南予の気象に関する方言で、入道雲の事を「伊予太郎」と呼ぶ。松山でも、昔から高校野球の頃、つまり堀之内に松山市民球場があった時代、そこで夏の甲子園の県予選が行われる頃に、球場から松山城方向の空に出る雲を「伊予太郎」といっていたそうだ。
岩波文庫に『物類称呼』という江戸時代の全国の方言集があるが、その14頁を見ると、類例が出ている。
「夏雲 なつのくも 江戸にて坂東太郎と云(坂東太郎といふ大河あり)、大坂にて丹波太郎と云、播磨にて岩ぐもといふ、九州にて比古太郎と云(比古ノ山ハ西国の大山なり)、近江及越前にて信濃太郎と云、加賀にていたちぐもといふ、安房にて岸雲と云。今案に、これらの異名夏雲のたつ方角をさしていひ又其形によりてなづく」
以上のように記載されています。この記述から考えると、
江戸=坂東太郎(利根川方面から出る入道雲)
大坂=丹波太郎(丹波方面から出る入道雲)
近江・越前=信濃太郎(信濃方面から出る入道雲)
これを見ると、愛媛で「伊予太郎」と呼ぶのは、何かおかしな気もする。「伊予方面から出る雲」と考えれば、大分や広島や高知あたりの方言なのだろうかと思えてしまう。インターネットで検索すると、やはり広島県の沿岸部や山口県の島嶼部では「伊予太郎」の方言があるようだ。
この事例を見ると、日韓の「日本海」名称論争を思い浮かべてしまう。「日本海」呼称は、日本の領海だから「日本海」というのではなく、「向こうに日本が位置する海」というように、朝鮮半島主体で成立した呼称なのかもしれないという勝手な仮説。近代の国家・国境意識の高まりとともに、日本海=日本の領海起源説が一般化したのかもしれない。あくまで推測であるが・・・。
大分県に「愛媛街道」があったり、畿内から阿波国に行く途中に「アワジ(淡路)」があったり、津島町畑地(ハタジ)も、幡多郡へ通じる路という説もある、という具合に、名称成立過程と主体の位相、そして、その後の認識変容には興味深いものがある。
ただ、松山の「伊予太郎」は城山という伊予のシンボルで語られるので納得できるが、南予で「伊予太郎」と使うのは不思議な気もする。昔は南予は自分たちの住んでいる土地を「伊予」とは強く意識していなかったのだろうか。(これもあくまで推測です。)
岩波文庫に『物類称呼』という江戸時代の全国の方言集があるが、その14頁を見ると、類例が出ている。
「夏雲 なつのくも 江戸にて坂東太郎と云(坂東太郎といふ大河あり)、大坂にて丹波太郎と云、播磨にて岩ぐもといふ、九州にて比古太郎と云(比古ノ山ハ西国の大山なり)、近江及越前にて信濃太郎と云、加賀にていたちぐもといふ、安房にて岸雲と云。今案に、これらの異名夏雲のたつ方角をさしていひ又其形によりてなづく」
以上のように記載されています。この記述から考えると、
江戸=坂東太郎(利根川方面から出る入道雲)
大坂=丹波太郎(丹波方面から出る入道雲)
近江・越前=信濃太郎(信濃方面から出る入道雲)
これを見ると、愛媛で「伊予太郎」と呼ぶのは、何かおかしな気もする。「伊予方面から出る雲」と考えれば、大分や広島や高知あたりの方言なのだろうかと思えてしまう。インターネットで検索すると、やはり広島県の沿岸部や山口県の島嶼部では「伊予太郎」の方言があるようだ。
この事例を見ると、日韓の「日本海」名称論争を思い浮かべてしまう。「日本海」呼称は、日本の領海だから「日本海」というのではなく、「向こうに日本が位置する海」というように、朝鮮半島主体で成立した呼称なのかもしれないという勝手な仮説。近代の国家・国境意識の高まりとともに、日本海=日本の領海起源説が一般化したのかもしれない。あくまで推測であるが・・・。
大分県に「愛媛街道」があったり、畿内から阿波国に行く途中に「アワジ(淡路)」があったり、津島町畑地(ハタジ)も、幡多郡へ通じる路という説もある、という具合に、名称成立過程と主体の位相、そして、その後の認識変容には興味深いものがある。
ただ、松山の「伊予太郎」は城山という伊予のシンボルで語られるので納得できるが、南予で「伊予太郎」と使うのは不思議な気もする。昔は南予は自分たちの住んでいる土地を「伊予」とは強く意識していなかったのだろうか。(これもあくまで推測です。)