○夫人が聞いた最初の「音」は、ライフルの銃声ではなかった。
他の多くの証人が最初の「音」について「ファイアークラッカーと思った」などとしているのと同じように、知事夫人もまた「ライフルの銃声とは思わなかった。ただとても大きい”noise”だった」と語っている。
ここの表現だけが「shot」(「銃声」ないし「発砲」)ではないことに注意したい。この点は以降の証言を通じて「first shot」との区別が曖昧になっているが、少なくとも事件発生の瞬間、夫人にとってこの最初の「音」は、銃声以外の何かだと感じられたのは確かである。
夫人の銃に関する経験がどの程度かがこの証言の価値を左右することとなるが、それは確認が難しい。しかし、そもそも彼女がこの音を「ライフルの銃声ではない」と明言しているからには、その判断のもとになっている相応の経験が存在するはずである。
日本の私たちと異なり、主要なレジャーのひとつがハンティングであるアメリカの、ことに南部人にとっては、たとえ女性であっても、いまも昔も銃は日常の一部であるだろう。ここで「私はexpert riflemanではないから」と語っていることや、後に出てくる「spent buckshot(射撃後の猟銃の散弾)」云々という用語は、彼女が銃声を聞き分ける程度の射撃経験は備えていたことを示唆している。
にもかかわらず、スペクターらはその点をスルーし話題を転換している。この重要な点に関する追加質問がないのはどうしたことか? 一体、この「調査委員会」は真相を調査する気があるのか?
先述のシノンは後年、質問者のスペクターにインタビューしており、一発説の「原点」を次のように聞き取っている。ウォーレン委員会、ことに一発説の主唱者であったスペクターにとって、それと完全に矛盾するコナリー夫人の証言が聞きたくないものであったことは、想像に難くない。
ヒュームズの発言に「天啓」を受けたかのようなスペクターの奇妙な反応は、あたかもこうした発言が出るのを待ち望んでいたかのように感じられるほどである。しかし、ここでスペクターは同時に、ヒュームズ中佐の意見が確たる根拠のない思い付きによるものだったことをも明らかにしている。なぜなら、その根拠は「知事が大統領の真正面に座っていた」という一点にしかないことを語っているからだ。しかもヒュームズはこの聴聞の場で、次のとおり自らの発言した一発説を半ば撤回しているのである。
確かに、スペクターとしては簡単に落胆するわけにはいかなかっただろう。この病理医の「思い付き」は、三発の銃弾をオズワルドが数秒以内に移動目標に向け速射し、その三発中二発が命中したという不可能を解決する、唯一の取っ掛かりだったからである。思いつきどころか、軍の支配下にある一中佐として、そうした発言が指揮命令系統を通じて「期待」されていた可能性すら考えなければならない。
それにしてもこのヒュームズ中佐とは先のリフトン著でも触れたように、弾道学に特段詳しいわけでもない海軍の一病理医にすぎない。陸軍ならともかく、主として洋上における負傷等を扱う海軍の中央病院(つまり現場ではない)の病理医に、当時すでに骨董品ものだった小火器の弾道特性について、かく断言する資格が果たしてあったのか?
しかもその彼は一発説の「物的証拠」を否定しているのである。
常識的にいうなら、この人物のこの発言が暗殺事件の最重要部分を決定付けてしまうとは到底考えがたい。
そんな「ヒュームズの仮説」でなぜ「突然すべてが腑に落ち」てしまうのか。それがなぜ「歴史的」な「転換点」になるのか。現在の視点からすれば、注目すべきはこのスペクターの不可解な「信じやすさ」のほうである。スペクターの発言自体が、そう信じて飛び付きたくなる状況が存在したということを示したものとなっている。
ウォーレン報告書の最重要のキーとなっている「一発説」とは、はなからこんなふうに根拠薄弱なものであったのだ。
ともあれ、スペクターが夫人の証言をスルーしたのは、そう考えればむしろ当然の、意図的なものだったのである。この調査委員会なるものは、早くもこの段階で、真相の調査とは反対の方向を向いていたことが、以上から理解できる。
聴聞者側はこの最初の音を当然のごとく「第一の銃声」として扱っているが、そもそも証言は「ライフルの銃声とは思われなかった」としている。これは文脈からして「委員会の言っているような銃声には聞こえなかった」ということであり、つまり遠回しの表現で単独犯行説を否定しているのである。
この点にこだわるのは、この夫人の証言は「《第一の狙撃位置》から消音措置が施された発砲があった」および「他の箇所からの銃声の偽装が存在した」との、本稿の推測を裏付けているからである。
しかしだとするなら、この最初の音について夫・コナリー知事が即座に明確に「暗殺の企て」だと判断したのはなぜか、という疑問が生じる。
そのことは知事の証言だけでなく、この夫人の証言における、最初の音のあとすぐに知事が発した「オー、ノーノーノー!」という声からも裏付けられる。なお、彼がこの時この叫び声を発したのは、あとで取り上げるジャクリーン夫人の証言でも確認できる。
彼は他の人物と異なり、最初の音だけでただちに暗殺を察知している。これは一体なぜか。コナリーには戦時中に実戦経験があるが、あくまで海軍将校としてであって、”expert rifleman”としてでなかったのは明らかである。この判断には経験以外の何かが介在していると考えるのが適当であろう。
このように、主要な事実に関してすら、夫人と知事の意見は一致しているわけではない。シノンがさも意味ありげに「知事は夫人の尻に敷かれて唯々諾々とその意見に従った」ということを書いているが、両者の証言を見ればそれが事実に反することはすぐわかる。
あくまで推測だが、この瞬時の判断には、知事が現場に差し掛かる時点ですでに危険を予測していたことがあったのだと考えられる。
これまで筆者にとって疑問だったのが、エルム通りに至るまでのパレードの車中で、シークレットサービスを除くリムジン上の四人のうち、ただ一人コナリー知事のみが、ひどく緊張感のある表情をしていることであった。とくに現場近くなるほどその表情は険しい。大統領含めた他の3人の屈託のなさに比べて、彼は険悪とも言える表情をしている。これはなぜなのか?
夫人の証言から、その意味するところを読み取ることができる。
*シノン著の表紙を飾った写真の再掲。ほかの人物と異なり、コナリー知事の表情は暗く緊張したものとなっている。
知事がもともと危険情報に接して警戒していたとすれば、最初の「音」で彼がただちに襲撃の危険を察知したとする夫人の証言ともつじつまが合う。彼は州知事としてそうした情報を知り得る立場にあった。そしてパレード当日のダラスは、実際そうした警告ないし挑発に満ちていた。
*パレード前にダラスで流布されたビラ。「反逆罪(treason)」とある。
そもそも市警を配下に置いた現地責任者たる知事の職責として、軍やシークレットサービスなどの連邦の警備部門とは別に、当然パレードルートは事前に頭に入れておき、危険予測も行っていたことだろう。
その中で、ルートの終端に当たるエルム通りの現場が狙撃にきわめて好適な、すなわち最も危険な場所であることは、地元の人間ならば一目瞭然である。
当日の車列および沿道の警備が危険なほど手薄だということは、映画「JFK」でのX大佐の言葉を借りるまでもなく、パレードの写真・映像なとから素人目にも明らかである。
大統領の命の危険は、とりもなおさず同乗する知事夫妻にとっての身の危険でもある。これで警戒しない州知事がいたとしたら、よほどの呑気者か無能ということになる。もちろん、コナリー知事の経歴からすれば無能どころではない。
以上はあくまで推測であって、知事の証言は考慮する必要があることに変わりはない。しかしこう考えてみれば、「銃声には聞こえなかった」と語った夫人との証言の食い違いは、単に準備条件の違いだったとして理解が可能になる。
ウォーレン委員会側は、聴聞の段階ですでに「知事は思慮の浅い夫人の意見に引っ張られて事実と異なる(=誤った)証言をした」と予断をしていたことが、シノンの著作から判明している。
面倒なのであえて引用しないが、コミカルなようで、しかし根本的には女性の証言を軽く見ている書き方(要するに「オバチャンの証言など取るに足りない」ということである)を無視してみると、このことは、むしろ逆に知事と夫人が事前に話し合い、双方の証言を十分に調整していたことをうかがわせる。
将来有望な野心的な政治家として、コナリー知事にそれ以上語ることのできない一線があったのは、立場や状況を考え会わせれば当然である。すでに大勢が決していた政府の公式見解を全否定するような発言は、政治家としてできない。
実際、彼の証言はその点を巧みに回避しているように見えてならないものであった。そう考えると、奥歯にものが挟まったように歯切れの悪い知事の証言の真意が理解可能になる(そのことは後述したい)。
彼は妻がこのように証言することを、当然承知していたはずである。知っていて、それを容認した。もし彼が真相を語り得なかったのなら、代わって夫人がそう証言することを望んだということになる。
このように、シノンによる知事夫妻の信用失墜を目論んだ安っぽい解釈とは逆の意味で、二人の認識は一致していたと見るべきである。
それにしても、再びシノン著について言っておきたい。繰り返しのようだが、なんと冗漫で批判精神の欠けた書きっぷりだろう。この本を読んでいて、事件の真相以前にうんざりしてくるのは、まずこうした焦点の定まらない記述である。
そしてそれ以上に、ジャーナリストとして、委員会が「一発説」という予断をもって調査に当たっていたことへの追及はどうしたのか?
証言について、それぞれが自身の経験を認識のままに語っているとしてまず尊重するのが、調査委員会の本来のあり方なのは言うまでもない。事件の最重要証言ならなおさらである。
にもかかわらず、前述のとおりウォーレン委員長自身が、なんと委員の体験談をもとに、最重要のはずの知事の証言の信用性をはじめから疑ってかかっているという状態なのであった。
シノン自身、知事夫妻の証言について「最重要証言」と書いている。
だとすれば、知事夫人をまるで判断能力の薄い半人前として扱った女性軽視の60年代前半の常識への批判は、一体どこにあるのか?
そして何より、その証言自体のあるべき再検討はどこへいったのか?
ウォーレン報告の擁護を図ったこのシノンの「労作」は、委員会がまず結論ありきで予断と偏見をもって当初から調査に当たっていたこと、それを墨守している公式説がメディアを通していまだに当然のように流布していることを、図らずも立証しているのである。
それこそ、まさにこの本の真の「50年目の証言」ということになるであろう。
他の多くの証人が最初の「音」について「ファイアークラッカーと思った」などとしているのと同じように、知事夫人もまた「ライフルの銃声とは思わなかった。ただとても大きい”noise”だった」と語っている。
ここの表現だけが「shot」(「銃声」ないし「発砲」)ではないことに注意したい。この点は以降の証言を通じて「first shot」との区別が曖昧になっているが、少なくとも事件発生の瞬間、夫人にとってこの最初の「音」は、銃声以外の何かだと感じられたのは確かである。
夫人の銃に関する経験がどの程度かがこの証言の価値を左右することとなるが、それは確認が難しい。しかし、そもそも彼女がこの音を「ライフルの銃声ではない」と明言しているからには、その判断のもとになっている相応の経験が存在するはずである。
日本の私たちと異なり、主要なレジャーのひとつがハンティングであるアメリカの、ことに南部人にとっては、たとえ女性であっても、いまも昔も銃は日常の一部であるだろう。ここで「私はexpert riflemanではないから」と語っていることや、後に出てくる「spent buckshot(射撃後の猟銃の散弾)」云々という用語は、彼女が銃声を聞き分ける程度の射撃経験は備えていたことを示唆している。
にもかかわらず、スペクターらはその点をスルーし話題を転換している。この重要な点に関する追加質問がないのはどうしたことか? 一体、この「調査委員会」は真相を調査する気があるのか?
先述のシノンは後年、質問者のスペクターにインタビューしており、一発説の「原点」を次のように聞き取っている。ウォーレン委員会、ことに一発説の主唱者であったスペクターにとって、それと完全に矛盾するコナリー夫人の証言が聞きたくないものであったことは、想像に難くない。
スペクターはのちにワシントンでのヒュームズの宣誓証言を歴史的なものとふりかえっている。まちがいなく委員会の調査における転換点だと。このときはじめて誰かが「一発の銃弾説」と呼ばれるようになった仮説の輪郭を描いたからである。
それはヒュームズが宣誓し、ザプルーダー・フィルムの齣の引き延ばされた画像を見せられたあとにやってきた。その画像は、あきらかに一発目の銃弾が命中したあと、ケネディの手が首元に上がる様子をしめしていた。ヒュームズは写真をちょっと見つめ、後部座席の大統領の位置と、コナリーが彼のすぐ前の折り畳み式補助席に座っている様子に注目した。
「コナリー知事が故大統領の真正面に座っているのがわかります」とヒュームズはいった。「わたしは故大統領の首下部を通り抜けていたこの飛翔体が、じつはコナリー知事の胸を通り抜けた可能性を提唱します」。わかりやすくいえば、このとき病理医は一発目の銃弾がケネディと、それからコナリーに命中したと推測していたのである。
突然すべてが腑に落ちた、とスペクターはいった。FBIとシークレット・サービスはケネディとコナリーがべつべつの銃弾で撃たれたと結論づけたとき間違っていたのだ。ふたりは同じ銃弾で撃たれた。最初に大統領の首を貫通し、それからコナリーの背中に命中した一弾に。ヒュームズの仮説は、オズワルドに射撃するじゅうぶんな時間があったかをめぐる委員会の混乱を解決するかもしれない。
(『ケネディ暗殺 ウォーレン委員会50年目の証言 上』、354~355頁)
それはヒュームズが宣誓し、ザプルーダー・フィルムの齣の引き延ばされた画像を見せられたあとにやってきた。その画像は、あきらかに一発目の銃弾が命中したあと、ケネディの手が首元に上がる様子をしめしていた。ヒュームズは写真をちょっと見つめ、後部座席の大統領の位置と、コナリーが彼のすぐ前の折り畳み式補助席に座っている様子に注目した。
「コナリー知事が故大統領の真正面に座っているのがわかります」とヒュームズはいった。「わたしは故大統領の首下部を通り抜けていたこの飛翔体が、じつはコナリー知事の胸を通り抜けた可能性を提唱します」。わかりやすくいえば、このとき病理医は一発目の銃弾がケネディと、それからコナリーに命中したと推測していたのである。
突然すべてが腑に落ちた、とスペクターはいった。FBIとシークレット・サービスはケネディとコナリーがべつべつの銃弾で撃たれたと結論づけたとき間違っていたのだ。ふたりは同じ銃弾で撃たれた。最初に大統領の首を貫通し、それからコナリーの背中に命中した一弾に。ヒュームズの仮説は、オズワルドに射撃するじゅうぶんな時間があったかをめぐる委員会の混乱を解決するかもしれない。
(『ケネディ暗殺 ウォーレン委員会50年目の証言 上』、354~355頁)
ヒュームズの発言に「天啓」を受けたかのようなスペクターの奇妙な反応は、あたかもこうした発言が出るのを待ち望んでいたかのように感じられるほどである。しかし、ここでスペクターは同時に、ヒュームズ中佐の意見が確たる根拠のない思い付きによるものだったことをも明らかにしている。なぜなら、その根拠は「知事が大統領の真正面に座っていた」という一点にしかないことを語っているからだ。しかもヒュームズはこの聴聞の場で、次のとおり自らの発言した一発説を半ば撤回しているのである。
ヒュームズは、ダラスから委員会が回収したもっとも重要な物的証拠としてスペクターが記憶することになるもの(委員会証拠物件399、二人を貫通したとされながら原形を保った件の「魔法の銃弾」)を見せられた…
もしヒュームズの言葉が正しければ、CF#399はケネディとコナリーの両者に命中した銃弾のはずだった。スペクターはヒュームズにチューブの中の銃弾を見てくれといった。それがケネディの首の柔らかい組織だけに命中したと仮定して、その銃弾がコナリーのすべての傷もまた引き起こしたことはありうるだろうか? ヒュームズは最初、懐疑的だった。「それはきわめてありえないと思います」と彼はいった。…
スペクターは病理医の反応に落胆しなかった――ヒュームズはたったいま委員会に提示したばかりの貴重な仮説からほとんどすぐに距離を置こうとしていた。
(同、355頁)
もしヒュームズの言葉が正しければ、CF#399はケネディとコナリーの両者に命中した銃弾のはずだった。スペクターはヒュームズにチューブの中の銃弾を見てくれといった。それがケネディの首の柔らかい組織だけに命中したと仮定して、その銃弾がコナリーのすべての傷もまた引き起こしたことはありうるだろうか? ヒュームズは最初、懐疑的だった。「それはきわめてありえないと思います」と彼はいった。…
スペクターは病理医の反応に落胆しなかった――ヒュームズはたったいま委員会に提示したばかりの貴重な仮説からほとんどすぐに距離を置こうとしていた。
(同、355頁)
確かに、スペクターとしては簡単に落胆するわけにはいかなかっただろう。この病理医の「思い付き」は、三発の銃弾をオズワルドが数秒以内に移動目標に向け速射し、その三発中二発が命中したという不可能を解決する、唯一の取っ掛かりだったからである。思いつきどころか、軍の支配下にある一中佐として、そうした発言が指揮命令系統を通じて「期待」されていた可能性すら考えなければならない。
それにしてもこのヒュームズ中佐とは先のリフトン著でも触れたように、弾道学に特段詳しいわけでもない海軍の一病理医にすぎない。陸軍ならともかく、主として洋上における負傷等を扱う海軍の中央病院(つまり現場ではない)の病理医に、当時すでに骨董品ものだった小火器の弾道特性について、かく断言する資格が果たしてあったのか?
しかもその彼は一発説の「物的証拠」を否定しているのである。
常識的にいうなら、この人物のこの発言が暗殺事件の最重要部分を決定付けてしまうとは到底考えがたい。
そんな「ヒュームズの仮説」でなぜ「突然すべてが腑に落ち」てしまうのか。それがなぜ「歴史的」な「転換点」になるのか。現在の視点からすれば、注目すべきはこのスペクターの不可解な「信じやすさ」のほうである。スペクターの発言自体が、そう信じて飛び付きたくなる状況が存在したということを示したものとなっている。
ウォーレン報告書の最重要のキーとなっている「一発説」とは、はなからこんなふうに根拠薄弱なものであったのだ。
ともあれ、スペクターが夫人の証言をスルーしたのは、そう考えればむしろ当然の、意図的なものだったのである。この調査委員会なるものは、早くもこの段階で、真相の調査とは反対の方向を向いていたことが、以上から理解できる。
聴聞者側はこの最初の音を当然のごとく「第一の銃声」として扱っているが、そもそも証言は「ライフルの銃声とは思われなかった」としている。これは文脈からして「委員会の言っているような銃声には聞こえなかった」ということであり、つまり遠回しの表現で単独犯行説を否定しているのである。
この点にこだわるのは、この夫人の証言は「《第一の狙撃位置》から消音措置が施された発砲があった」および「他の箇所からの銃声の偽装が存在した」との、本稿の推測を裏付けているからである。
しかしだとするなら、この最初の音について夫・コナリー知事が即座に明確に「暗殺の企て」だと判断したのはなぜか、という疑問が生じる。
そのことは知事の証言だけでなく、この夫人の証言における、最初の音のあとすぐに知事が発した「オー、ノーノーノー!」という声からも裏付けられる。なお、彼がこの時この叫び声を発したのは、あとで取り上げるジャクリーン夫人の証言でも確認できる。
彼は他の人物と異なり、最初の音だけでただちに暗殺を察知している。これは一体なぜか。コナリーには戦時中に実戦経験があるが、あくまで海軍将校としてであって、”expert rifleman”としてでなかったのは明らかである。この判断には経験以外の何かが介在していると考えるのが適当であろう。
このように、主要な事実に関してすら、夫人と知事の意見は一致しているわけではない。シノンがさも意味ありげに「知事は夫人の尻に敷かれて唯々諾々とその意見に従った」ということを書いているが、両者の証言を見ればそれが事実に反することはすぐわかる。
あくまで推測だが、この瞬時の判断には、知事が現場に差し掛かる時点ですでに危険を予測していたことがあったのだと考えられる。
これまで筆者にとって疑問だったのが、エルム通りに至るまでのパレードの車中で、シークレットサービスを除くリムジン上の四人のうち、ただ一人コナリー知事のみが、ひどく緊張感のある表情をしていることであった。とくに現場近くなるほどその表情は険しい。大統領含めた他の3人の屈託のなさに比べて、彼は険悪とも言える表情をしている。これはなぜなのか?
夫人の証言から、その意味するところを読み取ることができる。
*シノン著の表紙を飾った写真の再掲。ほかの人物と異なり、コナリー知事の表情は暗く緊張したものとなっている。
知事がもともと危険情報に接して警戒していたとすれば、最初の「音」で彼がただちに襲撃の危険を察知したとする夫人の証言ともつじつまが合う。彼は州知事としてそうした情報を知り得る立場にあった。そしてパレード当日のダラスは、実際そうした警告ないし挑発に満ちていた。
*パレード前にダラスで流布されたビラ。「反逆罪(treason)」とある。
そもそも市警を配下に置いた現地責任者たる知事の職責として、軍やシークレットサービスなどの連邦の警備部門とは別に、当然パレードルートは事前に頭に入れておき、危険予測も行っていたことだろう。
その中で、ルートの終端に当たるエルム通りの現場が狙撃にきわめて好適な、すなわち最も危険な場所であることは、地元の人間ならば一目瞭然である。
当日の車列および沿道の警備が危険なほど手薄だということは、映画「JFK」でのX大佐の言葉を借りるまでもなく、パレードの写真・映像なとから素人目にも明らかである。
大統領の命の危険は、とりもなおさず同乗する知事夫妻にとっての身の危険でもある。これで警戒しない州知事がいたとしたら、よほどの呑気者か無能ということになる。もちろん、コナリー知事の経歴からすれば無能どころではない。
以上はあくまで推測であって、知事の証言は考慮する必要があることに変わりはない。しかしこう考えてみれば、「銃声には聞こえなかった」と語った夫人との証言の食い違いは、単に準備条件の違いだったとして理解が可能になる。
ウォーレン委員会側は、聴聞の段階ですでに「知事は思慮の浅い夫人の意見に引っ張られて事実と異なる(=誤った)証言をした」と予断をしていたことが、シノンの著作から判明している。
面倒なのであえて引用しないが、コミカルなようで、しかし根本的には女性の証言を軽く見ている書き方(要するに「オバチャンの証言など取るに足りない」ということである)を無視してみると、このことは、むしろ逆に知事と夫人が事前に話し合い、双方の証言を十分に調整していたことをうかがわせる。
将来有望な野心的な政治家として、コナリー知事にそれ以上語ることのできない一線があったのは、立場や状況を考え会わせれば当然である。すでに大勢が決していた政府の公式見解を全否定するような発言は、政治家としてできない。
実際、彼の証言はその点を巧みに回避しているように見えてならないものであった。そう考えると、奥歯にものが挟まったように歯切れの悪い知事の証言の真意が理解可能になる(そのことは後述したい)。
彼は妻がこのように証言することを、当然承知していたはずである。知っていて、それを容認した。もし彼が真相を語り得なかったのなら、代わって夫人がそう証言することを望んだということになる。
このように、シノンによる知事夫妻の信用失墜を目論んだ安っぽい解釈とは逆の意味で、二人の認識は一致していたと見るべきである。
それにしても、再びシノン著について言っておきたい。繰り返しのようだが、なんと冗漫で批判精神の欠けた書きっぷりだろう。この本を読んでいて、事件の真相以前にうんざりしてくるのは、まずこうした焦点の定まらない記述である。
そしてそれ以上に、ジャーナリストとして、委員会が「一発説」という予断をもって調査に当たっていたことへの追及はどうしたのか?
証言について、それぞれが自身の経験を認識のままに語っているとしてまず尊重するのが、調査委員会の本来のあり方なのは言うまでもない。事件の最重要証言ならなおさらである。
にもかかわらず、前述のとおりウォーレン委員長自身が、なんと委員の体験談をもとに、最重要のはずの知事の証言の信用性をはじめから疑ってかかっているという状態なのであった。
シノン自身、知事夫妻の証言について「最重要証言」と書いている。
だとすれば、知事夫人をまるで判断能力の薄い半人前として扱った女性軽視の60年代前半の常識への批判は、一体どこにあるのか?
そして何より、その証言自体のあるべき再検討はどこへいったのか?
ウォーレン報告の擁護を図ったこのシノンの「労作」は、委員会がまず結論ありきで予断と偏見をもって当初から調査に当たっていたこと、それを墨守している公式説がメディアを通していまだに当然のように流布していることを、図らずも立証しているのである。
それこそ、まさにこの本の真の「50年目の証言」ということになるであろう。
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