(承前)
それはとりもなおさず、何らかの陰謀が存在したことが確定することを意味している。誰が首謀者であるかはその後の話である。少なくともオズワルドを囮とする陰謀は確実に存在した。
彼が拘留中のダラス警察内で、報道陣の前で不安に駆られた様子で「I'm just a PATSY」と訴えていたのは、率直な心情だったのだ。そして彼は直後に警察庁舎内で殺害されている。
※インタビュー中のオズワルド。記者に指摘され、自分が大統領暗殺容疑で拘留されていることに驚きを示し(彼は別件の事件後に起こった警官殺しで逮捕されているのだと思っていた、と話している)、記者に対して「弁護士をつけてほしい」とも懇願している。「大統領暗殺を成し遂げた共産主義者の確信犯」とは信じがたい態度と言動である。小柄で優男ふうの彼に比べて、威圧的な刑事たちのほうがはるかに悪役にふさわしい。この会見の場に彼を殺害したクラブ店主ジャック・ルビーが紛れ込んでいたとされる。オズワルドが消されるべくして消された可能性はきわめて高い。
最近、トランプ大統領による機密資料公開騒ぎによって再び60年近く前のこの事件が注目されており、その基調が新たな形でのオズワルド単独犯行説の蒸し返しとなっているのを見かけることが多い。(思えばトランプもケネディ大統領と同じ重責にある人物なのだ。まさに隔世の感がある)
いわく、オズワルドとCIAとの関係や外国の諜報機関との接触、いわく、マフィア組織と彼の接点等々……単独犯行説の安易な追随は、例えば先日少し触れた池上彰氏の報道番組が典型的であった。
しかし、この一コマを念頭に改めてそうした報道を見返すと、あからさまな虚偽をさも真実らしく語っていることに、白々しさとむなしさが感じられてしまう。
例えばこの一コマを前にして、次のような報道にはどれほど現実性があるだろうか?
「近年の科学鑑定」「調査報道」とは具体的に何を指しているのか。いかなる科学や調査が「空中静止する弾丸」等々を立証しうるというのか。一体だれが単独犯行説を「最も真実に近い」とみなしているのか。
※再び224コマ目の拡大図。大統領とコナリー知事を一発で貫通したオズワルドの第二の銃弾"magic bullet"は、この一枚によって虚構であることが確定している。それが存在するのが「科学的」だという報道が、いかに非科学的であるかが一目でわかる。
結局、どこかの筋の情報を鵜呑みにして引っ張っているだけで、裏もとらず何も考えていない言葉なのである。これを報道というには値しない。
報道というならば、CIA長官ポンペオが機密文書の全面公開を拒否していることへの追及はどうしたのだろう。(彼は最近国務長官に昇格した人物で、トランプのイエスマンであろう。結局情報公開騒ぎもトランプ流のフェイクに終わるのではないか)
再び、この一コマは事件の決定的瞬間を捉えた、真に歴史的のものであることを強調したい。表現は大げさなようだが、しかしその意味するところを考えれば少しも誇張ではなく、この20世紀最大の謎を解き明かす決定打となっている。
かくして、オズワルド単独犯行説を核心とする公式説の強弁、並びにその真実性を前提とするあらゆる情報は、それらがどれほどの勢力や規模(何せ米政府と主要メディアの、半世紀以上にわたる不変の見解なのだから、強大そのものである)をもって語られようと、そんなことには一切関係なく、このわずか一枚の画像を前に虚構性が暴かれ、文字通り全ては崩壊してしまう。
それにしても、あからさまな虚構にもとづいていかに多くのもっともらしい言葉が重ねられてきたことか。この事件はその驚くべき実例となっている。
そして多くのメディアがこうした誤った情報を垂れ流し続けている。それは現在も進行中の事態なのだ。
考えてみれば、事件に関する疑惑の追及、例えば拙い読み物として書いてきたこのブログでの記事の全てもまた、この一枚を前にすれば当然のことを語っているに過ぎないのかもしれない。陰謀の存在自体はこうして疑問の余地なく立証される以上、これ以上何を述べたとしてもあまり意味があるとは思えない。
とはいえ、それではあまりにもミもフタもないので、もう少し進めていきたいと思う。
冒頭記したように、本連載は事件に関する記念碑的な映画「JFK」に触発されて始めたものだったが、映画の主人公ギャリソン検事による事件追及の時代的制約(彼の独自調査と裁判は1960年代の出来事であった)もあって、その調査活動の範囲内で描かれるにとどまっている。そのために、残念ながら上記の肝心な事実を踏まえないまま語られており、惜しくもそこに公式説側からの攻撃の余地を残してしまったと見えてならない。
映画が見落としたこのワンフレームこそ事件の真相を示す決定的な一枚であり、陰謀説にはじめて確固たる根拠をもたらすものである。
ぜひこの事実を頭に入れた上で、ウォーレン報告に基づくあらゆる言説、そして映画「JFK」その他を見直していただきたいと思う。
多くの歴史的な写真や映像の中でも、これほど重要でありながらいまだ埋もれている一枚は珍しいと言える。例えるなら、将棋で混戦の局面全体を覆してしまう未知の一手のようなものだろう。
それはとりもなおさず、何らかの陰謀が存在したことが確定することを意味している。誰が首謀者であるかはその後の話である。少なくともオズワルドを囮とする陰謀は確実に存在した。
彼が拘留中のダラス警察内で、報道陣の前で不安に駆られた様子で「I'm just a PATSY」と訴えていたのは、率直な心情だったのだ。そして彼は直後に警察庁舎内で殺害されている。
※インタビュー中のオズワルド。記者に指摘され、自分が大統領暗殺容疑で拘留されていることに驚きを示し(彼は別件の事件後に起こった警官殺しで逮捕されているのだと思っていた、と話している)、記者に対して「弁護士をつけてほしい」とも懇願している。「大統領暗殺を成し遂げた共産主義者の確信犯」とは信じがたい態度と言動である。小柄で優男ふうの彼に比べて、威圧的な刑事たちのほうがはるかに悪役にふさわしい。この会見の場に彼を殺害したクラブ店主ジャック・ルビーが紛れ込んでいたとされる。オズワルドが消されるべくして消された可能性はきわめて高い。
最近、トランプ大統領による機密資料公開騒ぎによって再び60年近く前のこの事件が注目されており、その基調が新たな形でのオズワルド単独犯行説の蒸し返しとなっているのを見かけることが多い。(思えばトランプもケネディ大統領と同じ重責にある人物なのだ。まさに隔世の感がある)
いわく、オズワルドとCIAとの関係や外国の諜報機関との接触、いわく、マフィア組織と彼の接点等々……単独犯行説の安易な追随は、例えば先日少し触れた池上彰氏の報道番組が典型的であった。
しかし、この一コマを念頭に改めてそうした報道を見返すと、あからさまな虚偽をさも真実らしく語っていることに、白々しさとむなしさが感じられてしまう。
例えばこの一コマを前にして、次のような報道にはどれほど現実性があるだろうか?
いまなお「陰謀説」を唱える研究家も存在する「世紀の暗殺事件」の記録をめぐっては、中央情報局(CIA)のポンペオ長官が一部文書の機密扱いを延長するよう要請していると伝えられたが、トランプ氏は「これまで得た情報から判断し、大統領として公開を容認する」と表明した。
・・・ただ事件に関しては、2013年の世論調査で米国民の61%が「陰謀説」を信じているのとは裏腹に、近年の科学鑑定や調査報道では、通称「ウォーレン委員会」と呼ばれる事件の調査委員会が1964年に報告書で発表した、暗殺犯として逮捕された故リー・ハーベイ・オズワルド容疑者の単独犯行であるとする結論が最も真実に近いと見なされている。
(「ケネディ暗殺の謎が明らかに? 最後の機密文書をトランプ大統領が公開容認」産経ニュース 2017.10.22 記事)
・・・ただ事件に関しては、2013年の世論調査で米国民の61%が「陰謀説」を信じているのとは裏腹に、近年の科学鑑定や調査報道では、通称「ウォーレン委員会」と呼ばれる事件の調査委員会が1964年に報告書で発表した、暗殺犯として逮捕された故リー・ハーベイ・オズワルド容疑者の単独犯行であるとする結論が最も真実に近いと見なされている。
(「ケネディ暗殺の謎が明らかに? 最後の機密文書をトランプ大統領が公開容認」産経ニュース 2017.10.22 記事)
「近年の科学鑑定」「調査報道」とは具体的に何を指しているのか。いかなる科学や調査が「空中静止する弾丸」等々を立証しうるというのか。一体だれが単独犯行説を「最も真実に近い」とみなしているのか。
※再び224コマ目の拡大図。大統領とコナリー知事を一発で貫通したオズワルドの第二の銃弾"magic bullet"は、この一枚によって虚構であることが確定している。それが存在するのが「科学的」だという報道が、いかに非科学的であるかが一目でわかる。
結局、どこかの筋の情報を鵜呑みにして引っ張っているだけで、裏もとらず何も考えていない言葉なのである。これを報道というには値しない。
報道というならば、CIA長官ポンペオが機密文書の全面公開を拒否していることへの追及はどうしたのだろう。(彼は最近国務長官に昇格した人物で、トランプのイエスマンであろう。結局情報公開騒ぎもトランプ流のフェイクに終わるのではないか)
再び、この一コマは事件の決定的瞬間を捉えた、真に歴史的のものであることを強調したい。表現は大げさなようだが、しかしその意味するところを考えれば少しも誇張ではなく、この20世紀最大の謎を解き明かす決定打となっている。
かくして、オズワルド単独犯行説を核心とする公式説の強弁、並びにその真実性を前提とするあらゆる情報は、それらがどれほどの勢力や規模(何せ米政府と主要メディアの、半世紀以上にわたる不変の見解なのだから、強大そのものである)をもって語られようと、そんなことには一切関係なく、このわずか一枚の画像を前に虚構性が暴かれ、文字通り全ては崩壊してしまう。
それにしても、あからさまな虚構にもとづいていかに多くのもっともらしい言葉が重ねられてきたことか。この事件はその驚くべき実例となっている。
そして多くのメディアがこうした誤った情報を垂れ流し続けている。それは現在も進行中の事態なのだ。
考えてみれば、事件に関する疑惑の追及、例えば拙い読み物として書いてきたこのブログでの記事の全てもまた、この一枚を前にすれば当然のことを語っているに過ぎないのかもしれない。陰謀の存在自体はこうして疑問の余地なく立証される以上、これ以上何を述べたとしてもあまり意味があるとは思えない。
とはいえ、それではあまりにもミもフタもないので、もう少し進めていきたいと思う。
冒頭記したように、本連載は事件に関する記念碑的な映画「JFK」に触発されて始めたものだったが、映画の主人公ギャリソン検事による事件追及の時代的制約(彼の独自調査と裁判は1960年代の出来事であった)もあって、その調査活動の範囲内で描かれるにとどまっている。そのために、残念ながら上記の肝心な事実を踏まえないまま語られており、惜しくもそこに公式説側からの攻撃の余地を残してしまったと見えてならない。
映画が見落としたこのワンフレームこそ事件の真相を示す決定的な一枚であり、陰謀説にはじめて確固たる根拠をもたらすものである。
ぜひこの事実を頭に入れた上で、ウォーレン報告に基づくあらゆる言説、そして映画「JFK」その他を見直していただきたいと思う。
多くの歴史的な写真や映像の中でも、これほど重要でありながらいまだ埋もれている一枚は珍しいと言える。例えるなら、将棋で混戦の局面全体を覆してしまう未知の一手のようなものだろう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます