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JFK暗殺事件の真相――オズワルド単独犯行説の虚構を暴く 43 リンドン・B・ジョンソンの証言

2018-07-23 | JFK暗殺事件について
この事件を巡る言説では不思議なことにこれまで指摘されてきた形跡がないが、この写真でのジョンソンの挙動が「銃撃と認識しての危険回避反応」であることは明白である。画像奥を振り返っている複数の人物を含め、同じ写真の他の誰一人としてそんな反応は示しておらず、ただ彼だけが危険を察知している。この状況はきわめて不審である。

 
※画像再掲 夫人の向かって左側に座るジョンソンが状態をかがめている。

 ところで、ジョンソンのこの写真での動作、彼のウォーレン委員会への虚偽証言、及び死後公表されたインタビューでの告白、以上の三点から考察すれば、ケネディ暗殺へのジョンソンの関与は
 ①事後従犯
 ②従犯ないし共犯
の二通りの可能性が考えられる。そして、少なくともこのうちの①事後従犯だったことは確実である。なぜそう言えるのか。

※事後従犯とは、「犯人をかくまったり、証拠を隠滅したり、…犯行後に、犯人の利益を図る行為」(三省堂「大辞林」)。

 後年のインタビューでジョンソンが「オズワルドの単独犯行など一度たりとも信じたことはない」と語ったことは前に引用したとおりである。
 「信じたことはない」どころか、写真が写し取った現場におけるジョンソンの反応と公式証言との矛盾から考えれば、彼は銃撃のその瞬間からオズワルドの単独犯行などあり得ないことを知っていた、つまりウォーレン報告書の虚偽性をまさに体験的に承知していたのだと断定して差し支えない。

 だとすれば、このインタビューでの発言は事実上、自身が事後従犯だったことは認めているに等しいものだということになる。なるほど、おそらくは彼の要望により、死後になってインタビュー内容がはじめて公表されたのも当然というものだ。

 ウォーレン委員会とは、正式には「ケネディ大統領暗殺に関する大統領委員会」と称し、ジョンソンが委員会報告の提出を受けた当の大統領であることは、改めて述べるまでもない。たとえ形式上であれ、彼自身が設置し、彼にのみ直属する特命委員会がウォーレン委員会なのだ。いずれにせよ、委員会にたいするジョンソンの権限は絶対的なはずである。

 その立場と権限からして、彼の「就任して直ちに陰謀の存在を知った」「オズワルドの単独犯行など決して信じたことはない」という言葉は、「最初から虚偽報告と知りつつあえてウォーレン報告を承認した」ということと同義である。

 そもそも彼自身が設置した委員会の報告が信じられないならば、報告書を却下するなり再調査を命ずるなりすればそれで済む話である。そうする責任も権限もジョンソンにはあった。
 しかし彼はそうしなかった。

 たしかに、報告書への疑義について、件のインタビューでは「当時の検事総長に秘密裏に調査を命じた」と語っている。では、就任当初から疑問があったと言いつつ、その翌年には報告を承認しながら、なぜ後日になって、しかも内密に検事総長個人に依頼したというのか。非公式である以上、そんな依頼がほんとうになされたのか、実態のない言葉だけなのかを確認するすべはない。

 彼は自身の現場での体験をすべて呑み込み、そればかりかオズワルド単独犯行説に合わせた虚偽証言までも行うことで、報告書の騙るストーリーを進んで肯定し、あえてウォーレン報告書を承認した。
 彼が「報告書の虚偽性をはっきり認識しながら承認した」という、この点が重要である。虚偽と知りながら報告を承認することは「犯人をかくまったり、証拠を隠滅したり、…犯行後に、犯人の利益を図る行為」そのものだからである。
 改めて、ジョンソンはインタビューの字面のとおりウォーレン報告の内容を「信じたことなどない」だけでなかったことが理解できよう。

 ジョンソンは委員会に対して再調査を命じることなど出来ず、ただオズワルド単独犯行説を追認するしかない状況に置かれていたのである。つまり、虚偽であることを知りつつも報告を承認せざるを得ない状況が存在した、ということになる。彼の言葉は「それはやむ無きことだったのだ」とでも言いたげである。

 真相追及の責任と権限を持つケネディの後任者として、自己が指揮権限を持つ特命調査委員会の報告に疑問を持ちながら疑義を追及しなかったとすれば、そこにはそれができなかった理由が存在しなければならない。

 インタビューにおいて、記者からケネディ暗殺について水を向けられて、ジョンソンが陰謀の存在とともに返答したのが、他ならぬ「カリブ海の殺人会社」であったことに注目したい。大統領就任と同時に彼が知ることになったのは、何より暗殺とCIAの関係だったのである。

 この言葉から考えれば、ジョンソンは陰謀の存在を、おそらくその全容を、少なくとも就任直後から知っていた。その陰謀に委員会メンバーのダレスにつながるCIAが関与していたとの認識も、表現は婉曲だが事実上「CIA主体の犯行だった」と明言しているに等しい。

 さらに進んで、彼はそれを知っていながら真相追及を行わなかった。すべてを知りながら、すべてを不問に付す-----委員会報告の受領の際にジョンソンが目配せをしたのが、他の誰よりも背後に傲然と立つダレスだったのは、こうして考えれば当然だったことが理解できる。


※画像再掲

 インタビューは彼の生涯にわたる長いものであり、暗殺に関する短いコメントはそのコーヒーブレイクの間、閑話休題的に行われたと記されている。推測だが、その行間からは記者が自らの生涯を語ることに饒舌になったジョンソンに水を向けて聞き出した、という印象が読み取れる。
 不意を突かれた彼は、取り繕いつつも自身の真意を垣間見せた。そして彼の生涯のなかで暗殺事件はある種の「むかつき」とともにあるとの実感が語られている。ここには、時の大統領の力でも触れることができない陰謀が存在していたことを理解してほしいとの、彼の心情が込められていると読むことができる。

 彼は明らかに真相を知りながら、それをどうすることもできなかった。そこまでは彼自身がこうして認めているのである。
 これを「事後従犯の告白」と言わずして何と表現すればよいのか。

 しかし、彼の罪は事後従犯にとどまらない可能性が高い。


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