樫木駄馬古墳2 2008年05月27日 | 地域史 この樫木駄馬古墳は、7世紀の横穴式石室。 中は暗く、前回来たときにはコウモリがいた。 今回は、コウモリはお留守でした。 横穴式石室に出入りできるので、 古墳を体感することができる。 一応、我が家から歩いて、卯之町の町並み(近世)、そこから山道。 松葉城、烏殿(中世)を通って、坂戸の樫木駄馬古墳(古代)まで約2時間半。 半日で近世→中世→古代までタイムとリップできる史跡めぐりコースでしたが、 途中の山道は危険がいっぱい。あまり欲張るものではない。
樫木駄馬古墳 2008年05月27日 | 地域史 宇和の古墳といえば、最近は笠置峠古墳など石城地区の古墳発掘で 話題が多いが、坂戸にある樫木駄馬(カタギダバ)古墳は、 近くまで車で行くことができる。山道を200メートルほど登れば、 横穴式石室が見えてくる。
松葉城6 2008年05月27日 | 地域史 余談です。 烏殿の下で、いのししにおびえながら、歩いていると、 へび発見。今季は、5月12日に初めてへびを目撃したが、 今日で2回目。おそるおそる撮影してみました。
松葉城5 2008年05月27日 | 地域史 松葉城関連の狼煙台があったという烏殿の下から、 田野中方面を撮影したもの。 烏殿の山頂からは、石城方面も一望できるし、 多田方面も見える。 ここに狼煙台があったという話に納得。
松葉城4 2008年05月27日 | 地域史 松葉城は、普通、卯之町や下松葉側から登るが、上松葉方面にも道がある。 その道を徒歩で北上すると、坂戸・平野線まで行くことができる。 途中、いのしし注意の看板が目に入って、一人では少々怖い。 約1時間半歩けば、松葉城から坂戸まで行くことができる。 その途中に、烏殿がある。標高が588メートル。 松葉城があった時代、この烏殿には狼煙台があったという。 近隣ではもっとも高い山で、宇和盆地が一望できる。 といっても、道が険しくて、烏殿の山頂には到達できず。 その下から撮影した写真。新城地区がよく見える。 写っている学校は、田之筋小学校。
明石寺のケヤキ 2008年05月27日 | 自然と文化 坪ヶ谷新四国をまわっていて、42番から43番の間に、 明石寺がある。これぞ本四国の霊場。 ここに地蔵堂があり、その後ろに、大きなケヤキがそびえたつ。 地蔵堂の地蔵は延命地蔵。地蔵を拝むと、背後の巨樹も拝むことになる。 地蔵の延命利益と巨樹の生命力が合わさったように感じる。
坪ヶ谷新四国9 2008年05月27日 | 信仰・宗教 坪ヶ谷新四国の結願の霊場は、この大師堂。 宇和養護学校付近。43番明石寺から宇和文化の里への遍路道沿いにある。 ここには木造の弘法大師像と薬師如来像、半跏の地蔵菩薩像(延命地蔵か)が 安置されている。 ちなみに、弘法大師像は、享保4年に高野山小田原正寿院の作。 薬師如来は、天保3年の作。つまり、この新四国が開創された時である。 灯篭の銘を見ると、寛政4年の寄進。天保3年以前にも大師堂が存在し、 それに乗りかかる形で新四国が形成されたことがわかる。