愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

義援金と義捐金

2000年09月06日 | 民俗その他
三宅島の噴火により島民が島から避難したが、同時に三宅島災害の義援金のお知らせがマスコミを通じて頻繁に目に付くようになった。この「義援金」という言葉を聞くと、いつも思い出してしまうのは、私が学生時代に大正時代の新聞を読みあさっていた時、関東大震災の関連で「ギエンキン」募集の記事が数多く出ていたことである。また、夏目漱石の『我輩は猫である』の中でも確か東北地方の凶作で「ギエンキン」を出したという文章があったと記憶している。ここでカッコ付きのギエンキンとしたのには訳がある。それらに載っているギエンキンの漢字が、現在の「義援金」とは異なるのだ。大正時代の新聞記事や『我輩は猫である』の場合、「義捐金」の字を使っている。内容は同じであろうが、「援」は援助の意味、「捐」は捐てる、捨てるの意味である。捨てることから援助することへ、ギエンキンの意図も変化したのだろうが、いつから「義援金」を用いるようになったのかは調べていないのでわからない。日本国語大辞典を見てみると、漢字は「義捐」をあてている。「慈善や公益、災害に対する救済などのために金品を出すこと。また、その金。ほどこし。」とあるが、現在はこの行為を「すてる」こととするのに抵抗があるのだろう。現在、「すてる」という言葉はマイナスイメージを帯びているようだ。「ほどこし」に「すてる」という意味を付帯させると、何やら無責任な行為、つまり、私はこれだけほどこしを与えますが、あとは知りませんよ、とでも言っているようなものだろうか。「義捐金」を使用しなくなったのは、その言葉に、施す側の無責任さが内包され、それに気づいたため、「捐」を援助の「援」に代えてしまったのだろう。(誰が代えたのか。誰が代えようとしたのかは知らない。)
捨てるといえば、「喜捨」という言葉がある。もともとは仏教用語だと思うが、修行僧に対して施与することで、これを広義にとらえると、豊かな者が貧しき者に対して自分の財産を分け与えることといえる。これも単なる貧者や困窮者に対する同情や憐れみととらわれがちだが、仏教では施与者が、財物への執着から離れるために行われる行為という意味合いが強く(まさに一遍の世界!)、それが功徳のある行為と考えられていたのである。かつては「義捐金」も単なる同情、憐れみから発生して、そこから「すてる」という意味の文字が用いられたのだろうか。
私はそのようなことより、「すてる」という意味の変容が、この文字の変化をもたらしたのではないかと思っている。かつての「すてる」は、ゴミを捨てるにしても、リサイクルが可能だったように、社会構造の中で還元されていた。喜捨にしても同じ社会の中で、富と貧の差を平等にするための一種の宗教的作用だったといえるのではないか。これも同じ社会構造の中で行われていることである。ところが、現代の「すてる」は社会からの排除が前提になってしまっているように思える。ゴミ問題も共同体からの排除意識が根源にあり、「捨てる」が、社会から逸脱させる行為となっているように見えてならないのだが。
以上のような背景があり、「義捐金」は現代では受け入れられず、「義援金」となったのではないだろうか。
愛媛の伝承文化とは、関係のないことだが、最近のテレビを見ていて、このようなことを考えてみた。

2000年09月6日