自転車をナンバパークス近くの駐輪場に止めて、高島屋百貨店7階で開催されていた安野光雅追悼展を見学しました。
産経新聞に連載されていた洛中・洛外の京都の風景95作品と京都御所の花を描いた26作品が展示されていました。
ショップで絵葉書やファイル、書籍を買って帰りました。
高島屋百貨店の屋上に上がってみました。
自転車をナンバパークス近くの駐輪場に止めて、高島屋百貨店7階で開催されていた安野光雅追悼展を見学しました。
産経新聞に連載されていた洛中・洛外の京都の風景95作品と京都御所の花を描いた26作品が展示されていました。
ショップで絵葉書やファイル、書籍を買って帰りました。
高島屋百貨店の屋上に上がってみました。
野の花と小人たち 安野光雅著 岩崎書店
安野光雅追悼展のショップにたくさん並んでいた安野光雅さんの本のうち、野の花の絵とエッセイが書かれていた本を購入しました。この本は、1976年に頃に書かれた本なので、安野光雅さんが50歳くらいのときに書かれていた本だったようです。追悼展で展示されていた同じ野の花々、れんげ、つくし、しろつめくさ、たんぽぽなどが記載されていた本だったので買ってみた本でした。追悼展で展示されていたこれらの野の花の絵はこの本に掲載されていた絵とは違っていましたが、添えられていた文章はこの本の中に掲載されていた文章と全く同じでした。この本には、かわらなでしこ、ひがんばな、のぶどう、つゆくさなどの作品もあり、その花にまつわるエッセイが花ごとに添えてありました。その中で、「ひがんばな」に添えられていた文章が印象に残りました。戦争が終わってご両親が疎開されていたいなかに帰られたときに道一面にひがんばなが咲いていたそうです。戦争中、ぶたれても泣かなかったのに、やけつくような赤いひがんばなを見られて涙が出たそうです。「花など、長い間、思っても見なかった。それを美しいと思う。人の心を、私はこの花がとりかえしてくれたのだと思っている。」と締めくくられていました。また、野草傷心というあとがきで、安野光雅さんのお母さんが当時道端に咲いている野の花をどこからか摘んで来られてお家の花瓶に生けて楽しんでおられた話が紹介されていました。家の母と似ているなあと思いました。家の母は、好きな野の花を植木鉢に植え直して楽しそうにいつも水やりして育てていました。その名残の植木鉢に植えられていたつゆくさなどが毎年花を咲かせています。野の花がお好きだった安野さんのお母さんのことを書かれていた文章を読んで花瓶に野の花を活けて楽しそうに眺められていた様子を想像しながら家の母が同じようにしていた野の花のことを思い出しました。このあとがきには、安野さんの独特の表現方法で、人間の手によってつくられた花を愛さない、自然を愛したい、人間はどんなにえらくても花を創れないと書かれていて、安野さんの生き方やものの見方が凝縮されていて、共感しました。
昨日の高校野球の準決勝戦をテレビで観戦しました。滋賀県代表の近江高校と京都府代表の京都国際高校が敗退し、和歌山県代表の智弁和歌山高校と奈良県代表の智弁学園高校が今日の決勝に進みました。近畿勢対決の試合、見ごたえがありました。今日の決勝は智弁対決になり、ユニホームが同じように見えたので、袖のところに記載されている和歌山と奈良の文字以外に違いがあるのかなと思っていたら、2校のユニホームの微妙な違いが紹介されていたサイトがあったので、役に立ちました。今日の決勝、テレビ観戦したいと思います。