最近、「ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争」を読んでいる。時代はわたしの生まれた1950年の6月に起きてから3年間に及ぶ。冷戦の最中、ルーズベルトの亡き後、ソ連のスターリンも亡くなる。
家にいても手放せず、電車の中でもわたしにしては珍しく重いハード-カバーの単行本をカバンに忍ばせているのだ。内容は戦争物であるが、時のトルーマン大統領に対しあのダグラス・マッカーサー司令官の行状が赤裸々に記されている物語だ。
歴史上の真実と言えばそれまでだが、そしてなんでもそうであろうが、物事には表裏があり、人間的な感情の大きなうねりとも流れともいえることが世の中の大勢を決めていくものだと、あらためて深い感慨を持つ。
アメリカの第二次世界大戦からアジアにおける朝鮮戦争、わたしたちの世代に起きたベトナム戦争への軍事力の行使の経緯がよくわかる。ひいては、今のアフガニスタン、イラク戦争に連なってくる。
でも、わたしの場合はいつも死者数が気になる。そのことで、わたしは背筋の寒さと無常感に陥るのである。印象面でものを見る漠とした話だが、大東亜戦争では日本人が300万人、北朝鮮では飢餓で数年おきに2~300万、カンボジアではポル・ポトにより大虐殺した200万、お隣の中国では特に文化革命で最大2000万人といわれているのだ。