愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

愛媛県内のお盆行事4

2008年05月07日 | 年中行事
事例68 8月16日 畑野薦田踊り 土居町薦田(大元神社・薬師堂)
はじめ薦田氏の位牌をまつる阿弥陀堂で半分程の踊りをし、次に薦田大明神の石のまわりで全員踊る。薦田氏の霊を慰めるため始められた踊りである。(『ふるさとの歳時記』より)

事例69 8月16日 かぶとおどり 新居浜市船木(船木神社)
この踊りは雨乞い踊りで、太鼓を中心に踊り手が合唱・かけ声をかえながら顔に釜ずみ・ほうかむりに縄帯、女の中に男が1人ずつ入って輪になって(百姓姿)踊るもので、明朗・軽快・単純・原始的な踊りである。(『ふるさとの歳時記』より)

事例70 8月16日 送り念仏 伯方町北浦(お薬師)
念仏組(4人)がお薬師さんから出て、村中を全戸唱えて回る。昨年の盆から今年の盆まで亡くなった人を新仏として供養するのである。(『ふるさとの歳時記』より)

事例71 8月16日 舟流し  上浦町盛(盛港)
その年に死亡した人の霊を祭るための、長さ2~3メートルの舟を作り、死亡者のあった家の人が、死者に似た、でこ人形を乗せ、午後3時頃、沖に運んで流す。日没後、の全戸で、灯籠を流す。(『ふるさとの歳時記』より)

事例72 8月17日 水祭 宇和島市高串本村(竺法寺)
板で作った舟に線香、ろうそくを立てて、お寺の池に浮かべる。夜はここで盆踊りをする。(『ふるさとの歳時記』より)

事例73 8月18日 施餓鬼会 吉海町(高龍寺)
島内4ヶ寺及び有津、西明寺の僧侶で施餓鬼作法によって行われる。当夜は遺族や近所、知人が菓子等供え物をして参拝する。なお、慰霊のため、信男信女の盆踊りが夜更けまで行われ、夜店見物人多数で盛大である。(『ふるさとの歳時記』より)

事例74 旧7月18日 流れ灌頂 今治市城慶寺
施餓鬼供養のあと、献灯を湊の浜に運び、海に流す行事である。その後、参詣者は寺の広場で夜更けまで盆踊りを続ける。(『ふるさとの歳時記』より)

事例75 8月19~25日 七日念仏 野村町四郎谷内場地区(お堂)
一週間続けられ、組内の人々が日没とともに集まって念仏を行うもので、最後の日は結願といって全員が飲食を行う。(『ふるさとの歳時記』より)

事例76 8月20日 石手寺永代供養 松山市石手(石手寺)
弘法大師の亡くなった日にちなんで行われるところから、20日大師と言われ、庶民から親しまれている。最近では死産した赤子の魂をとむらう水子祭りとしても知られている。(『ふるさとの歳時記』より)

事例77 8月21日 踊り念仏  五十崎町大久喜(大師堂)
太鼓にあわせて、鉦をたたきながら踊る。(『ふるさとの歳時記』より)

事例78 8月21日 虫送り・百八灯 五十崎町古田・大久喜・宿間・柿原
108の煩悩を焼除し、悪疫退散、家内安全、五穀豊穣を祈願する行事である。タイマツが夏の夜空をこがし、108個のローソクが幻想的なムードをかもし出す。(『ふるさとの歳時記』より)

事例79 8月23日 地蔵尊の縁日 今治市郷(附嘱寺)
郷の附嘱寺の縁日で、一般に「郷のお地蔵さん」で親しまれている。眼病にご利益があるといわれ、近郷近在から多くの参詣者を集める。(『ふるさとの歳時記』より)

事例80 8月23日 地蔵祭 西海町内泊(地蔵堂)
1年中に死亡した幼児の供養踊りが行われる。(『ふるさとの歳時記』より)

事例81 8月23~24日 日切地蔵縁日 松山市湊町(善勝寺)
松山の夏祭りのフィナーレを飾る行事で、市駅前広場に仮設舞台を設け、野球拳優秀連対抗大会、のど自慢大会等の催し物が行われる。参詣人は病気にかからぬよう祈願する。(『ふるさとの歳時記』より)

事例82 8月24日 くじびき 新宮村杉谷(杉谷地蔵堂)
毎年年番で決められた2戸の当屋が一切の世話をし、3日程前から寄付金を集め、供物とともに景品を買い入れる。紙のコヨリでくじをつくり、これに景品の名を書き入れておき、当日の夕方、学校帰りの生徒や地域の人たちが地蔵前でくじびきをする。(『ふるさとの歳時記』より)

事例83 8月24日 いりはの行事 松山市森松(須我神社)
家内安全、豊作祈願、悪魔退散を願う神仏混交の行事で、森松町本村にある須我神社と、そこから約100メートル程離れた延命地蔵を祀っている仏庵とその道中が舞台で、仏庵でお経をあげてから、地区の人たちは神社に向かう。その行列には、今年生まれた子供を抱いた戸主がちょうちんを持って先頭にたち、次に御幣かつぎがつづき、毛やり、道具もち、だいば、天狗が歩き、その後をちょうちんを持った老若男女が続く。(『ふるさとの歳時記』より)

事例84 8月24日 百八灯 川内町吉久(吉久表川堤防)
表川の堤防上に小屋を設営し、そこを起点にして左右に3メートル間隔で各戸から提供された「サイト」を数本ずつ並べ、108の点になるまでたてる。夜に入って「ターロモコイ」「ジーロモコイ」と唱えながら108のサイトに点火し、最後に中心にある小屋を焼く。(『ふるさとの歳時記』より)

事例85 8月24日 うらぼん 松前町上高柳
当日では米を買って黄粉をつけた大きなおむすびをつくり、大きなおけに入れる。上高柳の本村開の子供たちが上高柳のから墓地までの道の両側に108灯ずつ灯火を立てその中を通っての人々は墓地へお参りに行き、祖霊を供養する。墓地ではおむすびのおけを墓地の入り口において墓まいりにきた人におむすび一個ずつ接待する。(『ふるさとの歳時記』より)

事例86 8月24日 地蔵盆 瀬戸町三机
三机の家々が、祭り神として供養している地蔵さんを一箇所に集め供養する行事である。(『ふるさとの歳時記』より)

事例87 8月25日 山越のドジョウ施餓鬼 松山市山越(木屋町)
御幸橋のたもとにある延命地蔵を祭るドジョウ施餓鬼。この日はドジョウ汁を食べるならわしがある。(『ふるさとの歳時記』より)

事例88 8月中 お施餓鬼 重信町内(各寺院)
檀家から先祖や亡くなった家族を祭ってもらいたいとの申し出を受けた各寺院では、本堂に祭壇を設けてていねいにまつり、読経して供養する。この夜各寺院では先祖供養のため盆踊りが行われる。田窪の香積寺(8月23日)、牛渕の道音寺(8月24日)、野田の西光寺(8月20日)と各寺院ごとに日が決まっている。(『ふるさとの歳時記』より)

事例89 8月上旬~下旬 お施餓鬼 双海町全域(町内各寺)
過去1年間の新仏の供養をする行事である。各檀家の新仏の家族・親族がお寺へ集まり、お経を唱える。後、お般若湯(酒)を酌み交わしながら生前の功をたたえ悔い慰めあう。(『ふるさとの歳時記』より)

事例90 明治時代初期の今治地方の七夕 『国府叢書』巻二十三
「七夕ノ節句ノ事 七月七日ヲ七夕ノ節句トテ、六日ノ夕ヨリ七夕祭リトテ、笹竹ニ短冊ヲ付シ、之レヲ庭内ニ建、供物等ヲナス事左ニ記ス。机上ニ供アルモノハ、水ノ子(茄子ヲ角ニ切リ、白米ヲ交ヘタル者)ヲ小サキ盆ニ盛リ、田瓜、団子、赤飯等ヲ供ス、又七夕ノ竿ヘハ、茄子、フロヲ及打燈ヲ釣リ、夜間ハ点火ス、七日ノ朝ハ早ク起キテ、男子ハ藁(新稲葉ヲ交ユ)ニテ縄ヲナイ、円形六寸計ノ輪ヲ二ツ拵ヘ、夫レヲ組合シ、之レヲ屋上ニ投シ置キ、女子モ同様早ク起キテ、麻苧ヲ以テ糸ヲ産シ、而シテ其糸ヲ机上ニ置ク、之レ全ク男女共ニ、万術ノ上手ニナラン事ヲ七夕ニ募ヘル義ナリ、建アル笹ハ七日ノ早朝多く海ニ流ス、供物ハ惣テ其夕方廃檀ノ後、之レヲ□□ニ与フルノ習慣トス(挿絵有り)」

事例91 明治時代初期の今治地方の盆踊 『国府叢書』巻二十三
「盆躍ノ事 七月八日ハ薬師、十七日ハ観音、廿一日ハ大師、廿三日ハ地蔵等ノ会日ニ付、其日ハ其所江壮年男女寄集リテ、霊前ニテ躍リ、其神佛ヲ慰ム、其外祖先ノ霊魂ヲ慰セントテ、各自庭内ニテ、躍ラシムル者モ多々アリシ、然レ共、藩法ニヨルト、奇異ナル風体ヲシ躍ル事停止セラル」

事例92 明治時代初期の今治地方のマンド(万燈) 『国府叢書』巻二十三
「万燈ノ事 七月十四日十五日ノ二夜ハ、万燈ト唱ヘ、毎村山アル所ハ山ニ、山ナキ所ハ堤防或ハ道傍等ニテ、多数ノ篝火或ハ麦藁、松葉等ヲ壱荷位ツツ、数十ヶ所ニ積置キ、一時ニ火付ケ焚ク、其賑ハヒ実ニ盛なり、之モ全ク亡人ノ霊魂ヲ、慰ムル為ナリト云フ。此事ヲ司トルモノハ、毎村トモニ強壮ナルモノ村内毎戸より、右之品ヲ貰請ケテ、執行スルモノ也、今尚行ハルル也」

事例93 江戸時代中~後期の宇和島地方の盆行事 『桜田随筆』
「七夕祭、瓜菓のそなへ其外古風に変わることなし。其内七日の夜に祭ることを不知人多しといふこともあれども六日の夜子の刻より七日の夜亥の刻迄は七日の事故家々仕来りの通にてもすむわけなり。
盂蘭盆、うらぼん会十四日、五日。家々のいとなみ古風に違ふ事多し。昔はおしなべて十三日の夜半より団子等を拵へ、夜明けに暖なるを備ふる事を専とせしが、二三十年程前よりは十三日の夕方拵へ、暮頃より備ふる事となれり。之れは夜分蚊に食はるる事を厭へる故と見へたり。亡者への志は薄くなりたる心地す。又おかしきは迂遠の輩は廿四日、五日を裏盆といひて盛物団子を備ふ。表盆・裏盆といふ事更になし。(中略)」

愛媛県内のお盆行事3

2008年05月07日 | 年中行事
事例45 8月14日 柱祭り 八幡浜市五反田
戦国時代の伝説に基づく伝統行事で、先端に漏斗型に編んだ麻木籠をつけた高さ20余メートルの柱に、五反田各地から集まった若者たちによって、火のついた麻木の束が投げあげられる。(『ふるさとの歳時記』より)

事例46 8月14~15日 まんど 玉川町各
通称「まんど山」と称する山頂で行う。松の木を立て、竹を組んで周囲をムギワラで囲った小屋をつくる。日暮れとともに、サイトに点火し、最後に小屋に点火する。盆の精霊迎えの大がかりな少年組の行事である。(『ふるさとの歳時記』より)

事例47 8月14~15日 青島の盆踊り 長浜町青島
14日は「赤穂四十七士」の死者の霊を慰める「亡者踊」が行われ、15日は魚を供養する「大漁踊」が行われる。(『ふるさとの歳時記』より)

事例48 8月14~15日 盆踊り 宇和島市九島・石応・白浜
右手に扇子を持ち、初盆の家を一軒ずつ廻り各家の前で約20分間踊り、夕方広場に多くの人が集まり踊る。(『ふるさとの歳時記』より)

事例49 8月14~16日 盆踊り(じょうさ節) 新居浜市垣生
江戸時代、垣生の庄屋の下男、丈吉が仕事をしながら歌っていたのものを藩主が知り丈吉の歌だから、じょうさ節と命名した。じょうさ節が歌われだしてのちに踊りができ、明治の中頃まで盆踊りのときに歌い踊っていたが、戦争のため一時とだえ、戦後新しい振りを加えて復活した。盆踊り以外にも運動会、文化祭等各種催し物で披露される。(『ふるさとの歳時記』より)

事例50 8月14~16日 千灯・萬灯 丹原町久妙寺
盆14日の夕方になると、麦藁を径15㎝、長さ2メートルくらいに束ね(藁スボという)先端に火をつけ、の子供達全員、村境の川堤に集まり、藁スボを振りながら行列行進する。迎え火も送り火も同じ、子供達の楽しい行事である。(『ふるさとの歳時記』より)

事例51 8月14~16日 津島の盆踊り 吉海町津島
お盆が近づくと各人夜なべして「オハラガン」を作る。16日の盂蘭盆には、女の人は「ケンド」の下へ傘台をつけてロ-ソクに点火した「オハラガン」を頭に戴き、浴衣を着て下駄を履き扇子を持って櫓太鼓のまわりを音頭にあわせて夜明けまで踊る。(『ふるさとの歳時記』より)

事例52 8月14~16日 盆踊り 中島町
だいたい14日か15日に新仏の家で供養踊り(亡者踊り)をし、ついで翌日は娯楽踊りをする。小浜の「道具踊り」、怒和の「位牌踊り」は特異な盆踊りとして注目される。(『ふるさとの歳時記』より)

事例53 8月15日 盆踊り(刃踊りと扇子踊り) 西条市千町
毎年の盆踊りに刃踊り(とんかかさ踊り)と扇子踊り(とことん踊り)を慣習としてとんかかさ踊りを先に踊っている。(『ふるさとの歳時記』より)

事例54 8月15日 盆踊り 北条市萩原
乗蓮上人の徳をしのび虚容空地蔵菩薩、六地蔵及び新仏の霊を慰めるために始められ、現在保存会を組織している。踊り手は手踊り、ボンデン踊りで5種類あり、歌い手は番傘、太鼓縁台を使用し、音頭には「寿々木門人」「阿波海賊」「山崎三左」等が残っている。踊りの途中道化師が出現し、面白い様子をする。(『ふるさとの歳時記』より)

事例55 8月15日 盆踊り 北条市安居島
この島に住民が定着しない約170年前、岩城島の漁師達が漁業に従事し、お盆にはこれらの者が島の広場に集まり先祖の供養をしたことによると伝えられる。島民でしかも元老格と賄役はこの踊りに関する一切の権限を持ち、権威の座として控えの席が設けられることと子供から老人まで参加し島民以外の者は「よそ者の踊り」と称するところに他と異なった点がある。(『ふるさとの歳時記』より)

事例56 8月15日 山の神の火祭り 小田町寺村(六角山)
山の神に火を献じてお迎えし、秋の豊作を祈願する行事であるというが、虫除けのための火祭りという生活の知恵も加わっている。この行事は寺村中組の行事として、山の神の真下にあたる南山川入口を中心に、田の畦々に108本の生木を立て、それに吊した空き缶に火が奉納されるもので、六角山の神をお迎えするのにふさわしい夜景を展開する。(『ふるさとの歳時記』より)

事例57 8月15日 和田霊神の盆踊り 重信町志津川(和田霊神の社)
和田霊神は、中世末期の吉山城主、和田吉盛を祀ったものであるが、天文23年に荏原城主平岡氏との合戦で非業の最後をとげたため、これを里人が神として祭り、毎年8月15日、供養のため賑やかな盆踊りが行われる。(『ふるさとの歳時記』より)

事例58 8月15日 盆踊り(扇子おどり) 河辺村植松・北平
「扇子おどり」は、田舎にめずらしく、都会的なセンスにあふれた上品な踊りで、右手に扇子を持って踊る姿は、蝶が舞う様である。(『ふるさとの歳時記』より)

事例59 8月15日 盆踊り大会 津島町御槇(小学校校庭)
新仏と戦没者の供養のため、祭壇を設け、開催している。(『ふるさとの歳時記』より)

事例60 8月15日 盆踊り 西海町内泊(内広場)
8月15日を中心に3日間、終夜、盛大に行われる。(『ふるさとの歳時記』より)

事例61 8月15日 田滝おれん踊り 丹原町田滝(黒滝神社)
雨乞いに対するお礼の奉納踊りで、扇子を持って踊る様は非常に美しい。約300年前から行われている。(『ふるさとの歳時記』より)

事例62 8月15日 ダイバ踊り 松山市福見川町(徳正寺の阿弥陀堂の庭)
毎年8月15日の夜に行う念仏踊りで、鉦打ち2人、ダイバ2人、世話役数人によって行われている。最初に祈祷があり、参列者に御供(おごく)をふるまうが、これをいただくと夏病みせず、無病息災だと信じられている。(『ふるさとの歳時記』より)

事例63 8月15日 てんてこ踊り 魚島村魚島(井の浦海岸)
南朝の忠臣、篠塚伊賀守調練の名残といわれるもので、井の浦海岸で東西にわかれ、青少年たちが武者に扮して練り歩く。(『ふるさとの歳時記』より)

事例63 8月15日 おくり相撲 瀬戸町川之浜(川之浜海岸)
盆の供養のためのおくり相撲をする。昼は大人、夜は子供が行う。(『ふるさとの歳時記』より)

事例64 8月15日 おしょろ船流し 瀬戸町川之浜
麦わらで5尺から1間半位の大きな船を作り、念仏丸と命名する。両ふなばたには葬式に使用した花輪をいっぱいに並べ、新仏のヒナ人形に白ずくめの巡礼衣を着せ、ズタブクロ、笠、杖などを添え、仏がかつて好物としたものを新仏分すべて積み込む。これに帆をかけて潮路はるかに西方浄土へ流しやる。(『ふるさとの歳時記』より)

事例65 8月15日 名荷踊り 柳谷村西谷名荷(名荷集会所)
豊作を祝って男女(偶数)により行われる踊りである。現在では、豊作を祝う時だけでなく、盆踊り、虫おとし行事などのの年中行事に踊る。(『ふるさとの歳時記』より)

事例66 8月15~16日 別子山村民俗踊り 別子山村(別子小学校)
別子村民と盆休みで帰村した人々が、一つのやぐらの下に輪を作って踊りを楽しむ。牛若踊りは、そのリズムが古調ゆかしく、往事が偲ばれる。トンカカ踊りは、踊る手振りが勇壮でさむらい踊りともいわれている。(『ふるさとの歳時記』より)

事例67 8月15~24日 盆踊り(女餓鬼) 菊間町遍照院・高田(ひるめ)・池原(掌禅寺)
お盆の行事として、各地区の寺、お地蔵さんの前の広場で踊りが盛大に行われる。また、遍照院・掌禅寺では、女餓鬼が行われ、先祖の供養をする。(『ふるさとの歳時記』より)

愛媛県内のお盆行事2

2008年05月07日 | 年中行事
事例15 7月1~2日(月遅れ?旧暦?) 釜蓋朔日 広田村高市(新仏の家)
組中の者が、新仏の家へ集まって大念仏を唱える。(『ふるさとの歳時記』より)

事例16 8月1日 施餓鬼 広田村(新仏の家)
灯しぞめともいい、組内の新仏ができた家では竹の棚を作り、灯篭を灯して供養する。棚は竹と桧の葉である。(『ふるさとの歳時記』より)

事例17 8月1日 念仏おこもり 大洲市里下(集会所)
地区内で1年間に死亡した人を供養するため、地区の人が参集し、かねをたたいて経を唱えながら数珠を回し供養の行事をする。(『ふるさとの歳時記』より)

事例18 8月1日~31日 灯初め・灯あげ 小田町
8月1日が灯初めで、31日が灯あげである。(『ふるさとの歳時記』より)

事例19 8月5日 六斎鉦 津島町上槇(天満神社)
上槇伝来の行事で、津島町無形文化財に指定されている。施餓鬼供養として行い、鉦5つ、太鼓1つで死者の霊を弔う。(『ふるさとの歳時記』より)
事例20 8月6日 トンカカハン 小松町
商工まつりに盆踊りの形式で駅前から町内を踊り歩く。通称「トンカカハン」と言って住民に親しまれてきた。「トンカカハン」とは太鼓の打つ音がトンカカハンと聞こえるところからその名が付けられ、本名は新崖節という。町の無形文化財。(『ふるさとの歳時記』より)

事例21 8月6日 川津南西方寺念仏踊り 城川町川津南
西方寺の施餓鬼会に行われる。楽人は念仏を染め抜いた揃いの浴衣に袴を着け、白足袋に草履をはき、笠をかむった出で立ちである。(『ふるさとの歳時記』より)

事例22 8月7日 七夕 柳谷村高地休場 
川の両側からオシメを渡し、6日の夜に作ったワラの馬や提灯をさげる。そのオシメを渡ってタナバタサマが来るといわれる。(『ふるさとの歳時記』より)
 ←ワラ馬に乗って神が来臨する事例。

事例23 8月7日 お百ばあさんのせがき 柳谷村松木(松木墓地)
全員で念仏を唱え、酒肴を供えて、お百ばあさんの功績をしのんでいる。(『ふるさとの歳時記』より)

事例24 8月7日 七夕 広田村
たんざくを竹のささに吊るして立てる。ダンゴをつくり仏様にそなえて墓参りをする。(『ふるさとの歳時記』より)

事例25 8月7日 七夕 双海町
6日朝、里芋の葉にたまった露を取って墨をすり、五色の短冊に願い事や歌・絵を書き、竹ざおにつるす。それを各戸に立て、すいか・野菜・果物と柏餅を供え、七夕祭りの7日の夕方に、川や海岸で七夕送りをして流す。(『ふるさとの歳時記』より)

事例26 8月7日 竹網 明浜町渡江
大きな竹2本に横竹をわたし、テントをつけ、屋形船とし、大勢の子どもでかつぎまわる。(『ふるさとの歳時記』より)

事例27 8月7日 施餓鬼 松野町
各寺では、先祖の施餓鬼供養が行われ、各では、新仏に鉦や太鼓、念仏で供養する。(『ふるさとの歳時記』より)

事例28 8月7~15日 川念仏 松山市日浦(青波公会堂の庭内)
日浦地区(青波)奥の城主得能氏7人衆の大念仏会。青波公会堂の庭内にある7人衆のお墓の前で行われる。(『ふるさとの歳時記』より)

事例29 8月11日 施餓鬼会 小田町立石(願成寺)
近隣の寺院方を招き、盛大に行われる。又この日は各檀家より回向袋を寺に先祖供養のために納めることになっている。回向袋には五穀を入れることになっているが最近ではお金を入れたものもある。(『ふるさとの歳時記』より)

事例30 8月12日 小屋の小踊り 野村町小屋
当地区に古くから伝承されている踊りで、本光寺と大師堂の施餓鬼のときに奉納している。(『ふるさとの歳時記』より)

事例31 旧暦7月13日 餓鬼仏の盆 上浦町瀬戸崎 
13日の晩、坊さんは墓場でミヨウハを鳴らして歩く。餓鬼仏がいると、その仏は墓地を追われて家に帰るので、それまでに各家では入口そばや、庭先に一天四方の棚を作り、竹を立て、餅・水・米を供えておく。餓鬼仏は、家の中の仏壇で祀られないので、戸外のミズダナで供養する。このミズダナは、16日の晩、わらで作った舟に乗せて海に流す。(『ふるさとの歳時記』より)←盆棚と水棚の違い・祖霊と餓鬼の扱いの違い

事例32 8月13~14日 はんや踊り 宇和島市戸島本浦
盆踊りの一種で、13日夕刻補陀落上人が入水した浜の広場で、上人の菩提をとむらうために。14日午前中は、寺で初盆をむかえた新仏のためにそれぞれ踊る。(『ふるさとの歳時記』より)

事例33 8月13~15日 お盆 岩城村
13日の晩は、家族連れで、お寺とお墓にお参りをする。15日の晩は、公民館主催で役場前広場において、村民盆踊り大会が行われる。(『ふるさとの歳時記』より)

事例34 8月13~15日 盆踊り 内海村
区長が中心となり、各公民館と協力して行われている。各地区とも、踊りの晩は、その年の新仏のとうろうを出して霊をなぐさめる。(『ふるさとの歳時記』より)

事例35 8月13~15日 盆踊り(ハンジキ踊り) 生名村
生名中学校のグランドで行われている。踊りそのものの形態が珍しく、後ろ後ろへとさがって踊る。(『ふるさとの歳時記』より)

事例36 8月13~15日 トントコ踊り 宇和島市蒋渕
踊り手8人が浴衣姿で左肩からたすき、シデを持って、鉦、太鼓で踊る盆踊りで、各の神祠や新盆の家へささげられる。また、平家の落人、役者、あるいは難船した山伏を供養する。(『ふるさとの歳時記』より)

事例37 8月13~15日 盆踊り(いさ踊り) 宇和島市遊子津の浦
亡霊、怨念の変災をさけるための盆踊りで、8人の青年が白装束に黒の襷、黒帯、赤い鉢巻をしめて、右手にシデを持って太鼓、はやし方に合わせて踊り、神仏祠や海で亡くなった人に捧げられる。(『ふるさとの歳時記』より)

事例38 8月14日 先祖踊り 吉田町浅川
朝、和讃歌および先祖踊りの連中は、「宿」に集まる。そこで身支度のうえ、初盆の家を忌日の順に訪れ、仏前で供養する。(『ふるさとの歳時記』より)

事例39 8月14~15日 千灯・万灯 丹原町田滝(奥の庵入口)
1枚の柿の葉の上に線香、肥之松の小片を置き、線香に火を付け米等を供える。これが一組で、新盆の家は48組、2年目の家は96組、3年目の家は144組つくる。このお供えの中程の空いたところで肥松を燃やし、仏さんを迎えるのである。16日の送り火も同様。(『ふるさとの歳時記』より)

事例40 8月14~15日 施餓鬼 日吉村
各組、各で、毎年定められた回数、鉦、太鼓をたたいて念仏踊が行われる。旧霊や新仏の供養のための行事である。(『ふるさとの歳時記』より)

事例41 8月14日 お念仏 北条市猪木(オシボウサンの堂前)
笹竹で棚を設け、その下に桶を置く。水を入れてナスビを浮かす。棚に水をかけ、落ち水で手を洗って念仏を唱えはじめる。(『ふるさとの歳時記』より)

事例42 8月14日 大念仏 伊予市大平(下大平馬渡橋付近)
夕暮れから、下大平の馬渡橋付近の道路に行灯をつけ、僧侶を迎えて読経を行う。併せて念仏1庭(3回)から13庭(39回)を唱え、鉦、太鼓も同じ回数打ち鳴らす。参集者は、それぞれ線香に火をつけ、付近にばらまく。その後、参集者は川東組と川西組にわかれ、手に手に団扇をもって川を中心に向かい合い、「オイナーム、ワーム、ローバイ」「オイナーム、ワーム、ローバイ」と繰り返しながら交互に川の中まで行って相手方をあおぐ。この行事はこの地域にある故人の供養と悪魔退散を祈念し、併せて、虫追いの行事が一つになったものである。(『ふるさとの歳時記』より)

事例43 8月14日 楽頭(ガクト・念仏踊り) 重信町山之内麓組(薬師堂)
盆行事で、当日は内の新仏の供養念仏があり、それを終えてから民一堂、薬師堂境内に参集して、この楽頭を演じる。「ナミアミダーブヤ、ナーマミダ」と東西にわかれた念仏衆の唱える中を、大提婆・小提婆・鉦打ちの3者が楽をはやしつつ踊る。(『ふるさとの歳時記』より)

事例44 8月14日 迎え火 松前町大間(有明橋)
お盆が近づくと大間の大人たちによって集められたムギわらが有明橋のたもとに小山のように積み上げられる。夕方、薄暗くなるとの小中学校の子供たちが集まってムギワラを持って墓地に行く。墓地でムギワラに火をつけて「おじいも、おばあも(故人のこと)みな来いよ」と叫びながら、墓の間を回ってから有明橋に帰り30束ぐらいずつ川に浮かして火を付け、長い竹竿でその迎え火を押しながら川へ流す。その頃になるとのほとんどの人がこの川の両岸に集まり、大きく燃え上がる迎え火で祖霊を迎える。約1時間にわたって、迎え火を流し続け、これが終わるころあたりは真っ暗になっている。また、この時有明橋の欄干に108本のろうそくを立て、108燈をともしてこの行事を行う。(『ふるさとの歳時記』より)

愛媛県内のお盆行事1 七夕関連

2008年05月07日 | 年中行事
※愛媛県内のお盆の行事に関する事例を集めてみたので、それを紹介します。

事例1 七夕の笹について(二本笹)
周桑郡あたりでは二本の笹に、横渡しに竹を一本渡し、それに小田原提灯、ほおずき、ふろ豆、茄子などを吊す。また、西瓜、南瓜、ぶどうなどの供物を供える。(『県史民俗編下』より)

事例2 七夕の笹について(二本笹)
長浜町青島では、笹二本を立て、これに麻木を一本横に渡して七夕の掛け軸を吊す。これに糸を引っかける風習もある。(『県史民俗編下』より)

事例3 七夕の供物(なすは必需品)
越智郡の魚島では「七夕さん、棚から落ちてキンつめて、なすびで三つこらえかねた。」という文句があり、なすは七夕に不可欠な供物である。(『県史民俗編下』より)

事例4 七夕の供物(なすと牛馬)
中予や南予では、なすで牛馬の形を作って供える風がある。(『県史民俗編下』より)
 ←盆の精霊の乗り物としての意味があるのではないか?

事例5 七夕の供物
越智郡地方では、なすを賽の目に刻んで米と混ぜて供える。これは盆の「水の子」と同じである。(『県史民俗編下』より)

事例6 七夕の供物
越智郡では、すいかを平年には12、閏年には13に切るか切り目を入れて供える。(『県史民俗編下』より)

事例7 七夕の供物
今治市小島では、供えたすいかを近所の子供らが「イオッタカノ(祝ったかの)」と言って挨拶して持ち去っていく。(『県史民俗編下』より)

事例8 七夕の供物
伊予郡や温泉郡では、鮒を容器に泳がせたまま供え、あとで放してやるという地域がある。(『県史民俗編下』より)

事例9 七夕と牛
周桑郡地方では、稲藁で青い稲葉をまじえて縄にない、これを家族の男子数だけ輪に作って屋根上に投げ上げる風がある。これをハナゴ(牛の鼻輪)という。朝早く放り投げるのがよいという。ハナゴは七夕様が牛を曳いているのであげるのだという。(『県史民俗編下』より)
 ←同様の事例は、越智郡、今治地方にも見られる。

事例10 七夕と牛
伊予三島市富郷町上猿田では、カナワといい、コウゾ糸をつむいで輪にして七日の朝、屋根に上げている。(『県史民俗編下』より)

事例11 七夕と牛
今治市延喜では、男が縄の輪を二個つくり、二つを繋いで屋根に上げている。玉川町ではそれをワンゴといい、火災除けだという。西条市西の川ではそれをゼニクチという。周桑郡の作り方と異なっているが、屋根や軒先などに飾る風がある。(『県史民俗編下』より)

事例12 七夕様の着物
越智郡魚島や宇摩郡、喜多郡では「七夕様に着物を貸す」といって、新調着物を竿に通して掛けたりする。これをボンゴという。ボンゴは盆に着る晴れ着のことである。七夕様は腕立ちだから女性が裁縫の上達を願ってそうするのだといわれている。しかし、伊予郡中山町のように「七夕様は貧乏だから着物を貸してあげるのだ」と説明している例もある。(『県史民俗編下』より)

事例13 七夕と「おおわいこ」
伊予市や松前町あたりには「おおわいこ」といって、6日の宵節句に、子供らが南瓜提灯や西瓜提灯を持って村内を練り歩く。伊予市米湊ではその提灯を「おおわいこ提灯」と言っている。提灯を持って次のような文句を囃しながら道路や池の土手などを練り歩く。
「おおわいこ、おおわいこ、夕べ生まれた赤児の子、蟹にお手々(チンボともいう)をはそまれて、あいたやな、あいたやな」(伊予市下吾川)
「おちょうちんころ、おおわいこ、夕べできた赤ちゃんが、蟹にチンチンはさまれた」(伊予市上吾川)
「おわいこ、おわいこ、夕べでけた政さんが、欄干橋を通りよって、蟹にチンボをはさまれて、蟹さん蟹さん待っておくれ、わしが十五になるまでは」(伊予市米湊)
なお、中山町重藤でも「おおめら、おおめら」といいながら歩くという。この文句が何を意味するのか解しかねる。別に文句を言わないでただ提灯を持ち歩いたり、橋上に置いて流水に火を映したりする風の土地がある。(『県史民俗編下』より)
 ← 七夕には盆行事の前段階の要素があり、一種の祖霊迎えの行事か?

事例14 七夕笹の処理(流す・飾る)
七夕笹は七日の夕刻までに川や海に流す。北条市安居島、大三島町肥海など。また、七夕笹に呪力を認める習俗もある。南予地方では田畑に立てると虫除けになる、東予地方では、家の入口にその一枝を挿して悪病除けの呪物にするということころがある。玉川町竜岡木地、宇摩郡の山村。また、西海町内泊では、七夕の竹笹で釣竿を作るとよく釣れるという。(『県史民俗編下』より)