一昨日は、梅田の映画館で山田洋次監督作品『キネマの神様』を観賞しました。原田マハさん原作の映画化作品です。原作は読んでいませんでした。松竹映画100周年の記念作品です。志村けんさんが演じるはずだった主人公・78歳のゴウは、沢田研二さん、若い頃のゴウは菅田将暉さん、ゴウの奥さん淑子は、宮本信子さん、若い頃の淑子は永野芽郁さん、ゴウの娘歩は寺島しのぶさん、ゴウと映画作りの昔の仲間で映写技師であり、ゴウの行きつけの映画館の館主テラシンは、小林稔侍さん、若い頃は野田洋二郎さんが演じておられます。78歳になったゴウは、ギャンブル漬けで、借金を作っては、奥さんや娘の歩に世話を焼かしており愛想をつかされていました。そんなゴウがたったひとつ愛してやまないものが「映画」でした。約50年前、ゴウは、映画作りの助監督として、映写技師のテレシンや仲間たち、当時の名女優の園子(北島景子さん)や撮影所近くの食堂の娘淑子たちといつか自分で監督作品を作ってみたいという夢を持ち、青春を謳歌しながら映画作りに勤しんでいました。そんなゴウがやっと自分の作品を監督できる日がやってきたものの結局は失敗に終わってしまい、挫折を背負うことになります。その作品であった「キネマの神様」は幻の作品になってしまうのですが、孫の勇がある日、ゴウの若かりしころの「キネマの神様」の映画の脚本を読み、素晴らしいと感激し、今風に書き換えて、脚本賞に応募したいと言いました。その脚本を孫とともに書き直し、再び若い頃のゴウが夢見た映画の世界への夢が広がって行くといったストーリーでした。ゴウと家族と仲間たちの繋がりを通して、愛情と友情、映画の世界の奇跡と夢を描いたほんわかさが漂っていた作品でした。
沢田研二さんが演じておられるいろいろなシーンを観ていたら、どの演技も志村けんさんにどこか似ていて、志村けんさんが沢田研二さんを通してその奥のほうで一緒に演じておられたような気がしたのが不思議でした。映画の中では、ところどころ、志村けんさんの歌やギャグなどが盛り込まれていました。
最後のほうの映画館で懐かしい映画を観賞していたシーンでゴウが映画の中から抜け出してきた園子に「淑子はゴウと結婚して幸せだったのか。」ととゴウ自身が問うシーンがありました。園子は、「あなたが幸せだったなら淑子ちゃんも幸せだったでしょう。」と答えていたシーンは、そうだよねとうなずいてしまうような名言でした。ゴウが病を負い、亡くなってしまうかもしれないというときに、奥さんが幸せだったかと確認したかったシーンは一番大切な奥さんの幸せを願う永遠の愛の証なのでしょう。なぜなら、自分の家族のことをこの映画を観ていたらなぜか思い浮かべてしまっていたからです。母が亡くなってから母が幸せだったろうかと父と話す機会が多くなっていました。父が幸せだったなら母も幸せだったに違いないということ、また、子どもである私も幸せだったから母も幸せだったに違いないという結論にいつも達します。旦那さんのほうが奥さんより先にこの世から去ってしまうとき、逆に奥さんのほうが先に去ってしまうとき、夫婦、親子、友人などの大切な関係の場合も同じことなのでしょう。それぞれ、相手が、果たして幸せだったのかを最期に問うのは、やっぱり名言だったなあと思いながら観終えました。