10月14日、馬見丘陵公園を散策した続きです。
フウセントウワタという植物だそうです。初めて見ました。
フウセントウワタの花はこんな花が咲くんですね。
花サポーター出展花壇&県民協働花壇では趣向を凝らした花壇が展示されていました。
ルコウソウ
ゴシキトウガラシ
10月14日、馬見丘陵公園を散策した続きです。
フウセントウワタという植物だそうです。初めて見ました。
フウセントウワタの花はこんな花が咲くんですね。
花サポーター出展花壇&県民協働花壇では趣向を凝らした花壇が展示されていました。
ルコウソウ
ゴシキトウガラシ
ころべばいいのに ヨシタケシンスケ 著 ブロンズ新社
嫌いな人がいる主人公がその嫌いだという気持ちをどうにかしたいときにあれこれと考えて誰かに相談するといったこともせずに自らの力で解決していこうとしている姿が描かれていた絵本でした。嫌いな人は誰にでもいると想像できるけれど、なぜ嫌いなのかという理由やどいうところが嫌いなのかという理由が全く描かれていなかったことにちょっとした驚きを持ちました。人が人を嫌う理由は理由がある場合もあるし、案外理由がないときもあるということもあるということを描いているのかなあとも思い、それを考えると深いし、いろいろな意味で人間の感情は理屈では表現できないということなんかもと思いました。この絵本の女の子の場合は、嫌いな人に嫌いだからと言って攻撃したり、悪口を言いに行ったり、傷つけたりしないで、嫌いな人のことを考える気分や時間を楽しいことを想像してもっと違ったことに転換したりしていました。争いを避けてけなげに自らを嫌な気分から奮い立たせるような気持ちの持ち方や行動の仕方をそれなりに描いて自らの怒りや恨みを言うことだけでなく、ほかのものに転換していく考え方や方向性の選択肢もたくさんあるんだよと子どもたちにもわかるように描かれていた絵本でした。
『ころべばいいのに』の本を読んで、嫌いな人はいくつになってもいるという事実を思い描きました。子どものころ、嫌いな人いたかな~と思い出してみたら、いつもだいたい何人か確かにいましたね。嫌いになった理由は私の場合は外見や見かけでは嫌いになったことは全くなく、その人の言動や行動が自分に向かってきて被害に遭ったときや遭いそうになったときなどに嫌いになることが多かった気がします。嫌いな人にはできるだけ近寄らないこと、話さないこと、その人の視界に入らないように避けることなど結構努力している自分が常にいたことも思い出しました。どうしても話さないといけないときは、必要最小限の会話にとめ、余計なことを言わないように心掛けるなど努力しても、その人の不用意な発言や行動で空しく傷つくことが多々ありました。年を重ねた今もその努力はしているもののその努力が空しい努力になることも多々あります。そういうときは、自分の中から、その人を消し去り、その嫌いな人のことを考える時間をもったいないと思うことにして、楽しいことだけをなるべく考えるようにしています。この本にも描かれていたように、多くの人々はそれぞれ嫌いな人が必ずいて、それぞれみんな耐えていたリ何かしらの努力をしているということ、自分だけではなかったんだということを感じる想像力や余裕も大事なのかもしれません。