坂本正夫氏「高知県の農村舞台と地芝居」(角田一郎編『農村舞台の総合的研究』1971年所収)の中で、高知県における地芝居の手付、振付のことが紹介されている。「太夫三味線、手付、振付などは他所から玄人を招くことが多かった。これは地域によって招く所が大体決まっていたようである。室戸地方では地芝居の中心地である三津、椎名、佐喜浜などにいたが、遠く高知市や徳島市から玄人を招くこともあった。津野山地方では土佐戸波、高岡郡越知町、高知市などからも招いたが、愛媛県八幡浜市や大洲市などからもよく招いていた。」とある。高知の地芝居に愛媛の八幡浜や大洲の者が参加していたというのである。このことを、8月に坂本先生にお会いした際にご教示いただき、八幡浜の地芝居史料を読み直してみた。高知方面に手付、振付が行っている史料は見あたらないが、八幡浜市穴井で行われていた穴井歌舞伎の「芸題録」によると、明治35年正月に「菅原伝授手習鑑」などが上演された際の振付が土佐の嵐三津十郎であったと記載されている。この「土佐」が現在の高知市なのか、津野山地方なのかはわからないが、高知方面からも振付が来ているのである。愛媛から高知というような一方通行の交流ではなかったようである。
なお、この穴井の「芸題録」によると、振付は、土佐からだけではなく、別府稲荷町、西国東郡真玉村(大分県)、川之石(愛媛県保内町)、御荘(愛媛県御荘町)から呼んでいる。広範囲な交流があったことがわかる。
2000年09月24日