栃木県小山市の小山駅から群馬県前橋市の新前橋駅まで結ぶ東日本旅客鉄道に
両毛線という鉄道がある。
私はいまだ乗車したことがないが、沿線に途中下車に適した町が
ほぼ等間隔に並んでいて、とても楽しいし、また山々の景観も素晴らしいとのこと。
この両毛線は、昔、両毛鉄道と言って、生糸や桐生織などを運んでいたそうだ。
両毛の意味は、現在の栃木の旧名「上毛野国(かみつけのくに)」と、今の群馬県「下毛野国(しもつけのくに)」を結んだからだ。
また、隅田川の架橋に「両国橋」という大橋がある。
昔は千住橋以外、隅田川の架橋はなかった。
1657年明暦の大火の時、橋がなく逃げ場を失った107000人の人が亡くなった。
そこで老中酒井忠勝らの提言で防火・防災目的のため架橋を決断、隅田川に
大橋を築いた。1661年のことである。
その時の大橋の位置が、武蔵国と下総国の間にあったので
みなこの橋を両国橋と呼んだ。
当時の言葉でいうと
「武州・下総両国へ掛かりたる橋なるがゆゑに両国橋と名付けるなり」となる。
加えて両国の「両」の文字は小判の一両、二両の両で
極めて縁起の良い「佳字」と言える。
最後に 国立(くにたち)。
国立駅は中央線ぞいにあり、西に行けば八王子や高尾があったが
大学時代ほとんど用事がなかった。
確か三鷹、阿佐ヶ谷、吉祥寺、高円寺どまりであった。
この国立という地名は、国立駅に始まる。
1925年谷保村に箱根土地(現プリンスホテル)の堤康次郎が開発を計画。
東京商科大学(現一橋大学)を誘致し学園都市にする予定を実行した。
昭和26年谷保村から国立町になり、昭和40年には富士見台団地が完成し人口が5万人を突破した。
昭和42年国立市が誕生、昭和55年には国立高校が都立で初めて甲子園に出て
国立フィーバーを起こした。
中央線沿線で「国立駅」は、国分寺駅と立川駅の中間に位置する。
1926年(大正15年)4月1日、国分寺駅と立川駅の中間の位置に
新しい駅を作ろうという事で、
それぞれの駅名の最初の一文字を取って国立駅と命名した。
なおかつ「この地から新しい国が立つ」という
良い意味合いを込めて、国立駅としたともいえる。