僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

中根東里

2013-01-24 23:43:25 | 歴史
中根東里は 江戸中期の儒者、伊豆(静岡県)下田の人。

母のすすめで出家し証円と称し禅に努めていたが、荻生徂徠に学ぶ。のちに徂徠学に疑いを持ち,室鳩巣 に師事して朱子学を修めるが、それでも満足できず、最終的には王陽明の学問に強い共感を覚える。

陽明学徒として子弟の教育に当たり,高潔な人柄が知られる。代表的な著作に『学則』『東里外集』『東里遺稿』がある。

彼は陽明学を通じ「天地万物一体」という境地に達した。自分と他人は勿論、道端の雑草に対しても自分のこととして考えるということだ。
彼は幕府や藩に抱えられることを拒み、貧乏長屋に住んでひたすら勉学する。
食が尽きると履物を作って小銭を得ていた。

また長屋に病人が出ると薬代にと僅かな稼ぎを差し出すばかりか、大切にしていた書物をすべて売り払って渡してやった。

花見で酒を飲みご馳走を食べている人々を見て、わがことのようにうれしく、楽しく思ったそうである。

時代は違うが飢饉のとき書物を売って困っている人を助けようとした大塩平八郎も陽明学の儒学者だった。
彼もまたストイックで人のため窮乏者たちを助けようとしたが、短気なゆえ武力に走ってしまった。

彼は豪商の米の買占めを諌めたり、蔵米を民衆に分け与えるべきと大阪東町奉行の跡部に忠言したが聞き入れられなかった。
そこで門人や民衆とともに武力蜂起を決断したのだった。

けれど中根東里と根本的に違うのは、門人や家族まで犠牲を強いてしまったこと。
心の余裕が足りなかったのであろうと思う。

中根東里の名言を記して結ぼうと思う。

人の過ちをいわず わが功を語らず

施して報を願わず 受けて恩を忘れず