僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

連歌・連句

2010-07-01 22:50:30 | 短歌・俳句
菜の花や月は東に日は西に

これは有名な蕪村の名句である。この句は単独で詠まれたのではなく、蕪村の詩友と弟子、三人が会した席で発句としてつくれたのである。
その発句に対して蕪村の友人樗良(ちょら)が直ちに応じる。


山もと遠く鷺かすみ行く

このように五・七・五の問いかけに対して、七・七の形で答えるのが連歌・連句の基本である。
蕪村の描いた菜の花畑の夕暮れの風景を、さらに敷衍して、彼方に暮れ残る遠山に鷺が一羽かすみつつ飛んでいく、と受けたのである。

それでは何故近代になってこの連歌・連句の伝統が打ち切られたのか。
それは、明治になって短歌、俳諧の革新を目指した正岡子規が、連歌は文学にあらず、といってその価値を否定し、連歌の冒頭の一句(発句)だけを独立させ、それを俳句としてそこに新しい詩の精神を吹き込もうとしたからである。

では何故子規は連句というものの価値を認めなかったのか。
それは、いくら句を継ぎ足していっても、イメージはバラバラになるだけで、三十六句重ねようと、千句つなげようと、そこには文学作品としてのまとまった詩想は生まれない・・・というのが子規の論拠だった。

駒野の悲哀

2010-07-01 15:25:32 | スポーツ
侍ジャパンは予想以上の活躍を見せた。決勝トーナメントでもパラグアイに善戦した。
最後は、駒野のPK失敗で幕を閉じたわけだが、チームメイトの誰もが駒野を慰めた。
肩を落とし、首をうなだれる駒野の肩を抱いて一緒に泣いたのは松井だった。



みんなが様々な形で駒野をかばったし、仲間が一致団結している姿は美しいけれど、駒野自身の心中は誰もわかることは出来ない。
自分のせいでベスト8に進めなかったんだという自責の念は、彼の暗澹たる呪縛として永遠に残るのである。
「なぜ失敗したんだ」と強く非難してくれたほうがまだ彼は救われたかもしれない。一刻でも早くその場を立ち去りたかったに違いない。

けれど彼は全日本の代表という名誉を手中にし、試合でもフル出場で頑張った。彼をキッカーとして選んだのが岡田監督なのだから、彼自身のみが悲嘆にくれて絶望することはないのだ。
PKという運、不運が大きく左右する勝負において、ゴールの枠にボールが突き刺さるかは神のみぞ知る領域なのである。
さきほど名誉を手中にしたと言ったが、その時に彼は名誉とともに様々なプレッシャーにも打ち勝たなければならない運命、諸刃の剣をになったのである。この残酷な神の仕打ちに耐えていかなければならない。

駒野選手が今後、多くの試合で活躍するだろうと思う。サッカー以外の人生においても数々の場面で、優しさと強さを見せてくれるだろう。

そして、様々な試練を颯爽と潜り抜けるに違いない。