TULIP DIARY

届くといいな やさしい風に乗って

偕楽園その1

2022年05月16日 | 旅日記

4月28日、最後の見学地の偕楽園にやってきました。偕楽園に来たのは3回目でした。以前来たのは梅が咲いている時期でしたので、4月に来たのはこの日が初めてでした。

この時期は園内のあちらこちらにキリシマツツジがきれいに咲いていました。

好文亭

好文亭に行ってみることにしました。

芝前門

入口で入場料の200円を支払いました。

菊の間

桜の間

紅葉の間

竹の間

2階から撮影しました。きれいな風景が望めました。だいぶん前、梅が咲いているときにこの場所からたくさんの梅が咲いていた風景を撮影したときのことも思い出しました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

優しさと寂しさ

2022年05月16日 | ひとりごと

上島竜平さんが5月11日に急逝されたニュースを見て驚きました。5月8日に放送されていた「ドリフに大挑戦スペシャル」に囚人服でコントされていていつもどおりにお元気そうなお姿を拝見していました。急逝されたニュースを見たときはご病気だったのかなと最初は思いました。

日曜日、テレビを付けたまま寝入ってしまっていたのでテレビを消そうと思ってふと画面を見たら深夜放送されていた『恋に無駄口』というドラマの中で上島さんが黄色い仕事着を着て校舎内を掃除されてにっこり微笑んでおられたシーンを偶然見掛けました。このドラマは見たことがなかったのですが、校務員役でレギュラー出演されていたそうです。亡くなられる前に撮影されていたシーンが流れていたのですね。

ダチョウ倶楽部の肥後克広さんや寺門ジモンさんや上島さんと親密に交流されていた土田晃之さん、有吉弘行さんなどの多くの方々がコメントを出されていたのを読むと上島さんが優しいお人柄の方だったということがよく伝わってきました。

突然、この世から去られてしまうことほど人を寂しくさせるものはないですね。突然その姿を見ることができなくなって、空しい寂しさに変わってしまうほどのやるせない気持ちになられたのでしょうと思いました。ダチョウ倶楽部のリーダーの肥後さんが「何をやっても笑いを取る天才芸人上島が最後に誰も1ミリも笑えない、しくじりをしました。でも、それが上島の芸風です。皆で突っ込んでで下さい」と追悼されていました。あの世で、師匠の志村けんさんと会って早すぎるだろと怒られているかもしれないですね。親しくされていたお仲間の追悼コメントを読むと、上島さんの芸風があの世でもこの世でも多くの方々に突っ込まれ続けることが供養になるのかもしれないなあと思いました。ご冥福をお祈りします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひとりごと

2022年05月16日 | ひとりごと

父がある日、「お母さんとしてはいいお母さんだったか。」と何気なく私に聞きました。突然の質問に「いいお母さんだったよ。」と即答しました。自分がいいお父さんだったかとこの後聞きました。「まあまあいいお父さんだよ。」と冗談ぽく答えた私に、「まあまあだったらいいほうだな。」と笑っていました。父と二人きりになってしまうと、今でも時々親子喧嘩しますが、最後まで絶対折れない父なのでいつも私のほうから折れて仲直りします。また言ってると思って聞き流すときは喧嘩にならないのですが、時々口答えしてしまう日もあって、そのときは口喧嘩になってしまいますが、最後は自分のほうがいつも折れて仲直りするといった繰り返しをする日が増えました。母がいたときは緩衝材になってくれていたので、喧嘩する回数は少なかったですが、そのときに比べれば少し増えましたね。先日、霊山寺にバラを見に行くので一緒に行く予定でしたが、しんどいから一人で行っといでと朝言いました。そこで、一人で出掛けてきて、家に帰ったときに、「おかえり。」と出迎えて一言掛けてくれました。近所のスーパーに買い物に行ったときも途中で電話を掛けてきて、気を付けて帰っておいでといつも気に掛けてくれる父でした。たった一人の家族になってしまった父との暮らしがもう2年半続いていますが、父がいてくれるからまだ穏やかに暮らして行けるのかなと時々思うようになりました。日々話をしてくれて時折喧嘩をできる人がいることが小さな幸せなんだろうけれど、本当は大きな幸せなのだろうなあと思います。

10年くらい前に両親に「二人ともいなくなってひとりぼっちになったら死んでしまうかもしれないよ。」と何気なく言ってみたことがあります。そのときに母は驚いたようにすかさず「それだけはあかんよ。」と言いました。心配そうに私をずっと見ていました。本当にひとりぼっちになったときにわかるのでしょうけれど、そのときに果たして頑張って立ち上がることができるのかなといつも思います。毎日、それなりに手づくりしている料理もひとりぼっちになったら作る甲斐もなくなっていい加減に作るのかなとか、旅行に行っても他の人の冷たそうな目線に耐えながら一人寂しくご飯を食べないといけないんだろうなあなど、前から分かっているつもりでもそのときにならなくては自分がどういう心境になって行くのだろうかと想像がつきません。喪失感でおかしくなってしまうのだろうか、それともしっかりしないととさらに頑張って生きていけるのだろうか。自分で自分自身のこともよくわからなくなってきました。自分と繋がりを持ってくださっていた方々が歳を重ねるに連れて少しずつ減ってきましたし、突然その繋がりがなくなってしまうことにも時々遭遇しました。そのときに相当の衝撃を受けてしばらく落ち込む日々が続くのですが、穏やかに暮らして行くために何をし続けて何を求めて暮らして行けばいいのだろうかと時々、ふと立ち止まり、考えたり、思いを巡らしたりします。結論には達しないですが、なるようにしかならないと思うことにして、まだ細々とでも繋がって下さっている方々を信頼し、大切に思いながら、また新たな繋がりもできることもあるかもしれないことも願って、生ある限り、なんとか元気に穏やかに暮らせるように、ひとりぼっちになっても、誰もが本当はひとりぼっちだったりすると強がりながら日々を過ごして行くことが今の自分にできることだったかなと思うことが最近多くなりました。単なるひとりごとを最後まで読んでいただいてありがとうございました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ユニクロのCM「いろんなわたし篇 」

2022年05月16日 | 旅日記

綾瀬はるかさんが出ておられるユニクロのCM「いろんなわたし篇」で最後のほうで綾瀬はるかさんが自宅でくつろぎながら3人の綾瀬さんがそれぞれ話をされているシーンを見て奥深いことを語っておられるCMだなあと思いました。誰でもいろんな面を持っていていろんなわたしは全部ひっくるめてすべてがわたしなんだということだよねとしみじみ思いました。

22SS ブラトップ LifeとWear/いろんなわたし篇 30秒

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

牧歌の里その1

2022年05月15日 | 旅日記

5月6日、牧歌の里にやってきました。牧歌の里にはだいぶん前に来たことがあったので、久しぶりでした。

入口

この日は平日でしたが、ゴールデンウィーク中だったためか、多くの方々で賑わっていました。

園内を回るロードトレインが走っていました。

教会の前のチューリップ畑と近くを走っていたロードトレイン

白山連峰

教会前の芝桜がきれいでしたよ。

教会の中

素敵な景色に癒されてきました。

チューリップが咲いていた教会付近は坂道の上のほうだったので、ロードトレインが走っていた通路を後追いして、緩やかな勾配だった遠回りの通路を父を載せた車椅子を押しながら下りて行きました。

途中、水芭蕉がまだ咲き残っていた場所を通りました。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

丘の上の賢人

2022年05月15日 | 読書日記

丘の上の賢人 原田マハ 著 集英社文庫

だいぶん前に読んでいた「旅屋おかえり」の続編です。だいぶん前に読んでいたので前作の内容は忘れてしまっていたのですが、少し前にNHKでドラマ化されていたのを見て、前作のことを思い出し、続編を読んでみたいと図書館で予約して読んだ小説でした。文庫なので字が小さくて読みずらいので拡大鏡を片手に後4日で返却しないといけないこともあり、1時間くらいで集中して読めました。原田マハさんの小説を読むと最初は読めるかなといつも思っていてもなぜか一気に読めてしまうので不思議でした。読者を一気に引き付ける書き方は作者の持ち味だったのかもしれません。

この本は、依頼人に代わり旅の代行をする主人公「おかえり」こと丘えりかが北海道の札幌と小樽を旅する物語。今回の依頼人は、東京に住む札幌出身の古澤めぐみというアクセサリーの制作や販売をしている会社の社長でもあった40歳の女性でした。札幌の丘の上で待ち続けるある男性の動画を偶然見ためぐみがその男性が元恋人の浜田純也ではないかと気になり出したことが今回の依頼のそもそものきっかけでした。めぐみの依頼は、浜田純也、小樽でお店をしている純也のお母さん、めぐみのお姉さんの3人の人たちに会ってきてほしいということでした。3人に会った丘えりかがが旅の成果物として持ち帰ったものが感動を呼ぶ結末になっていました。

登場人物すべてがみんなお互いを思い合う優しい人として描かれていたことやおかえり自身も実に心優しい人だったということが自然に伝わってきたお話になってました。こんな優しい人柄の人々を設定できる原田マハさんも優しいお人柄の方なんだろうなと思いました。めぐみと純也を繋いでいた赤いリボン、ビートルズの歌、イサム・ノグチ、フーコーなどのこの小説の背景に漂っている印象的な色や独特の景色やメロディーを身近に感じながら読み手も小説の中でおかえりと同じように旅をしているかのような気分で想像しながら読めました。旅好きの原田マハさんが実際に訪れて感じられたそのままのイメージが文章と溶け合いながら生き生きと具現化されていたからだったのでしょうとも思いました。

挿入されていた言葉のそれぞれの意味も感慨深かったです。たとえば、純也のお母さんの「自分の子どもが人生で一番やりたいことを実行しているのを親は嬉しいものよ。」とおかえりに言っていた言葉、「ふるさととはおかえりと言ってくれる人がいるところ。」とおかえりがのぞみに言っていた言葉です。ふるさととは場所だけでなく、その人との繋がりの中にある温かい心の中だったりするという言葉などがとても印象に残り、心に響きました。

人生で一番やりたいこと、自分の場合もできてなかったから親孝行ではなかったですし、このまま過ごしてこの世から去って行く時間も後残り少なくなってしまったなあなどと思いましたし、おかえりと言ってくれる人がだんだんいなくなってきたので心のふるさとがなくなってしまうのはホントに寂しいなあとも思いました。でも、この世からいなくなる日までの時間が少々残されている間はまだこれからできることもあったりするかもしれないでしょうと思っておくのが一番希望が持てる過ごし方だったですね。

この小説ではめぐみと純也の純愛の赤いリボンがちぎれそうになりながらも時を超えて繋がっていたというロマンティックな関係性がドラマティックに描かれていました。お互いがお互いを待ち続けることやお互いを思い合う切なさは二人だけにしかわからないような尊くて誰も入り込むことができない世界でもあって、待つという受動的な行為の中に潜む能動的な希望や夢を感じたほっこりできた小説でした。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふるさととは

2022年05月15日 | ひとりごと

「丘の上の賢人」を読んで「ふるさと」の意味が掘り下げられていた下りがありました。

そのくだりは、130ページに、主に掲載されていました。このページには、

のぞみとおかえりの会話の中で「ふるさとって、おかえりさんにとってなんですか?生まれた場所のこと?」何気なくのぞみさんが訊いた。(中略)「『おかえり』と言ってくれる人がいるところ、かな」そう答えてから、自分の言ったことに、自分でどきっとしてしまった。そうだ。生まれた場所、実家があるところ、それもふるさとに違いない。けれど、おかえり、のひと言を言ってくれる誰かが待っている場所。それこそが、ほんとうのふるさとと言えるんじゃないか。だとしたら、私のふるさとは、礼文島だけじゃない。

と書かれています。

「ふるさと」は生まれ育った場所をイメージされるのが普遍的なのでしょうが、その場所でなくても、おかえりと温かく迎えてくれる誰かが待ってくれている場所がその人にとったら「ふるさと」であることもあるのだろうなあと思いました。「いってらっしゃい。」「おかえりなさい。」仕事に行き戻ってきた時、旅に出かけて帰ってきたときなど、この言葉はよく耳にします。それは、家族でなくてもいいし、その人にとっての大切な人であってもいいけれど、愛がこもった温かくて優しい言葉だったことに気が付きました。その人にとってこの言葉を投げ掛けてくれる人がいる場所が心の拠り所であり、生まれ育った場所である「ふるさと」と同じくらい大切な「ふるさと」でもあるということをこの小説の中のめぐみと純也の繋がり方から理解できました。

あとがきに瀧井朝世さんが書かれていた「旅をしてお気に入りの場所を見つければ見つけるほど、人はふるさとを増やして行く」と書かれていたのを読むとなるほどそうだよねと思いました。「深く馴染みのある場所だけがふるさとではないのだ。何度も訪れたい場所。懐かしい場所。恋しい場所。それらは、みんな、ある種のふるさとだ。」とも書かれていたのを読むとさらに納得できました。

おかえりは生まれ育った礼文島にひと肌上げてからしか帰れないとずっと思ってきたけれど、「丘の上の賢人」の中でクライアントの依頼を遂行して、生まれ故郷に帰れる日は近いのかなと思いました。礼文島に帰るときの続編がもし刊行されたらまた読んでみたいなあと思いました。

自分の場合、生まれた場所は今はもうない天王寺区上本町にあった病院だったそうで、当時住んでいた天王寺区にあった住まいや公園、商店街、神社、お風呂屋さん、駅、坂道の風景が今も思い出に残る第一の「ふるさと」なのかもしれません。子供の頃、日生球場の側に一時あった祖父宅や何度も連れて行ってもらった大阪城公園や母方の故郷の滋賀県日野町で駆け回っていた頃の景色も第二の「ふるさと」のひとつだったような気がします。私が何回も足を運ぶ場所、もう一度行きたいと思う場所は、家族や誰かと繋がっていたときの思い出がたくさん詰まった大切な場所でもありました。いつもおかえりと言って待ってくれていた大切な人々がいたからこその心の拠り所でもあった「ふるさと」がもっと輝いて見えていたということなのかもしれません。旅を重ねて行くと、いつのまにか何度も訪れていた場所が自分にとって、家族や大切な人々との繋がりがあったふるさとは違った意味での心の拠り所のひとつであるふるさとが増えていたのかあと思いました。

おかえりと迎えてくれる誰かがいるということはその人にとってなんとなくしあわせというのを通り超えたこの上ないしあわせな心の拠り所でもあるのでしょう。私自身はそのようなこの上ないしあわせを感じることはもうないかと想像しますが、なんとなくあわせという小さなしあわせが自分には似合っていたと思ってこれから穏やかに過ごして行けたらいいなあと思っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひたち海浜公園その2

2022年05月14日 | 旅日記

4月28日、ひたち海浜公園を散策したときの続きです。ネモフィラの丘からチューリップが咲いているたまごの森フラワーガーデンまでやってきました。ところどころに案内板が設置されていたり、方向指示板もところどころにありましたが、園内は広すぎて、どこまで歩いたらチューリップが咲いている場所に辿り着けるのかがよくわからず、ハンバーガーを買ったキッチンカーのお店の方にどっちに向いて歩いたらいいのかお伺いしてようやくこの場所に辿り着くことができました。ネモフィラの丘からこの場所まで歩くと相当遠かったです。

咲き終わっていた場所もありましたが、まだきれいに咲いていたチューリップを見ることができました。この時期はネモフイラの丘の風景もきれいでしたが、チューリップが咲くこの風景もはネモフィラの風景に負けないくらいきれいな風景を魅せてくれていました。チューリップが咲いているこの風景を是非見たかったのでこの場所まではものすごく遠かったけれど、頑張って歩いてきてよかったです。

いろいろな品種のチューリップが点在していました。

集合時間の午後1時まで約45分ほどありました。チューリップが咲いていた場所から集合場所の海浜口ゲートのバスの駐車場までは結構遠そうなので、集合時間に遅れないように早めに戻ることにしました。

途中、つつじがきれいに咲いていた場所がありました。

海浜口ゲートに集合時間の15分ほど前に着きました。

たくさん歩き、結構疲れました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白川郷2022その2

2022年05月14日 | 旅日記

5月6日に訪れた白川郷の続きです。展望台からシャトルバスで降りてきて、白川郷の合掌造りの集落を少しだけ歩いて散策してみました。

和田家

庄川

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白川郷2022その1

2022年05月13日 | 旅日記

5月6日、白川郷にやってきました。

JR砺波駅から高速バスで白川郷の荻町のバスセンターに午前10時半頃到着しました。

途中、車窓から景色を楽しみながら移動しました。

バスセンターから少し歩いたバス停より白川郷の集落を一望できる展望台行きのシャトルバスに乗りました。展望台は上の写真の山の上のほうにある場所です。

約10分で展望台に着きました。

白山連峰がきれいに見えていました。

合掌集落と白山連峰や庄川が見えていました。以前訪れたときは確か3月だったので雪景色の合掌集落をこの場所から眺めたことがありました。そのときに眺めた雪景色も独特の趣がありましたが、5月初旬の景色も、また違った春の息吹を感じる独特の趣があって、日本の原風景の素晴らしさを堪能してきました。

この日は少し風が強かったです。こいのぼりが風に乗って勢いよく泳いでいました。

展望台にあった食堂でお昼ご飯をいただくことにしました。

一番高い場所に設けられていたベンチに座ってカレーをいただきました。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする