○「音」や銃声は、すべてリムジンの「右」方向で起こった。
陳述のなかで、夫人は銃撃について「右側から」と述べているが、これは三つの銃声(ないし「音」)の全てについて証言である。この「発砲音は右側から」という証言は、先に見た夫・コナリー知事の証言と一致しており、さらに先のザプルーダー映像からも裏付けられる。
しかし、公式説によるなら、三発はすべてオズワルトのいた「真後ろから」でなければならない。証言はまずこの基本的な点でウォーレン報告書と矛盾している。
*この図は公式説に沿った3発の銃声の位置を十字で示している。しかしこれまで述べてきたとおり、ザプルーダー映像からはそれより前、おそらく矢印の先頭あたりからすでに銃撃は始まっていたと思われる。それらの位置から、いずれもオズワルドのいた「Sniper's Perch(狙撃手の巣)」は真後ろの方向に位置する。一方、そこから反対側の窓および「グラッシーノール」は、証言のとおりいずれも「右側」となる。
*アルトジェンズ写真を現代の光景に当てはめた画像。上記の車両と音源に関する「真後ろ」及び「右側」の位置関係が見て取れる。実際の射撃開始はこの時点でのリムジンよりかなり後方だったことに注意されたい。
ウォーレン報告書提出に先立つこの聴聞会時点での動きが、すでに「オズワルトによる後方発射説」に収斂されていたことは、公式説ベッタリのかたちで委員会の「内情」を明らかにした、P・シノンによる『ケネディ暗殺 ウォーレン委員会50年目の証言 上・下』(邦訳2013年、文芸春秋)から、次のとおり端的に理解できる。
いずれの人物も、彼ら自身が聴聞に当たった最重要証人の証言を信じることなく(上掲の通り、委員長ウォーレンはそのように明言している)、自分の読書経験(アイゼンバーグ)や後述の一海軍中佐の証言(スペクター)、そして同僚の思い出話(ウォーレン)によって、それぞれ「一発説」と予断していたのである。そのことを、後年のシノンは図らずも暴露しているのだ。
それにしても、何と信じやすい人々だろう。このような薄弱な基礎の上に、オズワルド単独犯行説は構築されているのである。
それはさておき、聴聞ではそもそも質問が単独犯行説を自明の前提としていて、複数あった内のどの銃弾かを特定していないのだから、「右」「後ろ」「やはり右」と、夫人の音源の方向に関する証言がブレているのも当然である。
おそらく三発のうち、証言で焦点となっている一回目及び二回目の銃声(ないし”noise”)は、コナリー夫人にとって、証言の通り「右側―やや後方」からの音として感知されたのだろう。
このことは、最初の「音」の発生源が教科書倉庫ビルの南西側角(オズワルトがいたとされる、ビルの南東側角とは反対側)であったとする、ザプルーダー映像等に基づく本稿での推測に一致する。
たしかにその時点では、リムジンから見て「音」の発生源は右側やや後方となる。そこのことは先述の映像中の人物たちの反応が示している通りである。
さらに三発目、大統領の頭部被弾が、彼から見て右前方に位置する、いわゆる「グラッシーノール」(草の斜面)からであったのなら、この証言はその状況をも正確に裏付けていることになる。
ネリー・コナリー知事夫人が、暗殺現場での状況を正確に証言している蓋然性はこのようにきわめて高い。
この「音は右側から来た」という夫人の証言は委員会にとってよほど都合が悪かったらしい。そのことは、質問のニュアンスからも容易に推察される。
スペクターは途中で「後ろから」との言葉を引き出すべく明らかな誘導尋問を行っており、聴聞側として出席していた委員アレン・ダレスもまた、焦点をはぐらかす時間稼ぎの質問をしている。
それでもネリー夫人が「右側から」との証言を堅持していることに注目したい。
件のシノン著では、コナリー知事の証言について若干触れているが、知事夫人のこの最重要証言に触れたのはわずか8行。しかもこの「銃声の方向」という基本的な点について、一発説のストーリーそのままに、わざわざ次のように書き換えている。
知事も、もちろん夫人も、そしてそのような証言はしていない。知事も夫人も、あくまで「音は右側から」としているのは、見てきたとおりである。
当の委員会報告書本編ですら、後述のとおり「Mrs. Connally, too, heard a frightening noise from her right. Looking over her right shoulder, …」と認定しているのだ。
同書は少し注意して読むと、一事が万事この調子で、ツッコミどころ満載であり、何だか楽しい気分にさえなってくる。その指摘だけで一冊の本が成立するに違いない。
この本は「あくまで単独犯行説を維持しなければならない」と考えた、真の「ウォーレン委員会50年目の証言」を物語っているように見えてならない。
*シノン著の邦訳『ケネディ暗殺 ウォーレン委員会50年目の証言 上・下』。それにしてもこの本の内容は極めて残念、というかはっきり言ってひどい。時間の無駄のような気もするが、一応購入してしまった者として、次回、その点について触れておきたいと思う。
陳述のなかで、夫人は銃撃について「右側から」と述べているが、これは三つの銃声(ないし「音」)の全てについて証言である。この「発砲音は右側から」という証言は、先に見た夫・コナリー知事の証言と一致しており、さらに先のザプルーダー映像からも裏付けられる。
しかし、公式説によるなら、三発はすべてオズワルトのいた「真後ろから」でなければならない。証言はまずこの基本的な点でウォーレン報告書と矛盾している。
*この図は公式説に沿った3発の銃声の位置を十字で示している。しかしこれまで述べてきたとおり、ザプルーダー映像からはそれより前、おそらく矢印の先頭あたりからすでに銃撃は始まっていたと思われる。それらの位置から、いずれもオズワルドのいた「Sniper's Perch(狙撃手の巣)」は真後ろの方向に位置する。一方、そこから反対側の窓および「グラッシーノール」は、証言のとおりいずれも「右側」となる。
*アルトジェンズ写真を現代の光景に当てはめた画像。上記の車両と音源に関する「真後ろ」及び「右側」の位置関係が見て取れる。実際の射撃開始はこの時点でのリムジンよりかなり後方だったことに注意されたい。
ウォーレン報告書提出に先立つこの聴聞会時点での動きが、すでに「オズワルトによる後方発射説」に収斂されていたことは、公式説ベッタリのかたちで委員会の「内情」を明らかにした、P・シノンによる『ケネディ暗殺 ウォーレン委員会50年目の証言 上・下』(邦訳2013年、文芸春秋)から、次のとおり端的に理解できる。
アイゼンバーグ(ウォーレン委員会の有力スタッフ)は化学を理解するのが難しいとは感じていなかった。…結局は、いくつかのごく基本的な物理学と化学と生物学の問題だった。「簡単な話だった」と彼はいっている。…彼は弾道学的な証拠がとりわけ簡単だと思った。ケネディとコナリーの体を貫通した銃弾がオズワルドの通信販売のライフルから発射されたことはほぼ一〇〇パーセントの確度で証明することができた。(同書364頁)
スペクターはテキサス出張で医学的証拠についていくつかの謎が片付くことを願っていた。たとえば、パークランドの医師たちは最初なぜ記者たちに大統領の喉の傷が銃弾の入った傷で、出た傷ではないと示唆して、教科書倉庫からの銃撃の可能性を除外したのか? そして、病院の一階の廊下で発見されたほとんど無傷の銃弾の証拠の継続性はどうなのか?――ケネディとコナリーの両方の体を貫通したとスペクターがいまや信じている銃弾の。(360頁)
コナリーの思い違い?(小見出し)
…ウォーレンは自分の頭の中で一発の銃弾説を考えぬこうとした。彼は一九二〇年代と一九三〇年代にオークランドの地区検事局で、銃弾があちこちに飛んで体に入る――そしてひとりの体を貫通してもうひとりの体に入る――殺人事件にたくさんかかわってきたので、ケネディの喉から飛び出した銃弾がそれからコナリーに命中するかもしれないというのは、なるほどと思えた。彼はケネディに命中した銃弾が「肉をそのまま貫通し」、リムジンで彼の真ん前に座っていた男にじかに命中するのにじゅうぶん以上の速度を持っていたという主張に納得した。
コナリーがべつの銃弾に撃たれたと信じているのは彼の思いちがいだとウォーレンは判断した――負傷によるショックを考えれば理解できる。「コナリーの宣誓証言にはとくにあまり信頼を置いていなかった」と主席判事はのちにいっている。彼はもうひとりの委員、ジョン・マクロイの言葉で自分の見解に自信を深めた。
(同371頁。以下、マクロイの第一次大戦の従軍経験での「兵が銃弾で重傷を受けても混乱で気づかない事例」に関するウォーレンの回想が続く)。
スペクターはテキサス出張で医学的証拠についていくつかの謎が片付くことを願っていた。たとえば、パークランドの医師たちは最初なぜ記者たちに大統領の喉の傷が銃弾の入った傷で、出た傷ではないと示唆して、教科書倉庫からの銃撃の可能性を除外したのか? そして、病院の一階の廊下で発見されたほとんど無傷の銃弾の証拠の継続性はどうなのか?――ケネディとコナリーの両方の体を貫通したとスペクターがいまや信じている銃弾の。(360頁)
コナリーの思い違い?(小見出し)
…ウォーレンは自分の頭の中で一発の銃弾説を考えぬこうとした。彼は一九二〇年代と一九三〇年代にオークランドの地区検事局で、銃弾があちこちに飛んで体に入る――そしてひとりの体を貫通してもうひとりの体に入る――殺人事件にたくさんかかわってきたので、ケネディの喉から飛び出した銃弾がそれからコナリーに命中するかもしれないというのは、なるほどと思えた。彼はケネディに命中した銃弾が「肉をそのまま貫通し」、リムジンで彼の真ん前に座っていた男にじかに命中するのにじゅうぶん以上の速度を持っていたという主張に納得した。
コナリーがべつの銃弾に撃たれたと信じているのは彼の思いちがいだとウォーレンは判断した――負傷によるショックを考えれば理解できる。「コナリーの宣誓証言にはとくにあまり信頼を置いていなかった」と主席判事はのちにいっている。彼はもうひとりの委員、ジョン・マクロイの言葉で自分の見解に自信を深めた。
(同371頁。以下、マクロイの第一次大戦の従軍経験での「兵が銃弾で重傷を受けても混乱で気づかない事例」に関するウォーレンの回想が続く)。
いずれの人物も、彼ら自身が聴聞に当たった最重要証人の証言を信じることなく(上掲の通り、委員長ウォーレンはそのように明言している)、自分の読書経験(アイゼンバーグ)や後述の一海軍中佐の証言(スペクター)、そして同僚の思い出話(ウォーレン)によって、それぞれ「一発説」と予断していたのである。そのことを、後年のシノンは図らずも暴露しているのだ。
それにしても、何と信じやすい人々だろう。このような薄弱な基礎の上に、オズワルド単独犯行説は構築されているのである。
それはさておき、聴聞ではそもそも質問が単独犯行説を自明の前提としていて、複数あった内のどの銃弾かを特定していないのだから、「右」「後ろ」「やはり右」と、夫人の音源の方向に関する証言がブレているのも当然である。
おそらく三発のうち、証言で焦点となっている一回目及び二回目の銃声(ないし”noise”)は、コナリー夫人にとって、証言の通り「右側―やや後方」からの音として感知されたのだろう。
このことは、最初の「音」の発生源が教科書倉庫ビルの南西側角(オズワルトがいたとされる、ビルの南東側角とは反対側)であったとする、ザプルーダー映像等に基づく本稿での推測に一致する。
たしかにその時点では、リムジンから見て「音」の発生源は右側やや後方となる。そこのことは先述の映像中の人物たちの反応が示している通りである。
さらに三発目、大統領の頭部被弾が、彼から見て右前方に位置する、いわゆる「グラッシーノール」(草の斜面)からであったのなら、この証言はその状況をも正確に裏付けていることになる。
ネリー・コナリー知事夫人が、暗殺現場での状況を正確に証言している蓋然性はこのようにきわめて高い。
この「音は右側から来た」という夫人の証言は委員会にとってよほど都合が悪かったらしい。そのことは、質問のニュアンスからも容易に推察される。
スペクターは途中で「後ろから」との言葉を引き出すべく明らかな誘導尋問を行っており、聴聞側として出席していた委員アレン・ダレスもまた、焦点をはぐらかす時間稼ぎの質問をしている。
それでもネリー夫人が「右側から」との証言を堅持していることに注目したい。
件のシノン著では、コナリー知事の証言について若干触れているが、知事夫人のこの最重要証言に触れたのはわずか8行。しかもこの「銃声の方向」という基本的な点について、一発説のストーリーそのままに、わざわざ次のように書き換えている。
コナリーはさらに銃撃がすべて後方からきたと確信していた――テキサス教科書倉庫の方向から。(同370頁)
彼女は銃弾が後方から――教科書倉庫の方向から――きたということで夫と同意見だった。「私たちのうしろから……右側の」(同370~371頁)
彼女は銃弾が後方から――教科書倉庫の方向から――きたということで夫と同意見だった。「私たちのうしろから……右側の」(同370~371頁)
知事も、もちろん夫人も、そしてそのような証言はしていない。知事も夫人も、あくまで「音は右側から」としているのは、見てきたとおりである。
当の委員会報告書本編ですら、後述のとおり「Mrs. Connally, too, heard a frightening noise from her right. Looking over her right shoulder, …」と認定しているのだ。
同書は少し注意して読むと、一事が万事この調子で、ツッコミどころ満載であり、何だか楽しい気分にさえなってくる。その指摘だけで一冊の本が成立するに違いない。
この本は「あくまで単独犯行説を維持しなければならない」と考えた、真の「ウォーレン委員会50年目の証言」を物語っているように見えてならない。
*シノン著の邦訳『ケネディ暗殺 ウォーレン委員会50年目の証言 上・下』。それにしてもこの本の内容は極めて残念、というかはっきり言ってひどい。時間の無駄のような気もするが、一応購入してしまった者として、次回、その点について触れておきたいと思う。
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