TULIP DIARY

届くといいな やさしい風に乗って

北京オリンピック閉幕

2008年08月25日 | ひとりごと
朝のニュースから朝のワイドショー、昼の情報番組、晩のニュースまで
今回の北京オリンピックは1時間しか時差がなかったので
日本選手や各国の選手の活躍を生で見られて大変よかった。
その代わりに午前中やお昼に行われた競技は生で見れなかったけれど・・・。
中でも感動をもらったのは、ソフトボールのあのがんばりや北島選手のすごさ、
体操の美しさ、男子400メートルリレーの快挙かなあ。
みんな精一杯戦ったのだから胸を張って日本に帰ってきてもらいたいと思う。
星野JAPANもなでしこJAPANもよくがんばっていたと思う。
勝負ごとは本当に紙一重なのだ。
表彰式のときに流れるジャスミンの曲は今までのオリンピックでは聞いたことが
ないようなメロディーだったが、
メダルを獲得した選手たちの雄大な偉業を成し遂げた勇者として讃えるのに
ぴったりの曲だったと何度も聞くとそんな気がしたものだ。
開会式の花火の偽者、口パクの少女など中国らしい偽者が多かったけれど、
オリンピック中、大きな事件がなくてよかった。
北京オリンピックが終わってもいろいろな問題が山積の中国だろうが、
オリンピック成功のために表向きよくしてきたことが、
これからも続くようにしてもらいたいなあ。

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仁丹百年感謝祭

2008年08月24日 | ひとりごと
昨日は、近くにある森下仁丹の百年感謝祭というイベントがあって、
玉造駅にキダタロー氏が仁丹のマークになっている服を着て現れた。
これは自前の服とは違いますと冗談を振り撒きながらのコメントで
見に来た人々を笑いの渦に巻き込んで
何分間かの短いトークショーで駅の構内は盛り上がっていた。
仁丹は創業100年でここから移転するらしい。
お昼の12時から仁丹の工場が一般の市民に開放されていたので、
入ったことがないので1回行ってみようと出かけて行った。
行った時は酒井くにお・とおるさんが漫才をしておられた。
ここで笑わないともう笑うところがありませんよといういつもの
漫才をされていた。
森下仁丹百年歴史資料館も見学した。
この中では昭和初期の付近の風景が写った写真が展示されていて、
当時は家も何もないところだったのだというのがこれを見たらよくわかった。
ここに仁丹工場がなくなったらこの広い敷地内にマンションでも建つのだろうか。
この地に長くあったものがなくなるのはなぜか寂しいものだ。
この日は晴れたと思ったらザーと雨が降ってくるし、数分降ったらまた止んで
夕方晴れていたらまた晩に雷を伴った雨が降るといった変な天気だった。
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星野JAPAN

2008年08月23日 | ひとりごと
今、銅メダルを賭けた3位決定戦で8対4で日本はアメリカに負けてしまった。
なんかため息が出てしまった。銅メダルは取ってもらいたかったけれど、
初めのほうはいつでもいいのだけれど後になってくるとやっぱりなあと感じてしまった。
いつも先制点を取っていても後で逆転され負けるというケースが多かったような気がした。
気楽にやってたら勝てそうな試合も落としてしまったのは
必要以上に緊張しすぎたのが原因だったのだろうか。
日本での練習試合で大量得点で負けてしまったことが
今ではこの伏線だったのだろうか。
選手はみんなそれぞれがんばっていたと思う。
日本に帰ってもすぐ試合が待っているそうだし大変だなあ。
メダルこそ取れなかったけれどもう今となっては
うなだれずに胸を張って帰ってきて欲しいと思う。
お疲れ様。




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快速

2008年08月23日 | ひとりごと
先日、滋賀県の守山へ行く用があった。
用を済ませて帰り、プラットホームで電車を待っている間、
暗い雲が立ち込めて雷鳴と稲光もした。
多くの人はそれほどこわいそぶりも見せずに雷ピカピカ状態でも
屋根のないプラットホームで電車を待っておられた。
この日の天気予報は夕方からところによったら雷雨という予報だった。
雷が大嫌いな私は屋根の下で快速を待っていた。
快速は後から来る新快速より10分早く発車するが、
山崎あたりで追い越されて大阪に着くのは6分ほど遅くなる。
雷をいつまでもプラットホームで見ながら電車を待つのはこわいので
先に来た快速に飛び乗った。
電車に乗ったと途端に、滋賀県内走行中は
外の景色が雨で見えないくらいのばけつをひっくり返したようなどしゃぶりだった。
大津付近まではどしゃぶり状態だった雨も快速が京都駅に着くころには
その周辺は穏やかに晴れていた。
雨が降った形跡があったが、もうすっかり止んでいた。
そして、電車が京都駅を出てしばらく走るとまた、
先程のようなどしゃぶりではなかったが、雨が降っていた。
電車が山崎あたりまで来たときにはこの辺は降った形跡もなく、雲があったが晴れていた。
大阪に着くと雨なんて降る気配もなく大阪はいい天気だった。


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三田の野菜

2008年08月22日 | ひとりごと
先週、兵庫県の三田に用事があった。
帰りにかぼちゃとなすびと草餅を買って帰った。
帰ってこれをいただいたらとてもおいしかった。
旅行に行ったらどこにでもあるような道の駅とかに売っている
生産者の方々の名前入りで朝取りの野菜だ。
大阪の町中で売っているお値段よりも幾分安い値段で並んでいた。
トマトがあったら買ってきてと言われたので物色した。
このときもうお昼を過ぎた頃だったが、売れ残りのトマトが1袋寂しそうに
トマトのコーナーに残っているだけだった。
注文の野菜を買えなかったので何か変わりのものを買おうとうろついた。
そうしたらこの野菜たちが目に留まって重いのにもかかわらずたくさん買って帰ったのだ。
このようなおいしい野菜を毎日食べられる地域の方々がいつも本当にうらやましく思う。
三田は電車で何回か通過したことがあるが、
下車したのは、ちょっと前にホロンピアの博覧会で訪れた以来だった。
三田はまだ田園都市というかまだまだ自然がたくさん残されているところだった。
JRの快速が出ていて大分前に比べたら便利になったものだ。



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冨田選手

2008年08月21日 | ひとりごと
体操の冨田選手のお母さんが勤めておられるとかで、
大阪市内の近所の病院にデカデカと健闘を称える垂れ幕が下がっていた。
冨田選手は個人のメダルこそ取れなかったが、きれいな体操を目指して
日本の体操はやっぱりきれいだと思わしめた第一人者のうちの一人に間違いないと思った。
体操日本の復活は昨今のアテネオリンピックで感動させてもらったので
今回はアテネのときよりは幾分感動の質は違った。
だが、中国や各国の選手たちがすごい技を演じていても
彼の演ずる体操は彼のそういった気持ちが伝わってくる
とても素晴らしい演技だったと思う。



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伏してぞ止まん

2008年08月21日 | 読書日記
伏してぞ止まん 山口秀範 文 高木書房
東武鉄道東上線ときわ台駅で踏み切りに入った女性を助けようとして、
急行列車と衝突し、亡くなられた宮本警部の実話の絵本。
伏してぞ止まんというタイトルは宮本警部のお父さんの口癖であり、
宮本警部の生き方そのものを表した言葉だった。
精一杯努力した上で、もう一歩踏み出し、
うつ伏せに倒れるまで止めるなという教えだとこの絵本の中に書かれていた。
いつも人に優しく誠実に、いざとなったときに本当に勇気を出せる至高の精神を
持ち続けることは簡単ではないことだ。
それを身をもって人々に実践していた宮本警部の尊い心は
このような絵本になってこの世に残され人々の心に残された。
ちょっと前にドラマでやっていたのも見たが、
絵本はドラマとはまた違った何かを訴えていた。
最後のところで
「ぼくをこの世に送り出し、育み・支えてくれた自然やすべての人に、
心からありがとう」と書かれていた。
それは、本当に宮本警部ご本人の言葉であるようにいつまでも心に残る言葉だ。
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ヨハネスブルクへの旅

2008年08月20日 | 読書日記
ヨハネスブルクへの旅 ビヴァリー・ナイドゥー 著 さ・え・ら書房
13歳のナレディとその弟ティロは妹のディネオの容態が悪くなり、
お金がないので病院へも行けないし、母のいるヨハネスブルクに手紙も出せない。
そこで二人は母が住みこみで働くヨハネスブルクへと歩いて向かうことにする。
彼らの住む町からヨハネスブルクは300キロも離れたところにあった。
道中、親切なオレンジ工場の少年に寝る場所を紹介してもらったり、
トラックに乗せてもらったりと到るところで
親切な人々に出会い、やっとヨハネスブルクの母の元にたどりつけた。
南アフリカがまだアパルトヘイト政策を取っていた頃のお話で
旅する途中に黒人に対するいろいろな矛盾や今までの黒人たちの戦いを知ることになる。
パスを持たないという理由だけで白人に捕らえられてしまう黒人を見たり、
白人専用のバスには黒人は乗ることができなかったりと
短い旅の間に彼ら姉弟は黒人に対するさまざまな問題に直面した。
そして、再会した母と一緒に町に戻り、妹は大事に到らなくて済んだ。
そんなナレディの心にもきらっと光るものがいつのまにかに宿っていた。
この旅が一少女にとって成長の旅であったと同時に未来への力強い出発地点になったのだ。
著者はイギリス自治領南アフリカ連邦に生まれ、白人社会の一員として育ち、
大学時代に反アパルトヘイト運動に身を投じてとらわれ、
8週間の獄中生活を送ったそうだ。
この体験による目覚めが彼女の作家としての姿勢を方向づけたと書かれていた。
イギリスに亡命して初めて発表したのがこの児童向け小説だったそうだ。



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動物と向きあって生きる

2008年08月19日 | 読書日記
動物と向きあって生きる 坂東元 著 角川学芸出版
旭山動物園の獣医である著者が獣医になったきっかけから旭山動物園の数々の新施設を
作ってきたこと、動物園の考え方、野生動物に対する考え方がやさしく書かれていた。
旭山動物園に実際行って見て動物たちを見てきたら
この本の中に書かれていた事柄はすべて納得できる事柄だった。
動物はペットではない。野生動物はすばらしい存在であり、
尊厳に満ちた存在であるということをみんなに見てもらいたい、
知ってもらいたいという情熱が今の旭山動物園を作り上げたのだと思った。
立つレッサーパンダ風太くんを見世物にしたり、
クマやパンダなどをタレントたちが飼ってみようとする番組に対して
渇を入れる著者の考えは1本筋が通っている。
動物はペットじゃないんだ、かわいいだけの感覚は野生動物の保護にはならない。
著者の熱い思いが強く伝わってきた本だった。
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崖の上のポニョ

2008年08月18日 | 映画鑑賞日記
崖の上のポニョを見に行った。
朝9時20分からの上映の回だったが、座席は結構埋まっていた。
宮崎駿監督のジブリの映画をお金を出して映画館まで見に来たのは今回が初めてだ。
公開前の「ポニョポニョ、さかなの子・・・・・」と歌う主題歌と一緒に
テレビで何回も映画の宣伝を見てこれはおもしろそうだなあと思わせる作戦に
乗せられてしまった感もあるが見に行ってよかったと思う。
ポニョや宗介はとてもかわいかった。それと背景がとてもきれいだった。
優しい感じのする絵だった。最初のクラゲが一杯出てくる海のシーンや最後のところで
水没した町を宗介とポニョが船に乗って上から見るシーンはとてもよかった。
波の先端に目があったり、洗濯ものが水没しても水の中でひらめいているシーンなど
とてもきれいでまるで水族館の中で映画を見ているような気分になった。
ポニョは海辺の町の崖の上に住む5歳の宗介と出会う。
宗介がまた誰にでも好かれそうな優しくてたくましいいい子なのだ。
こんな宗介をポニョは大好きになる。そして、最後には人間になる話だった。

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