この前の休日、キリシタン(切支丹)殉教の地を訪ねた。日本の殉教地として北限であるらしい。歩いた跡に沿って、画像を羅列する。
大籠キリシタン殉教公園である。鄙にも稀な建造物と偉容を誇るエリアで、広大な敷地である。カソリックの資金と篤い信仰の賜物。製鉄、鉱山の労働者により営まれた村で、徳川の家光の時代に打ち首などで壊滅された。これを、記憶と実見の逍遥行につれて、記している。
コメントすると、資料館から階段を登り、カリオン、クルス館。石碑は小説家・遠藤周作、パウロⅡ世など。それから、わたしの得意分野である草木の画像である。花咲く季節柄、特に自生の山萩と植えられた宮城野萩が目についた。
ここは宮城県と岩手県のほんの少しの田畑、山塊の地、県境になる。遺跡は血なまぐさい刑場が散在する、ほかに大籠カトリック教会が近くにある。時系列的に下って、あの 松尾芭蕉 も 「奥の細道」 で訪れて、この事象を当地で見聞している筈だがやはりここの由来は触れていないようだ。
大籠キリシタン殉教公園である。鄙にも稀な建造物と偉容を誇るエリアで、広大な敷地である。カソリックの資金と篤い信仰の賜物。製鉄、鉱山の労働者により営まれた村で、徳川の家光の時代に打ち首などで壊滅された。これを、記憶と実見の逍遥行につれて、記している。
コメントすると、資料館から階段を登り、カリオン、クルス館。石碑は小説家・遠藤周作、パウロⅡ世など。それから、わたしの得意分野である草木の画像である。花咲く季節柄、特に自生の山萩と植えられた宮城野萩が目についた。
ここは宮城県と岩手県のほんの少しの田畑、山塊の地、県境になる。遺跡は血なまぐさい刑場が散在する、ほかに大籠カトリック教会が近くにある。時系列的に下って、あの 松尾芭蕉 も 「奥の細道」 で訪れて、この事象を当地で見聞している筈だがやはりここの由来は触れていないようだ。