視点―歴史観の問題
しかし内容に入る前に、従来日本で江戸時代がいかに語られてきたかを前提にしなければ、本書の画期的意義が掴めないのではないかと思う。
「江戸時代」と言われて、私たちは何をイメージするだろうか。「身分制度の地獄」において「武士の収奪と百姓の貧窮」が常態化していて、にもかかわらず「懐かしき庶民の生活」は「義理と人情の浮き世」であり、しかし結局それは「チョンマゲと鎖国の遅れた社会」、「黒船でひっくり返った愚かな時代」にすぎない―教育や時代劇等々で長年すり込まれてきたのはそんなところであって、私たちの江戸時代のイメージはそれらの中間のどこかで限りなくぼんやりとしている。最近の歴史研究は徳川期を再評価しつつあるようだが、私たち一般の日本人のイメージはいまだこのようなものであり続けており、煎じ詰めればそこに残るのは「遅れた時代」ということだけだ。結局のところ江戸時代とは、日本が遅れた国となった原因として、これまで一般にまともに評価されてこなかったのだと思う。しかし日本の前近代とは、時間的には私たちから数世代を隔てているに過ぎない。本書を読んでまず思わされるのは、一つの歴史観というものが自らの近しい過去をどれほどまでに歪曲して読み取ってしまうか、ということである。
歪曲され続けてきた江戸時代
本書の刊行は一九九八年、ロシアや東欧の社会主義政権が崩壊してすでに久しく、マルクス主義思想なるものの凋落が誰の目にも明らかになったという時代背景にある。今では一般には意識されていないが、日本史学とは長らくそうした左翼史観の牙城だったのであり、その歴史観とは、結局はすべてを「階級」「生産関係」「収奪」「革命」等々の用語に還元してしまうような、その前提を共有していない人間にとっては、奇怪とも異様とも言うほかないものであった。そうして一時代を風靡した歴史観も、いまの眼で見れば、その硬直性と教条化したトーンはあまりに明らかだとしか評価しようがない。そうした歴史学によって書かれた当時の教科書や教養書を一読して「日本という国の歴史はなんていじけていてつまらないのだろう」と心底感じさせられたことが思い出される。
さらに徳川時代の不幸とは、クーデター政権としての薩長新政府が、前体制の意味・価値を全否定する「官軍史観」を捏造し、それが現在に至るまで公教育によって事実上の「正史」として国民にすり込まれ続けてきていること(「官軍教育」について、原田伊織氏の著作に関する本誌一四四号書評参照)や、戦後、米国による占領―影響下にあって、悲惨な敗戦の責任追及は内へ・過去へと内攻せざるを得ず(米軍の思想政策について、岡野守也『コスモロジーの心理学』第一章参照)、最終的には江戸時代の封建制・身分制といった退嬰性こそがいわば「戦犯」であると決めつけられ教え込まれてきたこと(「戦後教育」)に、すでに始まっていたと思われる。
こうして三重の歪んだレンズの向こうにあって、江戸時代は「無知蒙昧の遅れた時代」「身分差別が貫徹した封建時代」「搾取と抑圧の暗黒時代」等々として、つまりは恥ずべき歴史として、ほぼ罵倒に等しい形で描かれてきたのだと言えよう。徳川期の日本社会が私たちの中で奇妙にもあいまいな像しか結ばないその原因には、こうした歴史的経緯があったのだと思われる。そしてその問題性はいまだに総括されてはいない。かくして、私たち日本人は江戸時代の意味を抹消することで、それ以前の日本の歴史全体の意味をも同時に消去してしまったのだ。到達点が愚かなら、時代を遡るほどその度合いが深刻になるだけだからである。
それにしても、本書が明示する日本の前近代社会の実態が、それらネガティブな既成の像からいかにかけ離れているかは、驚くべきものがある。いみじくも著者が述べるように、「幕藩体制下の民衆生活について、悲惨きわまりないイメージを長年叩き込まれて来た私たちは、両者間に存するあまりの落差にしばし茫然たらざるを得ない」のである。
歴史的自己アレルギーと意味なき歴史像
一方で本書は、当時の外国人による記録を史料に用いるための準備作業として、ある典型的な歴史研究を俎上に載せ、そこから敷衍して日本知識人の深層の心理的傾向を暴き出す。それは、その時々の知的流行によってさまざまに装いを変えつつも、いわば歴史的な自己矮小化とでもいうべき線で一貫している抜きがたいバイアスにほかならない。すなわち、過去の日本のイメージを再生する試みにおいては、上記のような歴史的経緯によって形成され自明化している、自己批判の条件付けないし心的コンプレックスが作動するということ、言い替えれば母国日本に限定した強度の思想的‐心理的アレルギー反応が生じるということである。それがある種の危険な慢性病と似ているのは、病識の欠如から来る悪循環が、さらに病を重篤化させていくところであろう(日本人の精神的自己アレルギーの分析については、本誌七五号の研究所主幹の論考を参照されたい)。
その果てに残ったのは、制度と権力構造、資源と消費、流通と商品経済、土地とその利用形態等々、要するにモノとそのシステムだけの歴史の叙述である。そのようにはなから歴史の意味性・物語性を不問に付すのが暗黙の前提であるばかりか、さらに進んでそれを積極的に剥奪・解体するのが現在の主流であるように見える。歴史という内面的解釈の世界がきれいに外面的諸関係に還元され、深みも質も欠いた平板な歴史像―しかしそうだとすれば、一体歴史が存在する理由とは何なのか。歴史の意味性を否定する歴史学の存在こそ、単純に何の役に立つのかという意味で、無意味の最たるものではないか、と言いたくもなる。
ともあれ、こうした状況だからこそ、本書が与えたインパクトは大きいと思われるのである。後で紹介するように、彼ら異邦人に目撃された当時の日本文明の姿とは、私たちにとって意外にも、豊かで明るく親和性に満ちたものであったことを、本書は明示している。これを単にエキゾチシズムが見せた幻影として片付けることは、まず現実問題として無理があると言わざるを得ない。何より、当時日本を訪れた外国人の多くは、世界分割とアジア植民地化の果てに日本に到達した西洋列強の利益代表者であった。つまり、各国を比較考察しうる位置にあった現実的な観察者たちなのである。にもかかわらず彼らの眼に一様に映ったものを幻影としか見ないとしたら、その見方こそ、典型的な自己矮小化という意味で幻影にほかならないであろう。
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