愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

地芝居の振付

2000年09月24日 | 祭りと芸能

坂本正夫氏「高知県の農村舞台と地芝居」(角田一郎編『農村舞台の総合的研究』1971年所収)の中で、高知県における地芝居の手付、振付のことが紹介されている。「太夫三味線、手付、振付などは他所から玄人を招くことが多かった。これは地域によって招く所が大体決まっていたようである。室戸地方では地芝居の中心地である三津、椎名、佐喜浜などにいたが、遠く高知市や徳島市から玄人を招くこともあった。津野山地方では土佐戸波、高岡郡越知町、高知市などからも招いたが、愛媛県八幡浜市や大洲市などからもよく招いていた。」とある。高知の地芝居に愛媛の八幡浜や大洲の者が参加していたというのである。このことを、8月に坂本先生にお会いした際にご教示いただき、八幡浜の地芝居史料を読み直してみた。高知方面に手付、振付が行っている史料は見あたらないが、八幡浜市穴井で行われていた穴井歌舞伎の「芸題録」によると、明治35年正月に「菅原伝授手習鑑」などが上演された際の振付が土佐の嵐三津十郎であったと記載されている。この「土佐」が現在の高知市なのか、津野山地方なのかはわからないが、高知方面からも振付が来ているのである。愛媛から高知というような一方通行の交流ではなかったようである。
なお、この穴井の「芸題録」によると、振付は、土佐からだけではなく、別府稲荷町、西国東郡真玉村(大分県)、川之石(愛媛県保内町)、御荘(愛媛県御荘町)から呼んでいる。広範囲な交流があったことがわかる。

2000年09月24日

遍路道の世界遺産化活動

2000年09月24日 | 信仰・宗教

昨日9月23日、四国遍路道をユネスコ世界遺産に登録しようと活動をする「四国へんろ道」世界遺産化の会の設立総会が愛媛県松山市内で行われた。この会の設立の準備にあたっては、会の代表世話人である仙遊寺住職小山田憲正氏をはじめ、各方面、様々な人たちが準備にたずさわり、昨日の設立総会にこぎつけた。この会では、遍路道が癒しの道であり、人間性回復の場であること、また、もてなしの心をはぐくむ道であること、生活文化の交流の場であること、豊かな自然を持つ環境保全の舞台であることを強調し、世界遺産化を推進しようとするものである。会では今後、世界遺産化された原爆ドームなどの視察や、ホームページの開設、ミニ四国霊場の実態調査などを行う予定とのこと。今後、活発なPR活動も行われるようで、遺産化へ向けてなんと200万人の署名を目指しているという。今回、遺産化しようとしているのは、「四国八十八カ所」(つまりそれぞれの札所・霊場)ではなく、札所・霊場を結ぶ「遍路道とそれに付随してくる文化」のようである。このような巡礼道として世界文化遺産に登録されている例としては、1993年に登録されたスペインのサンティアゴ・デ・コンポステラの巡礼道がある。サンティアゴ・デ・コンポステラはイベリア半島の西端に位置する人口13万人の中規模都市で、9世紀の聖ヤコブ(サンティアゴ)の墓の近くに作られたガリシア地方の政治・行政の中心で,キリスト教の巡礼地である。スペイン北東部の観光・文化の中心で、「古都サンティアゴ・デ・コンポステラ」、「サンティアゴ・デ・コンポステラの巡礼道」が世界遺産に登録されている。この巡礼の道は、聖ヤコブの遺体が見つかって以降、ヨーロッパ各地からこの町へ多くの巡礼者が訪れ、多い時には年間50万もの人たちが、同地を目指して歩いて来たという。ただし、この巡礼道の登録は1993年であるが、それに先立つこと8年前の1985年にサンティアゴ・デ・コンポステラの町自体が登録されていることを忘れてはいけない。単に「道」が登録されているわけではなく、信仰の中心地である大聖堂を核として登録されているのである。この点が「道」を前面に押し出そうとする四国遍路道とは異なっている。
そもそも、世界遺産とは、1972年に第17回ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)総会で採択された条約「世界遺産条約」(正式名称は「世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約」)により制定されたもので、現在、日本では、法隆寺地域の仏教建造物(Buddhist Monuments in Horyu-ji Area 1993) 、姫路城 (Himeji-jo 1993)、白神山地(Shirakami-Sanchi 1993)、屋久島(Yakushima 1993)、古都京都の文化財( Historic Monuments of Ancient Kyoto)、白川郷・五箇山の合掌造り集落( Historic Villages of Shirakawa-go and Gokayama 1995)、広島平和記念碑(原爆ドーム)( Hiroshima Peace Memorial (Genbaku Dome) 1996)、厳島神社(Itsukushima Shinto Shrine 1996)、古都奈良の文化財 (Historic Monuments of Ancient Nara 1998)、日光の社寺(Shrines and Temples of Nikko 1999)が登録されている。また、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」、「彦根城」、「鎌倉の社寺」が登録準備中となっている。
世界文化遺産の登録基準であるが、日本ユネスコ協会連盟のHPによると、 Ⅰ.人間の創造的才能を表す傑作であること。 Ⅱ.ある期間、あるいは世界のある文化圏において、建築物、技術、記念碑、都市計画、景観設計の発展に大きな影響を与えた人間的価値の交流を示していること。 Ⅲ.現存する、あるいはすでに消滅してしまった文化的伝統や文明に関する独特な、あるいは稀な証拠を示していること。 Ⅳ.人類の歴史の重要な段階を物語る建築様式、あるいは建築的または技術的な集合体、あるいは景観に関するすぐれた見本であること。 Ⅴ.ある文化(または複数の文化)を特徴づけるような人類の伝統的集落や土地利用の一例であること。特に抗しきれない歴史の流れによってその存続が危うくなっている場合。Ⅵ.顕著で普遍的な価値をもつ出来事、生きた伝統、思想、信仰、芸術的作品、あるいは文学的作品と直接または実質的関連があること。以上の6項目が挙げられている。
この項目を見ると、四国遍路道が実際に世界文化遺産に登録されるためには、遍路道とそれに付随する文化は当然のこと、札所・霊場の建造物、仏像などの仏教芸術なども含めて四国遍路文化総体として取り上げることが理想のように思える。ただ、会は発足したばかりである。今後のこの会の活動の方向性に注目していきたいと思う。

2000年09月24日