで訪れた埼玉県の長瀞では、昔、舟に乗ってライン下りをしていたことをすっかり忘れていましたし、長瀞駅のホームにあった「ながとろ」という駅名の看板が昔もこの前も同じ看板だったということも発見しました。あれからだいぶん経っていたのに全く同じ看板でした。3月に訪れた柳川でも柳川下りをしたときの写真もあって、白秋記念館の前でも撮影していた写真もあって、すっかり忘れていた過去の思い出と遭遇でき、とても懐かしかったです。今でもよく覚えていることもありますが、こんなところにも行ってたんだなあと覚えていなかったこともたくさんありました。デジタルに記録し直そうとしたら、フイルム写真をスキャンしておくのがいいみたいですが、アルバムに貼っていた写真を手持ちのカメラで何枚も撮影して保存しておきました。自分が生まれたころからこどものころや若いころの写真を眺めながら、母や家族みんなで過ごしてきた日々や楽しかったときの思い出が愛おしかったです。8年前に買ったデジタルフォトフレームは買ったときは珍しかったので、その当時の写真をたくさん入れてBGMもお気に入りの映画音楽のメロディーを入れてよく見ていましたが、最近はほとんど見なくなっていました。この古いアルバムから選んだ写真をUSBメモリやSDカードに保存して、このデジタルフォトフレームで母がお世話になった方々に振り返って見ていただくために保存しておきました。保存した写真の中では大阪城公園の写真が一番多かったです。母は最近の大阪城公園の景色を見てないので、もっと一緒に車椅子を利用して一緒にもっと出掛けておけばよかったなあと思いました。
母が入院してから、戸棚の奥から平成10年ごろまで母が書き留めてきた覚書のようなものがあったのを見付けました。何月何日にどこに行ったかとか何かがあったとかの覚書などがきれいな字で書き留められていました。母は20年くらい前まではずっと家計簿をつけていて、その家計簿の日記欄に書き留めていたものを年月日ごとに書き留めて1冊のノートにまとめていました。母と私は似たところもあったし、似ていないところもありましたが、こういうノートを見たら私も若いときは同じように記載していたので、引き継いでいたものもたくさんあったのだなあと思います。その記載されていた内容を読んでみただけでも思い出して感無量になってしまいました。昨日の夕方、主治医の先生から電話があり、話をしないといけないので、夕方に来てほしいと連絡が入りました。とうとう、この日がやってきました。今日は、本当なら勤務を全うしたほうがいいいつもと違う仕事なのですが、当番などが当たっている時間帯を終えてから休ませていただくよう依頼しました。この日が来なければいいのにとずっと思ってきました。家族全員3人で乗り越える壁は今回は険し過ぎて乗り越えることができなくってもみんなで最後まで一緒に頑張ろうねと父と二人で言い合いました。