ここでは松尾芭蕉の句碑を掲げる。わが町内では5句詠まれたそうである。しかし残念なことに、地元ではあまり関心を持たれていないようだ。地域の住民の性格なのか、あまり他へのアピールをしないようなのだ。ごく普通に町おこしのイベントにも役立てられるのにと、思う。
探し当てた寺では夕暮れに近くて、本堂では追善供養の客が帰り始めた。石碑はある真言宗の寺の境内の手水鉢近くにある。
☆ 春もやゝ
気色とゝのふ
月と梅
ほかには、近在では次の句があり、もう一句を探している。
☆ 蓬莱に
聞くはや伊勢の
初便り
☆ 風流の
はしめや奥の
田植えうた
☆ 梅が香に
のっと日の出る
山路哉
処ゝに雉啼
わが町は俳句や短歌が盛んな田舎である。山峡の町、わたしの学校時代もなんとなく作句活動に耽る自然な雰囲気があった。18才で上京後はすぐにそんな気になれなかったが、わたしも結婚したころから作りはじめ、中年以降から今に至りひとりでに習慣化して手帳に書き留めている。数えたことはないが、今までに都合150句になろうか。
わたしは実は芭蕉よりも蕪村の句を好むし、評価する。が、わたしの感想だとこの中で、“梅が香に・・・”が好きである。
「奥の細道」 の道行きで詠まれたのは間違いないだろうが、季節は今の新暦で言えば5月の連休直前の頃だろうか。ルートはどうだろうか。芭蕉はこの後にあの有名な平泉の 中尊寺 に向かったのだろうか。
探し当てた寺では夕暮れに近くて、本堂では追善供養の客が帰り始めた。石碑はある真言宗の寺の境内の手水鉢近くにある。
☆ 春もやゝ
気色とゝのふ
月と梅
ほかには、近在では次の句があり、もう一句を探している。
☆ 蓬莱に
聞くはや伊勢の
初便り
☆ 風流の
はしめや奥の
田植えうた
☆ 梅が香に
のっと日の出る
山路哉
処ゝに雉啼
わが町は俳句や短歌が盛んな田舎である。山峡の町、わたしの学校時代もなんとなく作句活動に耽る自然な雰囲気があった。18才で上京後はすぐにそんな気になれなかったが、わたしも結婚したころから作りはじめ、中年以降から今に至りひとりでに習慣化して手帳に書き留めている。数えたことはないが、今までに都合150句になろうか。
わたしは実は芭蕉よりも蕪村の句を好むし、評価する。が、わたしの感想だとこの中で、“梅が香に・・・”が好きである。
「奥の細道」 の道行きで詠まれたのは間違いないだろうが、季節は今の新暦で言えば5月の連休直前の頃だろうか。ルートはどうだろうか。芭蕉はこの後にあの有名な平泉の 中尊寺 に向かったのだろうか。