愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

能登半島と愛媛

2000年09月28日 | 地域史

先日、妻が石川県に旅行に行った際に、輪島市にあるキリコ会館というお祭り博物館を見学し、その中の展示風景をビデオで撮影してくれた。キリコとは、能登半島の各地の夏から秋にかけての祭りで、神輿のお供として氏子が担ぐ巨大な御神燈のことである。キリコは切子灯籠からきた名称で、奥能登ではキリコと呼ぶが、口能登では「ホートー(奉燈)」、「オアカシ(御明かし)」と呼ぶ。祭礼の際の明かりとなる御神燈が発展・風流化したものである。
撮影されたビデオを見ていると、キリコだけではなく、石川県指定無形文化財の御陣乗太鼓も展示されていた。この太鼓は輪島市名舟で伝承されているもので、現在では観光用にホテルなどの舞台で演じることが多いという。その太鼓をたたく者は、面をかぶっているのだが、展示されているマネキンには、上着に裂織りを着用していたのである。裂織りは石川県のみならず、日本海沿岸に広く見られるので、その存在自体は珍しくはないのだが、芸能衣装として裂織りが使用されているのに少し驚かされた。
早速、御陣乗太鼓に詳しい名舟の方に連絡をとってみたところ、御陣乗太鼓ではこれといって着用しなければならないというものはなく、日常着で行っていたという。その日常着の中に裂織りもあったのではないかということであった。また、昭和40年頃までは刺し子の仕事着を山着として着用していたといい、それを太鼓で使うこともあったという。
裂織りが芸能や祭礼衣装として使用される例は、愛媛県内では西宇和郡三崎町の二名津の春祭り(2月11日)で、昭和30年代までは牛鬼を担ぐ者が着用していたというが、これは、裂織り(地元ではオリコという)が丈夫であるため、担ぐ際に肩にやさしいからだと思われる。この使用例も特に祭礼の中で伝統的で、決まりきったものではないようだ。裂織りを伝統的な祭礼・芸能衣装として使用している例が全国的に見て、あるのかどうか知りたいところである。
ところで、能登の祭礼は愛媛と同様、地域差が激しく、また豪華であり、興味が惹かれる。100カ所近くあるキリコ祭りだけでなく、七尾市や羽咋市およびその周辺地域に現在でも300カ所余りの地区で獅子舞が演じられており、獅子舞の濃厚な分布地域としても知られている。また、中能登の枠旗祭り、お熊甲祭り、総輪島塗りの山車の登場する輪島の曳山まつり(4月5,6日)、デカ山と呼ばれる巨大な山車3基が出る七尾市の青柏祭(5月3~5日)などなど。面白いのは、獅子舞が濃厚に分布する地域、キリコの盛んな地域は色分けできるようで、愛媛の東予の祭礼の太鼓台・だんじり文化圏と継獅子文化圏に類似する芸能と山車の棲み分けが見られる。(愛媛では豪華な太鼓台の分布する新居浜、宇摩郡域では、他地域に比べて民俗芸能が極端に少ないという傾向がある。これは太鼓台に力を注ぎすぎて、芸能にまで手が回らなかったということか?)
能登は京都を中心として同心円状にみると、京都からは愛媛と同距離になり、周圏論的にみると、類似した民俗事例が確認できる可能性がある。また、能登は海上交通の栄えた場所であり、かつては北前船で大坂、瀬戸内との交流もあったはずである。愛媛の側でも、詳細は忘れてしまったが、東宇和郡明浜町のある神社に石川県の者が奉納した玉垣が残っているのを見たことがある。このように能登の祭礼や民俗を眺めていくと、愛媛の文化を調査する新たな視点を見いだせるような気がしている。勝手な推測であるが・・・。

2000年09月28日