立花隆と佐藤優の読書対談の「ぼくらの頭脳の鍛え方」を読む。
そこで挙げられているなかで、わたしも読むべき本を厳選してみる。
「中核と革マル」立花隆 「十六の墓標」永田洋子
「セメント樽の中の手紙」葉山嘉樹 「花と蛇」団鬼六
「影を裁く日」高柳芳夫 「風の谷のナウシカ」宮崎駿
「野中広務 差別と権力」魚住昭 「自民党戦国史」伊藤昌哉
「ビジネス数学入門」芳沢光雄 「文化大革命十年史」厳家親
今後、この本を蒐集して、読み下していきたい。
ところで、思考には文字が必要だが、本来はイメージが先にあるべきである。それにロジックと語彙が加わる。一般的にはおびただしい読書量と思考のボリュウムが比例するように見受けられるが、果たして冷厳な現実に置かれた場合、事実としての実態はそうであろうか。なんだか、乱暴な表現だが、わたしには、ただ、本の中に棲んでいるだけにも見える。・・・・・知よりも暮らしの情が見えてこない。
立花隆は以前には夢想じみたインターネット社会論を述べていた。その時代のパラダイムを読むには長けた人だ。佐藤優は、神学の難解な学級肌の著作を持っている。その哲学的な思索は、後生畏るべしの人物である。
わたし如きの感想では仕方がないが、でも、本を買い読ませていただいたことで言う。この読書人たちには、なんだか、行動が伴っていないような気がしてしょうがない。実際的ではない。
とは言え、たぶん、わたしは厳しいことを言っているにちがいないでしょう。