「ケネディ暗殺はCIAを主体とする陰謀だった」とのジョンソンの生前の推測は、あまり知られていないが、実は後年の民事裁判で真実性が裏付けている。それは長年この事件を追った弁護士マーク・レーンの弁護活動によるものである。
詳しくは、この陰謀の核心部分を裁判の過程で白日のもとに曝し、勝訴を勝ち取ったレーンの記録、『Plausible Denial』(邦題『大がかりな嘘』、不適切な邦題である)をぜひ参照していただきたい。彼は問題の「暗殺チーム」なる集団までほぼ特定している。
※マーク・レーン(左) 彼はニューヨーク州議会に勤務し、1960年の大統領選挙期間中には、ジョン・F・ケネディのためにニューヨーク市キャンペーンマネージャーとして活躍した。また、ワシントンDCのカトリック大学で法律を教え、アメリカ合衆国、及びヨーロッパ中至る所で講演している。レーンは、歴史上有名なウーンデット・ニー事件ではアメリカインディアンの権利擁護運動の代表を務め、また、フリーダム・ライダー(公民権運動)の一人として逮捕された唯一の公務員である。最近のレーンは、名誉毀損に関する事件の審理に集中し、連邦最高裁判所にも出廷している。(同書・著者略歴より。この写真は1970年代末の合衆国下院暗殺問題調査特別委員会で、キング牧師殺害の犯人とされるジェームズ・アール・レイの弁護をするレーン)
裁判は、CIAの元上級工作員ハワード・ハントが、自身及びCIAと暗殺との関係を報じた新聞社リバティ・ロビー社を相手取り、名誉毀損の訴えをマイアミ連邦地裁に提起したことに始まる。一審は原告勝訴。同書は新聞社から弁護を依頼されたレーンが、第二審の裁判を通じてハントが暗殺当日にダラスにいたこと、暗殺には米国の諜報員や亡命キューバ人からなる武装グループが関与していたことなどを暴き出し、1985年に勝訴を勝ち取った司法ドキュメンタリーである。
諜報の世界の多数の人物が登場し、欺瞞工作の常套手段だという「まやかしの否認(plausible denial)」が交錯するその構図は迷路のように複雑だが、この事件の真相を語る以上は間違いなく必読の書である。CIAの当時の幹部たちに直接証人尋問しており、とくに暗殺当時の計画担当副長官(工作部門のトップ)にして後のCIA長官ヘルムズからの証言録取場面は緊張感があり興味深い。
なお、ハントは後年ニクソンのホワイトハウスにおいてスタッフとして活動し、ウォーターゲート事件の主要人物として現職大統領を脅迫し、逮捕訴追され有罪判決を受けている。この時期の米国政治の裏面にまことに因縁深い人物である。
このレーンによる裁判は勝訴している点で、同じくCIA工作員クレイ・ショーを訴追し敗訴したギャリソンの裁判よりも重い意味を持つはずだが、実際には一般にほとんど知られていない。その理由には、レーンも挙げているとおりアメリカ言論界側の及び腰があったようである。彼はその背後にCIAによる「好ましからざる人物」への信用失墜工作があり、自身がそこにリストアップされていることまでCIA発出の文書で暴き出している。
いずれにせよ、この裁判の結果を無視した、例えば先に取り上げた池上彰氏流の新たなオズワルド単独犯行説など、あまりに陳腐に過ぎるばかりか、単なる認識不足との謗りを免れないであろう。
このジョンソンのインタビュー記事は、同書所収の、フレッチャー・プラウティによる序文にも引用されている。彼は軍高官として国防総省とCIAとの連携に当たった人物であり、映画「JFK」の登場人物「X」は彼がモデルとなっている。彼はアレン・ダレスの指令により活動した期間の実体験をもとに、「殺人会社」と称された組織・工作がいかなるものだったかまで具体的に述べている。
しかし、1963年11月22日12時30分のダラスでの銃撃という一点に焦点を当てた本稿では、これ以上陰謀そのものには触れない
いずれにせよインタビューでの言葉は、余命幾ばくもないことを悟った引退後のジョンソンが、亡くなる少し前に行った非公式の陳述であり、失意のうちに引退した政治家の最後の告白として死後に公表された記事である。おそらくは当初から、死後に公にする条件でインタビューに応じたものであったのだろう。
したがって、元大統領として生前に公にすることができなかった、この事件に関する彼の本音が吐露されていると見てよい。それが世間に公表されたとき、彼はすでにこの世にいないのだから。
ここでは、ウォーレン報告を承認し受領した当の人物が、報告書の結論であるオズワルド単独犯行を「一度も信じたことがない」と語っており、あまつさえそれは「ある陰謀の一部であったと信じている」とまで述べている事実を強調したい。
これは「かつては真実だと思っていたが、後年になって陰謀を疑うようになった」とか「今では信じられないと思っている」といった類いの言葉ではない。
文脈からして、「最初から信じていなかった」すなわち「オズワルドという囮の背後に事実が隠蔽されていることを認識しつつ、あえて報告書を承認した」と、言外に語っているのである。
友人だというインタビュアーが話題を転換してそれ以上追及しなかったのは、その彼の真意を察しての配慮であったのだろう。
それにしても、後継の大統領にして、委員会に報告を命じた最重要人物のこの言葉である。このあとさらに五十年以上にわたり、いまなお報告書にもとづく公式説がまかり通っているのは、改めて奇怪なものを見る思いがしてならない。
彼のこの認識は、先に掲載した報告書受領の儀式でもはっきり脳裏にあったことになる。
分厚い報告書を形ばかりといった態度で受領したジョンソンが最初に視線を送ったのが、委員長ウォーレン判事でも居並ぶ他の誰でもなく、背後に敖然と立つアレン・ダレスだったのは、実は当然のことであったのだ。
彼は今まさに手渡された分厚い報告書が、殺されたオズワルドにすべてをなすりつけて真実を隠蔽する全くのデタラメであること、その陰謀の主体にCIAがあることを、このときはっきり認識している。
にもかかわらず、ケネディによる解任後もCIAに隠然たる影響力を保っていたダレスは、ジョンソンの任命によってウォーレン委員会のメンバーとなりおおせている。
つまりここには、その認識をおくびにも出すわけにいかない現職大統領としてのジョンソンの側の事情があったわけである。
それが何であったかは後程見ていきたい。
詳しくは、この陰謀の核心部分を裁判の過程で白日のもとに曝し、勝訴を勝ち取ったレーンの記録、『Plausible Denial』(邦題『大がかりな嘘』、不適切な邦題である)をぜひ参照していただきたい。彼は問題の「暗殺チーム」なる集団までほぼ特定している。
※マーク・レーン(左) 彼はニューヨーク州議会に勤務し、1960年の大統領選挙期間中には、ジョン・F・ケネディのためにニューヨーク市キャンペーンマネージャーとして活躍した。また、ワシントンDCのカトリック大学で法律を教え、アメリカ合衆国、及びヨーロッパ中至る所で講演している。レーンは、歴史上有名なウーンデット・ニー事件ではアメリカインディアンの権利擁護運動の代表を務め、また、フリーダム・ライダー(公民権運動)の一人として逮捕された唯一の公務員である。最近のレーンは、名誉毀損に関する事件の審理に集中し、連邦最高裁判所にも出廷している。(同書・著者略歴より。この写真は1970年代末の合衆国下院暗殺問題調査特別委員会で、キング牧師殺害の犯人とされるジェームズ・アール・レイの弁護をするレーン)
裁判は、CIAの元上級工作員ハワード・ハントが、自身及びCIAと暗殺との関係を報じた新聞社リバティ・ロビー社を相手取り、名誉毀損の訴えをマイアミ連邦地裁に提起したことに始まる。一審は原告勝訴。同書は新聞社から弁護を依頼されたレーンが、第二審の裁判を通じてハントが暗殺当日にダラスにいたこと、暗殺には米国の諜報員や亡命キューバ人からなる武装グループが関与していたことなどを暴き出し、1985年に勝訴を勝ち取った司法ドキュメンタリーである。
諜報の世界の多数の人物が登場し、欺瞞工作の常套手段だという「まやかしの否認(plausible denial)」が交錯するその構図は迷路のように複雑だが、この事件の真相を語る以上は間違いなく必読の書である。CIAの当時の幹部たちに直接証人尋問しており、とくに暗殺当時の計画担当副長官(工作部門のトップ)にして後のCIA長官ヘルムズからの証言録取場面は緊張感があり興味深い。
なお、ハントは後年ニクソンのホワイトハウスにおいてスタッフとして活動し、ウォーターゲート事件の主要人物として現職大統領を脅迫し、逮捕訴追され有罪判決を受けている。この時期の米国政治の裏面にまことに因縁深い人物である。
このレーンによる裁判は勝訴している点で、同じくCIA工作員クレイ・ショーを訴追し敗訴したギャリソンの裁判よりも重い意味を持つはずだが、実際には一般にほとんど知られていない。その理由には、レーンも挙げているとおりアメリカ言論界側の及び腰があったようである。彼はその背後にCIAによる「好ましからざる人物」への信用失墜工作があり、自身がそこにリストアップされていることまでCIA発出の文書で暴き出している。
いずれにせよ、この裁判の結果を無視した、例えば先に取り上げた池上彰氏流の新たなオズワルド単独犯行説など、あまりに陳腐に過ぎるばかりか、単なる認識不足との謗りを免れないであろう。
このジョンソンのインタビュー記事は、同書所収の、フレッチャー・プラウティによる序文にも引用されている。彼は軍高官として国防総省とCIAとの連携に当たった人物であり、映画「JFK」の登場人物「X」は彼がモデルとなっている。彼はアレン・ダレスの指令により活動した期間の実体験をもとに、「殺人会社」と称された組織・工作がいかなるものだったかまで具体的に述べている。
しかし、1963年11月22日12時30分のダラスでの銃撃という一点に焦点を当てた本稿では、これ以上陰謀そのものには触れない
いずれにせよインタビューでの言葉は、余命幾ばくもないことを悟った引退後のジョンソンが、亡くなる少し前に行った非公式の陳述であり、失意のうちに引退した政治家の最後の告白として死後に公表された記事である。おそらくは当初から、死後に公にする条件でインタビューに応じたものであったのだろう。
したがって、元大統領として生前に公にすることができなかった、この事件に関する彼の本音が吐露されていると見てよい。それが世間に公表されたとき、彼はすでにこの世にいないのだから。
ここでは、ウォーレン報告を承認し受領した当の人物が、報告書の結論であるオズワルド単独犯行を「一度も信じたことがない」と語っており、あまつさえそれは「ある陰謀の一部であったと信じている」とまで述べている事実を強調したい。
これは「かつては真実だと思っていたが、後年になって陰謀を疑うようになった」とか「今では信じられないと思っている」といった類いの言葉ではない。
文脈からして、「最初から信じていなかった」すなわち「オズワルドという囮の背後に事実が隠蔽されていることを認識しつつ、あえて報告書を承認した」と、言外に語っているのである。
友人だというインタビュアーが話題を転換してそれ以上追及しなかったのは、その彼の真意を察しての配慮であったのだろう。
それにしても、後継の大統領にして、委員会に報告を命じた最重要人物のこの言葉である。このあとさらに五十年以上にわたり、いまなお報告書にもとづく公式説がまかり通っているのは、改めて奇怪なものを見る思いがしてならない。
彼のこの認識は、先に掲載した報告書受領の儀式でもはっきり脳裏にあったことになる。
分厚い報告書を形ばかりといった態度で受領したジョンソンが最初に視線を送ったのが、委員長ウォーレン判事でも居並ぶ他の誰でもなく、背後に敖然と立つアレン・ダレスだったのは、実は当然のことであったのだ。
彼は今まさに手渡された分厚い報告書が、殺されたオズワルドにすべてをなすりつけて真実を隠蔽する全くのデタラメであること、その陰謀の主体にCIAがあることを、このときはっきり認識している。
にもかかわらず、ケネディによる解任後もCIAに隠然たる影響力を保っていたダレスは、ジョンソンの任命によってウォーレン委員会のメンバーとなりおおせている。
つまりここには、その認識をおくびにも出すわけにいかない現職大統領としてのジョンソンの側の事情があったわけである。
それが何であったかは後程見ていきたい。
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