きのうは、最近封切られた特攻を描いた映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」を観にいった。
気にはなっていたが、テーマがテーマだけに、最近よくある軽くて陳腐な描き方がされていたら腹立たしいだろうと思い遠慮していたのだが、涙なくして見られないとても感動的な映画だと人に聞き、見に行く気になったのである。
そしていい意味で予想を裏切られたのだった。
この作品は、特攻という重苦しいテーマを正面からまっとうに捉えていたという意味で、とてもいい映画だったと思う(あとで書くようにいろいろ問題はあるにせよ)。
観るか迷われている方にはぜひお勧めしたい。
日本人として、私たちにつながる人たちが、ああいう現代の言葉では表現しがたい壮烈な死を遂げたことに向かい合う、最近まれな、たぶんいい機会だと思うのだ。
ただ言うまでもなく気軽に見られる内容ではなく、全編にわたって別れの悲しみに満ち満ちているので、涙腺の弱い方はその覚悟で行かれたほうがいいだろう。
この映画のテーマは、何より冒頭の「製作総指揮者」の言葉にあるとおり、「かつて美しい日本人がいた」ことの追憶と、その現代における意味づけにあったと思う。
かつて美しかった日本人。それが適切に意味づけられているかはさておき、葛藤する純粋な若者たちの死を通じて、この映画はそのことについてまじめに本気で描こうとし、観る者の共感を得ることに一定程度成功していると思われたのである。
「作り手が美しかったことにしておきたいのだ」というようなありがちな邪推は、この際やめておこう。
そういう共同体のため己を省みない死を美しいと感じる感性は、おそらく人類普遍的なものだろうという意味で決して独善的なものでなかったはずだ。
これはナショナリズムだとかファシズムだとかという用語で括ることのできない、あらゆる時代状況を通じての人間の「生き様」の問題ではないかと思うのである。
そして、なにより多くの私たち自身に、同じ日本人(と私たちは言うことができるのか?)が死んでみせた極限の死を、そのように美しいものとしてとらえたいという深く強い願望があるのには、誤解を恐れずにいえば愛国心としての正当性があるといいたい。
「ナショナル・アイデンティティ」といい「民族意識」といい「祖国愛」といい、それはいずれ同じ感情につけられた名詞の違いにすぎないだろう。
もちろんそれらが時代を逆行する危険な方向性だととらえる向きがあるのは当然で、その判断は同じく正当であり、それはそれで社会の適切なバランス感覚なのだと思う。
しかしそれがアレルギー反応というくらいに過剰に支配的になってしまっていることこそが、私達の経験している民族性の崩壊・国家共同体的アイデンティティの喪失の、大きな原因となっていることは、おそらく間違いないのではないだろうか。
そしてそれが、日本がかつて戦争で想像を絶するような決定的な敗北を喫したことによるものであることも。
いま映画で、ことさら特攻を通じて「美しかった日本人」(「美しい日本人」ではない)が描かれた理由には、このままでは私たちが日本民族としての帰属意識を失い、日本社会が内面から崩壊してしまうのではないかという、その意味ではきわめて正当な、作り手の強い危機感があったのだろうと推測される。
さきの戦争の徹底的かつ破滅的な敗北こそ、私たち現代日本人のそういう集団的アイデンティティにまつわる根深い葛藤・混乱の淵源にあるものであり、それは私達が自分の過去を取り戻すルーツへの道に立ちはだかる強固な壁にほかならない。
私たちはその壁を突破し超えることができるのか?
そして、その戦争の焦点でもあり無残な敗戦の象徴でもあったあの特攻には、私たち日本人のそういうさまざまな感情が、いわば過充電されたままとなって取り残されていると思われるのである。
戦争の歴史のひじょうに重く濃く凝縮された部分である、若者たちによる必死の特攻とは、いまだ私達の理解を拒むかに見える、いまひとつの大きな分厚い壁と言えるだろう。
そういう意味で、特攻をどのように理解するかは、現在を生きる私たちにとっての課題にほかならない。
英霊による精神的壮挙と祭り上げられるか、恥ずべき集団自殺的な時代の狂気と断ぜられるか、いつもグラデーションのない両極端に語られ(ないしタブー視・無視されて)、おそらくこれまで適切に位置づけられることのなかった歴史の凝縮された一側面。
60余年たったいま、この映画はどちらか一方に偏ることなく、一定の限界内ではあるにせよ、かなりバランスをもって語ることができていたと評価したい。
前置きが長くなったが、その限界と評価を、次回以降書ければと思う。
気にはなっていたが、テーマがテーマだけに、最近よくある軽くて陳腐な描き方がされていたら腹立たしいだろうと思い遠慮していたのだが、涙なくして見られないとても感動的な映画だと人に聞き、見に行く気になったのである。
そしていい意味で予想を裏切られたのだった。
この作品は、特攻という重苦しいテーマを正面からまっとうに捉えていたという意味で、とてもいい映画だったと思う(あとで書くようにいろいろ問題はあるにせよ)。
観るか迷われている方にはぜひお勧めしたい。
日本人として、私たちにつながる人たちが、ああいう現代の言葉では表現しがたい壮烈な死を遂げたことに向かい合う、最近まれな、たぶんいい機会だと思うのだ。
ただ言うまでもなく気軽に見られる内容ではなく、全編にわたって別れの悲しみに満ち満ちているので、涙腺の弱い方はその覚悟で行かれたほうがいいだろう。
この映画のテーマは、何より冒頭の「製作総指揮者」の言葉にあるとおり、「かつて美しい日本人がいた」ことの追憶と、その現代における意味づけにあったと思う。
かつて美しかった日本人。それが適切に意味づけられているかはさておき、葛藤する純粋な若者たちの死を通じて、この映画はそのことについてまじめに本気で描こうとし、観る者の共感を得ることに一定程度成功していると思われたのである。
「作り手が美しかったことにしておきたいのだ」というようなありがちな邪推は、この際やめておこう。
そういう共同体のため己を省みない死を美しいと感じる感性は、おそらく人類普遍的なものだろうという意味で決して独善的なものでなかったはずだ。
これはナショナリズムだとかファシズムだとかという用語で括ることのできない、あらゆる時代状況を通じての人間の「生き様」の問題ではないかと思うのである。
そして、なにより多くの私たち自身に、同じ日本人(と私たちは言うことができるのか?)が死んでみせた極限の死を、そのように美しいものとしてとらえたいという深く強い願望があるのには、誤解を恐れずにいえば愛国心としての正当性があるといいたい。
「ナショナル・アイデンティティ」といい「民族意識」といい「祖国愛」といい、それはいずれ同じ感情につけられた名詞の違いにすぎないだろう。
もちろんそれらが時代を逆行する危険な方向性だととらえる向きがあるのは当然で、その判断は同じく正当であり、それはそれで社会の適切なバランス感覚なのだと思う。
しかしそれがアレルギー反応というくらいに過剰に支配的になってしまっていることこそが、私達の経験している民族性の崩壊・国家共同体的アイデンティティの喪失の、大きな原因となっていることは、おそらく間違いないのではないだろうか。
そしてそれが、日本がかつて戦争で想像を絶するような決定的な敗北を喫したことによるものであることも。
いま映画で、ことさら特攻を通じて「美しかった日本人」(「美しい日本人」ではない)が描かれた理由には、このままでは私たちが日本民族としての帰属意識を失い、日本社会が内面から崩壊してしまうのではないかという、その意味ではきわめて正当な、作り手の強い危機感があったのだろうと推測される。
さきの戦争の徹底的かつ破滅的な敗北こそ、私たち現代日本人のそういう集団的アイデンティティにまつわる根深い葛藤・混乱の淵源にあるものであり、それは私達が自分の過去を取り戻すルーツへの道に立ちはだかる強固な壁にほかならない。
私たちはその壁を突破し超えることができるのか?
そして、その戦争の焦点でもあり無残な敗戦の象徴でもあったあの特攻には、私たち日本人のそういうさまざまな感情が、いわば過充電されたままとなって取り残されていると思われるのである。
戦争の歴史のひじょうに重く濃く凝縮された部分である、若者たちによる必死の特攻とは、いまだ私達の理解を拒むかに見える、いまひとつの大きな分厚い壁と言えるだろう。
そういう意味で、特攻をどのように理解するかは、現在を生きる私たちにとっての課題にほかならない。
英霊による精神的壮挙と祭り上げられるか、恥ずべき集団自殺的な時代の狂気と断ぜられるか、いつもグラデーションのない両極端に語られ(ないしタブー視・無視されて)、おそらくこれまで適切に位置づけられることのなかった歴史の凝縮された一側面。
60余年たったいま、この映画はどちらか一方に偏ることなく、一定の限界内ではあるにせよ、かなりバランスをもって語ることができていたと評価したい。
前置きが長くなったが、その限界と評価を、次回以降書ければと思う。
と、言っても営業所ではお会いしてますけど・・・(^_^)
終戦から60余年が過ぎ、近年太平洋戦争をテーマとした映画が興行的にもあたっているようですね。
私は未だ、「俺は、君のためにこそ死ににいく」「男たちの大和」「硫黄島からの手紙」も見ておりません。(年齢と共に、涙腺が弱くなり涙が止まらなくなりそうなので)
平和ボケにどっぷり浸かっている日本人には、過去にこのような事実があった事は、語り継がなければなりません。
しかし、戦術的にも無謀な作戦であった「体当たり攻撃」しか戦局打開が望めなかったのは事実ですね。
5・15、2・26事件以降、統制派が軍部の実権を握り大陸への暴走を、何人も止めれなかった事が悲劇の始まりだったのではないでしょうか。
虜囚の辱めを受けるなら英霊となる道を選ぶ事を、徹底させたのも統制派が、実権を握ってからではないでしょうか。
大和魂を持つ日本人が、即、体当たり攻撃を正当化したのではなく、軍部が少しずつ国民を洗脳していったからだと私は、考えております。
事実、「体当たりせずとも爆弾投下後に帰還してみせる」と、考えていた熟練パイロットが多かったと言われております。
陸、海軍の出撃回数の見栄の為なのか解りませんが、練習機に重たい爆弾を無理やり括り付け、出撃した記録もあり、パイロットはさぞかし無念だったに違いありません。
優秀な人材を数多く失いながらも、ここまで戦後復興出来たのは、う~ん┓(´_`)┏何故だろうと考えるのは私だけでしょうか?
ちなみに、「日本のいちばん長い日」はTVで観た事はあります(*^^*)ァハ・・・古過ぎますね!?たしか、白黒だったかなぁ~
たしかにここのところさきの戦争テーマの映画が多く、とくにこの映画は都営バスの社主の肝煎りでもあるようです。その点、若干の政治的な意図もあるのかと…あまり気になりませんでしたが。
戦争映画は個人的な単に趣味なのですが…でもよかったらこれらはぜひ観てみていただければと思います。
そういえばお父様が航空兵でいらっしゃったとのこと。
たしかに、明らかに無謀としか言いようのない(責任者とされた人自身が「統帥の外道」と語ったそうです)特攻作戦なのですが、質・量ともに圧倒的な米軍を相手に戦って戦果を挙げるからにはそこまでやらなければならなかったということも、すくなくとも作戦の初期には確かにあったようです。
また同時に、特に戦争末期に至ると、映画で描かれたようにほとんど若者を死なすこと自体を目的に行なわれるというような、狂った全体の雰囲気が露骨になっていったようです。その点、論理に弱く心情に走りがちな日本人として心情的にちょっとわかるような気も、するにはするのですが…
いずれにせよ、ほんとうにいまの私たちからすると洗脳としかいいようがない気がします。
あと軍部の暴走・専横が事態をあそこまでにいたらしめたことには同じく怒りを感じます。そのことには、近代日本固有の問題として、そういう国家の一組織の暴走を押さえる制度的な歯止めがなかったこと、さらには全体の状況を指導する主体・リーダーが存在しなかったことが大きいような気がします。
ちょっと考えてみると、あの時代の日本には、列国ですぐにイメージされるような戦争指導者がほぼ不在だったことに気づきます。
そして全体を調停し合理的な意思決定を行なうシステムが欠陥したまま、行き当たりばったりで状況に流され、身から出た錆としてますます悪い状況に突入していく…
これは時代は違えど、まるでいまの日本と日本的組織の姿そのものです。
それが極限に行き着いたのが、論理では負けるとわかっていながら(たぶんわかっていたからこそ)心情的に狂奔せざるをえなかった、あの特攻だったのかも知れません。
だとすれば、全体としての特攻を賛美する風潮には断固として批判せねばならないでしょう。
おっしゃるように、無念の思いをいだきつつ特攻に散ったパイロット達もかなり多かっただろうと思います。劇中冒頭の、実在の関大尉も実際にはそういう思いを抱いておられたようです。
まして練習機とか旧式機とか人間爆弾とか…
なぜそこまで、しかも組織的に正規軍の作戦として、やってしまったのかは、いったいなぜだったのかと思います。
あ、「日本のいちばん長い日」、じつはすごく観たい映画でして!
ここが考えるスタートだと思う。