昨日、八幡浜市の福祉会館で行われた水本正人氏の講演「猿廻しについて」を聴講した。10月に八幡浜に周防猿廻しの村崎氏(先般NHKの人間大学「宮本常一の世界」でも紹介された方)が来る予定があり、その準備のための講演であった。
猿廻しは、日本では平安時代にまでさかのぼるとされ、中世以降は『吾妻鏡』や『融通念仏絵巻』などにも見える。馬の守り神として厩祈祷をし、また、江戸時代末期までは朝廷の新春をことほぐ猿舞として上覧に供されていた。もともとは神事芸能であったものが、後に舞台芸能化し、紆余曲折を経て、近代以降は周防猿廻しのみが継続している。
水本氏によると、江戸時代の猿廻しについては、伊予国関係では史料が今のところ見つかっていないという。私の調べたところでも見あたらない。ただし、宇和島藩の田苗真土亀甲家文書の安政5年4月、人数御改牒によると、「猿廻 右同断(此類当村中無御座候)」とあり、項目として猿廻が登場している例はある。これは宇和島藩全体での調査であり、藩の設定した項目であろうから、宇和島藩内に猿廻が存在していたのかもしれない。
さて、昨日の講演の中でかつて民放で放映された日本、中国、インドの猿廻しの紹介ビデオが紹介された。そこで、猿が馬の守り神的な存在であることを示す資料として和同開珎の裏にレリーフされた馬をひく猿が映像の中にでていた。猿が馬の守り神とされる信仰は、中世以降に盛んになったものであり、和同開珎にそのような造形があるはずがないと思い、私は驚いてしまった。調べてみたところ、やはり奈良時代に鋳造された和同開珎の裏側には何も描かれていないようだ。あの映像は間違いなのか、それとも近世に流行した絵銭の一種である駒曳銭なのだろうか少し気になった。絵銭といえば、赤坂一郎編『日本の絵銭』を参照すればすぐに解決するのだろうが、あいにく、この本は手元にもなければ、愛媛県立図書館、愛媛大図書館にも所蔵されていない。駒曳銭などの絵銭は、流通貨幣として使用されたものではなく、お守りあるいは子供の遊び道具などとして製作されたものだが、表が「和同開珎」と描かれているため、どうも気になって仕方がない。
2000年09月23日